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南シナ海紛争:フィリピンの対中外交・世論の変化
Philippines Japan Defense Pact(写真:AP/アフロ)
Philippines Japan Defense Pact(写真:AP/アフロ)

フィリピンと日本は7月8日、防衛・安全保障に関する重要な協定に署名をした。この協定により、お互いの領土に軍隊を配備できるようになる。中国が強引な姿勢を強めていることを受けて、米国と長年にわたり同盟関係にある両国は防衛関係を深めてきた。この「円滑化協定(RAA)」の署名には、フィリピンのフェルディナンド・マルコス・ジュニア大統領も立ち会った。

昨年11月から交渉が行われてきた同協定は、訓練などの目的でお互いの領土に自衛隊やフィリピン軍を派遣できるようにする法的枠組みだ。今回の協定交渉は、中国が南シナ海のほぼ全域の領有権を有するとの主張を強め、フィリピン船舶との対立がエスカレートしたタイミングで進められた。この対立で最も深刻な事案の1つが、南シナ海セカンド・トーマス礁(中国名:仁愛礁、タガログ語名:アユンギン礁)近海で6月17日に起きた、中国海警局の船舶とフィリピンの補給船の衝突である。中国海警局の隊員がナイフややりを振りかざし、フィリピン側の兵士が負傷したほか、船舶2隻が損傷を受けた。

南シナ海における退役艦の座礁事案

中国政府は、南シナ海の紛争海域の岩礁にフィリピンが退役軍艦を座礁させ、両国間の緊張を高めていると非難している。このフィリピン海軍の退役軍艦は、領有権を有するというフィリピンの主張を補強する目的で、意図的に紛争海域に放置されていると中国の国営メディアは報じている。

中国外交部はこの行為を「無責任かつ危険な挑発」だと強く糾弾し、このような意図的な座礁は国際法に違反し、南シナ海の平和と安定を乱すと主張している。中国政府は、この船舶を直ちに撤去するとともにあらゆる挑発的な行動を止め、緊迫化を回避するようフィリピンに強く求めた。

中国メディアは退役艦が座礁した場所の戦略的意義にスポットを当て、フィリピンの行動が、南シナ海における軍事プレゼンスを強化し、国際的な支持を得るためのものではないかと推測している。この事案は広く注目を集め、議論を巻き起こした。観測筋の間では、この地域で緊張が高まり、外交・軍事衝突につながるおそれがあると懸念する声が多い。

一方、フィリピン側はこうした非難を否定している。フィリピン政府は、軍艦の座礁は意図的なものではなく事故であると述べた。フィリピン外務省は、南シナ海紛争の平和的な解決へのコミットメントを改めて述べ、状況の緊迫化を回避するため、自制心を働かせるよう全当事者に求めた。

この座礁事案は、南シナ海問題の複雑さとデリケートさを物語る。関係者のあらゆる行動と反応が緊張を高め、新たな対立を招きかねない。国際社会は概ね、対話と交渉で紛争を解決し、地域の平和と安定を維持するよう強く促している。

南シナ海紛争でフィリピンが果たす役割

特に注目されるのは、南シナ海問題についてフィリピンが国際機関で何を唱え、どのような姿勢を示すかである。フィリピンは国際連合とその関連機関において、南シナ海問題などでどのような立場を打ち出し、どのような解決策を提案するのか。こうした対応は外交ツールの役割を果たすだけでなく、国際法とその執行へのフィリピンの姿勢を表すことにもなる。

フィリピンは南シナ海問題をめぐる外交政策で地域の安全保障枠組みに積極的に参加しており、一方的な意思決定ではなく多国間協力を重視している。フィリピンは、領有権を主張する他国との二国間対話や地域協力を通じて平和と安定を促進し、地域の安全保障で自国が果たす重要な役割を際立たせている。

例えば「円滑化協定」について、デ・ラサール大学(フィリピン)講師でアナリストのドン・マクレーン・ギル氏は、極めて重要だと考えている。志を同じくするパートナーとの相互運用性を向上させ、米国を中心とするネットワーク内でのフィリピン政府の立場を強化することで、安全保障パートナーシップを確かなものにできると強調している。

また、比中の二国間のやり取りに加え、南シナ海の領有権を主張する他の諸国とのやり取りも極めて重要となる。フィリピンは二国間対話や地域協力メカニズムを通じた紛争解決の道筋をどのように模索するのか。こうしたやり取りから、フィリピンがどのようにバランスを取り、領有権を主張しながら、地域の平和と安定を促進するのかが浮かび上がってくる。

国際法を適用し地域の安全保障を維持するには、フィリピン政府は舞台を国際機関にまで広げ、南シナ海に関わる提案と解決策を主張する必要がある。フィリピンが多国間協力を生かしてどのように国際的な舞台で影響力を拡大し、自国の主権と領土を断固として主張するのかが注目される。

