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「チャーズ」の惨劇はなぜ長春で起きたのか? 蒋介石とカイロ宣言
1971年の「中華民国」の蒋介石総統(写真:Shutterstock/アフロ)
1971年の「中華民国」の蒋介石総統(写真:Shutterstock/アフロ).

1947-48年に起きた惨劇「チャーズ」が長春で起きた背景にはカイロ宣言がある。宣言には「日本が中国人から盗取した一切の地域を中華民国に返還する」とあり、その象徴が「満州国の新京(=長春)」だったからだ。蒋介石は「中華民国の領土主権は誰の手の中にあるか」を国際社会に示したかった。

◆カイロ会談が行われた背景

1943年11月22日、アメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相および「中華民国国民政府の蒋介石主席がエジプトのカイロに集まった。すでに趨勢が見えてきた第二次世界大戦(1939年~45年)の戦後処理を話し合うためである。その戦後処理は主として連合国側の対日基本方針に絞られていた。

なぜか。

それは当時の中国である「中華民国」の蒋介石が、日本(大日本帝国)と「中華民国の間で行われた日中戦争(1937年~45年)に抗して戦う「抗日戦争」を断念して、対日単独講和を結ぶ可能性があったからだ。

今さら言うまでもないが、第二次世界大戦はアメリカ、イギリス、フランス、(旧)ソ連および「中華民国」等の「連合国側」と、ドイツ、日本、イタリアの三国連盟を中心とする「枢軸国側」に分かれて戦われた戦いである。

しかし「中華民国」は「連合国側」としての恩恵に与ることができず、英米からの支援が少ないことに不満を持っていた。蒋介石夫人の宋美齢は国民党航空委員会秘書長として活躍し、1940年、その美貌も活かしてアメリカのフライイング・タイガーズ(Flying Tigers)(飛虎隊)の志願軍的協力を得ることに成功してはいた。しかしそれも、日本軍の空軍力に押されて1942年には解散している。蒋介石は劣勢に立たされていた。

特に当時の国民政府は親日派の南京政府と親米英派の重慶政府(中央政府)に分かれており、南京政府には汪兆銘が、重慶政府には蒋介石が君臨していた。ただし南京政府は日本傀儡政権であり、そこに仕えていたのが江沢民の実父である。汪兆銘は日本と戦う気はない。

実は米英寄りの蒋介石自身も、1910年に日本の振武学校を卒業したあと日本陸軍第十三師団第十九連隊に士官候補生として入隊した経験を持つ。本来が日本びいきだ。抗日戦争を継続すべきか停戦して講和条約を結ぶべきか、揺れ動いていたところがある。

特に中国共産党軍を敗退に追いやって「中華民国」を堅持し、汪兆銘に勝つことの方を優先しているという噂が囁かれ、連合国側に伝わっていた。

そこでアメリカのルーズベルト大統領はわざわざ蒋介石をカイロに呼んで、米英中三ヶ国「巨頭」として蒋介石を位置づけたのだ。共産党陣営のトップである旧ソ連のスターリンが日本敗戦後に共産圏に有利な陣営を布くことも警戒していただろう。ルーズベルトはチャーチルの反対を押し切って蒋介石を祭り上げ、対中支援をすることも約束。「だから日本が無条件降伏をするまで戦おう」と呼びかけ、蒋介石が日本との単独講和条約を結んで停戦してしまうことを禁じたのである。

◆蒋介石に「長春」を選ばせたカイロ宣言の中の文言

有頂天になったのは蒋介石。

米英のほかにソ連やフランスといった大国がある中、「中華民国」を連合国側の「三大巨頭」として扱ってくれたのだ。しかも「中華民国」のトップリーダーとして、私、蒋介石を特別の名指しでアメリカ大統領が指名して連絡してくれた。

筆者は蒋介石のそのときの心理を正確に読み解くために、蒋介石の手書きの日記が所蔵してあるアメリカのスタンフォード大学にあるフーバー研究所に通い詰めた。日記からは「どんなことでも約束しよう」という高揚感が伝わってくる。

43年12月1日、「カイロ宣言」がメディア公開された。

実は「カイロ宣言」には署名がなく、その有効性に対して、のちにチャーチルは否定しているが、しかし蒋介石にとっては、この上なく重要なものであった。

蒋介石が執着したのは「カイロ宣言」の中にある次の文言である。

***

It is their purpose that Japan shall be stripped of all the islands in the Pacific which she has seized or occupied since the beginning of the first World War in 1914. And that all the territories Japan has stolen from the Chinese, such as Manchuria, Formosa, and The Pescadores, shall be restored to the Republic of China.

(三大)同盟国の目的は、1914年の第一次世界戦争の開始以降において日本国が奪取し又は占領した太平洋における一切の島を日本国から)剥奪すること、並びに満州、台湾および澎湖島の如き、日本が中国人から盗取した一切の地域を中華民国に返還することにある。

***

この文言のために、蒋介石は「中華民国の領土主権は誰の手の中にあるか」を国際社会に対して明示したいという強烈な欲求に駆られたのである。

日本が中国「侵略」の拠点としていたのは「満州国」の国都として定めた「新京」。すなわち、長春だ。

その「長春」に誰がいるか、その「長春」を誰が支配しているかは、「中華民国の領土主権は誰の手の中に戻されたか」を示す以外の何ものでもない。

だから「長春」だけは手放してはならない。

こうして「長春食糧封鎖」が存在したのであり、もし「満州国」の国都が「新京」でなかったのならば、「長春食糧封鎖」は存在しなかったと筆者は確信する(長春食糧封鎖に関しては、6月27日のコラム<許せない習近平の歴史改ざん_もう一つのジェノサイド「チャーズ」>