シンガポールのシャングリラ会合における大統領の基調講演

マルコス大統領は2024年6月4日、シンガポールで開催されたシャングリラ会合において、国の領土主権と地域の平和の重要性を強調した。基調講演の中で、同大統領は南シナ海の領土紛争は、フィリピンにとってのみならず、地域全体の安全保障と安定にも極めて重要であると指摘した。また、平和的な紛争解決へのフィリピンのコミットメントを改めて表明するとともに、国際協力を通じて南シナ海の航行の自由と国際法の尊厳が守られることへの期待を示した。

マルコス大統領は、領土紛争への対処にあたり、国連海洋法条約(UNCLOS)などの国際規範を厳守するようすべての国に呼びかけ、いかなる国の一方的な行動も、地域の不安定化を招きかねないと主張した。こうした発言を通じ、同大統領は南シナ海問題に関するフィリピンの立場と期待を明確に示して、平和的な紛争解決と国際協力の重要性を強調した。

この会合で中国の代表は、フィリピンの外交姿勢に疑問を呈し、フィリピンが退役軍艦を岩礁に座礁させた最近の事案に言及するなど、南シナ海におけるフィリピンの挑発的な行為を非難した。中国の代表がこのような行為は国際法に違反するだけでなく地域の緊張も高めると指摘したのに対して、フィリピンの代表はこうした批判を否定した上で、平和的な紛争解決を目指すフィリピンの姿勢を改めて表明した。

南シナ海紛争におけるフィリピンの行動

フィリピン政府は南シナ海紛争で積極的な外交戦略を取り、平和的な紛争解決に力を入れてきた。フィリピンの外相は、UNCLOSなど国際法の枠組みへのコミットメントを力説し、多国間の対話と協力を通じた紛争解決を提唱した。また同政府は、自国の領土主権を守ると同時に、地域の緊張を高めうる行動を回避し、自制心を働かせ共通の解決策を模索するよう全当事者に求めるというフィリピンの姿勢を強く打ち出した。

ところが、南シナ海紛争で緊張が高まる中、フィリピンは2024年6月12日に、より攻撃的な防衛策を講じる意向を発表し、「近接防衛」戦略を提案した。この戦略には、南シナ海の紛争水域における巡視と監視の強化や、必要に応じた防衛行動の実施などが盛り込まれている。こうした措置についてフィリピン政府は、国の主権と国内漁業者の正当な権利を守るためのものであると述べた。さらに2024年6月14日には、中国の攻撃的な行動がフィリピンの経済と環境に深刻なダメージを与えたと非難し、中国に対して損害賠償を正式に要求した。

セカンド・トーマス礁で6月17日に起きた、補給任務中のフィリピン国軍を中国海警局が妨害するという深刻な事案を受けて、フィリピン軍は7月4日に、装備品などの損害・損失の賠償金として6,000万フィリピンペソ(約100万米ドル)を支払うよう中国に要求したと発表した。

この金額には、漁業者が被った損失や、ダメージを受けた海洋生態系の回復に対する補償も含まれる。こうした措置や要求は、法的・外交的手段を通じて公正な解決を模索しながら、自国の領有権を守るというフィリピンの決意を国際社会に示すことにほかならない。

フィリピンメディアの中国報道に変化

フィリピンでは、南シナ海紛争における自国の立場を懸念する声が国民の間で強まっている。これまでの比較的親中的な姿勢が反中感情へと転化する中で、フィリピンが米中間の地政学的緊張の駒にされるのではないかと心配しているのである。特にトランプ前米国大統領の大統領選立候補以来、フィリピン国民は、米国が自国の利益を優先して、フィリピンが中国の圧力と挑発にさらされるのを放置するのではないかとの不安を抱いている。

2024年6月以降、フィリピンメディアによる中国報道の論調は著しく変わった。それまでは比較的中立、あるいは友好的ですらあったが、今では強く非難し、警戒する論調となっている。こうした変化は主に、南シナ海における中国の独断的な行動に対する、フィリピン社会での不満の広がりに起因する。

フィリピンメディアは、中国船の領海侵入や国内漁業者に対する嫌がらせの事案をたびたび報道し、こうした行動が、フィリピンの主権と安全保障への脅威となっていると伝えている。報道機関は中国の一帯一路構想についても、新しい形の経済統制であり、長期的に見てフィリピンの発展に悪影響を及ぼすおそれがあるとして批判している。加えてフィリピンメディアは、より断固とした姿勢を取り、他国との協力を強めて中国側からの挑戦に対処するよう政府に求めている。

こうした報道や解説を通じて、フィリピンメディアは世論形成で極めて重要な役割を果たすとともに政府の政策に影響を与えており、フィリピンの対中政策転換の大きな原動力となっている。

親中から反中感情への転化

近年、フィリピン国民の中国に対する姿勢は大きな変化を見せ、これまでの親中から一転して反中感情が広まっている。こうした変化は、主に中国の独断的行動や進出行為をはじめとした南シナ海での緊張の高まりに起因しており、フィリピン国民の間で不満の声が高まっている。これまでは、中国との友好的な関係の維持が経済的恩恵と地域の安定をもたらすと考えるフィリピン人が多かった。だが実情の変化にともない、こうした見方が揺らいでいる。