もし「新京」が国都でなかったとすれば、蒋介石が早々に「長春」を手放して、戦争拠点としてはもっと有利な瀋陽を選んだだろうからだ。

1945年9月18日、中国共産党は瀋陽に中共東北局を設立している。しかし1946年3月12日には国民党が瀋陽を占領した。ソ連軍が撤退すると、蒋介石は瀋陽に国民党の選りすぐりの精鋭部隊(第一軍、第六軍、第十三軍、第五十二軍、第七十一軍、第七十一軍など)を結集させて、東北一帯における最大規模の軍隊と武器で固めた。

だから食糧封鎖されたあとの長春にいた国民党軍の食糧は、すべて瀋陽からの空輸に頼っていた。つまり食糧補給庫が瀋陽にあったのだから、瀋陽を拠点として戦った方がずっと有利だったはずだ。空路だけでなく、鉄道を使った陸路にしても葫蘆島を通した海路にしても、南京政府との交流がしやすい。

特に瀋陽には故宮がある。瀋陽故宮は明王朝や清王朝時代からの皇宮や離宮があり、辛亥革命により清王朝を倒して誕生した「中華民国」という視点に立てば、瀋陽を拠点とすべきだっただろう。

おまけに中国共産党軍が東北局を設立していた場所だ。それを占拠したという意味においても、「中華民族」同士の内戦なのだから、瀋陽を選ばない理由はなかったはずだ。

にもかかわらず、守りには不利な「長春」を選んだ。

このことから考えても、蒋介石がいかにカイロ宣言にこだわり、いかにそこにある「日本が中国人から盗取した一切の地域を中華民国に返還する」という文言にこだわったかが、明らかになる。

「満州国」がなかったら、そしてその国都が「新京(長春)」でなかったら、「長春食糧封鎖」はなかったと筆者は確信する。

長春を死守しようとしたために瀋陽からの空輸を余儀なくされた。その空輪も困難となり、雲南から派兵された国民革命軍第六十軍は食糧配給において冷遇された。それが共産党軍(中国人民解放軍)への寝返りにつながり、国民党軍は敗退した。

1948年10月17日のことだ。

実際に長春が「解放」されたのは10月19日。筆者の一家が長春を脱出した1ヶ月あとのことである。「解放」とは「中国人民解放軍が国民党に勝利すること」を指し、「国民党の圧政から人民を解放した」という意味合いから中国共産党が使う言葉だ。

長春陥落により、解放戦争は一気に共産党側に有利に進み、人民解放軍の南下に伴って中国全土がつぎつぎと「解放」され、1949年10月1日の中華人民共和国誕生につながっていくのである。

筆者は、その要の拠点にいたことになる(長春食糧封鎖の詳細は拙著『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』)。

◆台湾問題の深淵も「カイロ宣言」と関係 中華民国を国連脱退に追い込んだ日米の罪

8月5日のコラム<「台湾海峡の平和及び安定の維持に関するG7外相声明」を斬る>に書いたように、現在の台湾問題を招いた直接の原因は、アメリカが中華人民共和国(現在の中国)を選んで、中華民国(台湾)を国連脱退に追い込んだことにある。

しかし、もっと深い根源をたどっていくと、カイロ宣言の、本稿で引用した関連文言と密接に関連している。そこに「台湾、澎湖島」ともあるのを見逃さないようにして頂きたい。もっと正確に言うならば、ルーズベルトと蒋介石の間で交わされた「カイロ密談」に深く関係しているのである。

長くなるので、これに関しては、また別途書くつもりでいる。日本の皇居や天皇制を守ろうとし、日本を敗戦に追いやるに当たり、日本を徹底して破壊しようとはしていなかった蒋介石の日本への敬意が切ない。

だからこそ、なお一層、中国と国交正常化したいあまり、中国の要求に従って中華民国と断交し、中華民国を国連脱退へと追いやった日米の打算が許せないのである。

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。「中国問題グローバル研究所」所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(実業之日本社)、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略 世界はどう変わるのか』(PHP)、『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』(ビジネス社)、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤 誉 (著), 白井 一成 (著), 中国問題グローバル研究所 (編集)、実業之日本社)、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』(毎日新聞出版)、『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』(中文版・韓国語版もあり)、『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』、『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。 // Born in 1941 in China. After surviving the Chinese Revolutionary War, she moved to Japan in 1953. Director of Global Research Institute on Chinese Issues, Professor Emeritus at the University of Tsukuba, Doctor of Science. Member of the Japan Writers Association. She successively fulfilled the posts of guest researcher and professor at the Institute of Sociology, Chinese Academy of Social Sciences. Her publications include “Inside US-China Trade War” (Mainichi Shimbun Publishing), “’Chugoku Seizo 2025’ no Shogeki, Shukinpei ha Ima Nani o Mokurondeirunoka (Impact of “Made in China 2025” What is Xi Jinping aiming at Now?), “Motakuto Nihongun to Kyoboshita Otoko (Mao Zedong: The Man Who Conspired with the Japanese Army),” “Japanese Girl at the Siege of Changchun (including Chinese versions),” “Net Taikoku Chugogu, Genron o Meguru Koubou (Net Superpower China: Battle over Speech),” “Chugoku Doman Shinjinrui: Nihon no Anime to Manga ga Chugoku o Ugokasu (The New Breed of Chinese “Dongman”: Japanese Cartoons and Comics Animate China),” “Chugogu ga Shirikonbare to Tsunagarutoki (When China Gets Connected with Silicon Valley),” and many other books.

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