こうした状況を背景に、フィリピン国民の間では、米中間の地政学的対立における自国の立場を懸念する声が強まっている。二大国の勢力争いに駒として巻き込まれ、圧力やリスクが高まるのではないかと心配しているのである。特に2024年の米国大統領選挙でドナルド・トランプ氏が勝利した場合、その「アメリカ・ファースト」政策を米国優先のサインととらえ、フィリピンへの支援が縮減されるかもしれないと考えるフィリピン人は多い。そのため、フィリピンでは南シナ海紛争で孤立無援になることへの懸念が高まっているのである。

フィリピン国民の反中感情は、メディアの報道とソーシャルメディアプラットフォームで特に顕著に見られる。その多くが、中国の行動に対する不満を示し、より強硬な姿勢を取るよう政府に求めている。中国との断交を提唱する極端な意見も一部にある。こうした反中感情の広まりにともない、南シナ海紛争への対処に向けた外交政策で、より慎重かつ断固たる決定を下すようフィリピン政府に求める圧力が高まっている。

まとめ

南シナ海紛争の複雑なダイナミクスで極めて重要な役割を担うフィリピンは、国際連合のようなフォーラムへの積極的な参加を含め、国際法を守り多国間協力を通じて平和的な解決を推し進める外交戦略を展開している。フィリピンにおける最近の世論の変化は、中国の強硬姿勢に対する懸念の高まりの表れであり、より断固とした外交姿勢を求める声が出始めている。こうしたダイナミクスに対応しながら、フィリピンは引き続き国益保護と地域協力促進のバランスを取り、インド太平洋地域における安定構築に尽力する姿勢を示すことになる。

陳建甫博士、淡江大学中国大陸研究所所長(2020年~)(副教授)、新南向及び一帯一路研究センター所長(2018年~)。 研究テーマは、中国の一帯一路インフラ建設、中国のシャープパワー、中国社会問題、ASEAN諸国・南アジア研究、新南向政策、アジア選挙・議会研究など。オハイオ州立大学で博士号を取得し、2006年から2008年まで淡江大学未来学研究所所長を務めた。 台湾アジア自由選挙観測協会(TANFREL)の創設者及び名誉会長であり、2010年フィリピン(ANFREL)、2011年タイ(ANFREL)、2012年モンゴル(Women for Social Progress WSP)、2013年マレーシア(Bersih)、2013年カンボジア(COMFREL)、2013年ネパール(ANFREL)、2015年スリランカ、2016年香港、2017年東ティモール、2018年マレーシア(TANFREL)、2019年インドネシア(TANFREL)、2019年フィリピン(TANFREL)など数多くのアジア諸国の選挙観測任務に参加した。 台湾の市民社会問題に積極的に関与し、公民監督国会連盟の常務理事(2007年~2012年)、議会のインターネットビデオ中継チャネルを提唱するグループ(VOD)の招集者(2012年~)、台湾平和草の根連合の理事長(2008年~2013年)、台湾世代教育基金会の理事(2014年~2019年)などを歴任した。現在は、台湾民主化基金会理事(2018年~)、台湾2050教育基金会理事(2020年~)、台湾中国一帯一路研究会理事長(2020年~)、『淡江国際・地域研究季刊』共同発行人などを務めている。 // Chien-Fu Chen(陳建甫) is an associate professor, currently serves as the Chair, Graduate Institute of China Studies, Tamkang University, TAIWAN (2020-). Dr. Chen has worked the Director, the Center of New Southbound Policy and Belt Road Initiative (NSPBRI) since 2018. Dr. Chen focuses on China’s RRI infrastructure construction, sharp power, and social problems, Indo-Pacific strategies, and Asian election and parliamentary studies. Prior to that, Dr. Chen served as the Chair, Graduate Institute of Future Studies, Tamkang University (2006-2008) and earned the Ph.D. from the Ohio State University, USA. Parallel to his academic works, Dr. Chen has been actively involved in many civil society organizations and activities. He has been as the co-founder, president, Honorary president, Taiwan Asian Network for Free Elections(TANFREL) and attended many elections observation mission in Asia countries, including Philippine (2010), Thailand (2011), Mongolian (2012), Malaysia (2013 and 2018), Cambodian (2013), Nepal (2013), Sri Lanka (2015), Hong Kong (2016), Timor-Leste (2017), Indonesia (2019) and Philippine (2019). Prior to election mission, Dr. Chen served as the Standing Director of the Citizen Congress Watch (2007-2012) and the President of Taiwan Grassroots Alliance for Peace (2008-2013) and Taiwan Next Generation Educational Foundation (2014-2019). Dr. Chen works for the co-founders, president of China Belt Road Studies Association(CBRSA) and co-publisher Tamkang Journal of International and Regional Studies Quarterly (Chinese Journal). He also serves as the trustee board of Taiwan Foundation for Democracy(TFD) and Taiwan 2050 Educational Foundation.