
習近平失脚説に関して、もう一つ解明しなければならない問題がある。
それは(共青団出身の)胡春華が習近平に代わってトップに躍り出るだろうという「噂」と「期待」と「もっともらしい裏付け」だ。その裏付けは「6月23日に開催された全国政治協商会議常務委員会の開幕会(≒開幕式)の司会を胡春華がした」という事実を、「胡春華が常務委員会を主催した」と誤解釈したことから始まる。そのため「遂に胡春華が表舞台に躍り出て、習近平に成り代わる」というイメージの解説が、日本でも一定のレベルのチャイナ・ウォッチャーから泉の如く湧きあがり、習近平失脚説を強固なものへと創り上げることに貢献している。
その誤解を招く根本にあるのは7月14日の論考<習近平失脚説 噂とフェイクと報道のフローチャートPartI>(以後、PartⅠ)や7月17日の論考<習近平失脚説 噂とフェイクと報道のフローチャートPartⅡ>(以後、PartⅡ)でご説明した拡散フローチャートだが、さらに胡春華に関しては、2022年10月の第20回党大会における胡錦濤の行動に関する「誤解」が定着して「邪推」を正当化する役割をしている。
遡(さかのぼ)れば、そもそも「なぜ2002年の第17回党大会で習近平が党内序列6位になり李克強が7位になったのか」という「中国共産党構造のイロハ」さえ知らない程度のチャイナ・ウォッチャーたちが「噂とフェイクを権威づけていった」という事情があることを発見した。そこまで解明しないと、習近平失脚説の真相を斬ることはできない。
◆「胡春華が全国政協常務委員会を初めて主催」という噂を斬る
中国では一般に「全国政協」と略され、日本では主として「全国政治協商会議」と言われている会議の正式名称は「中国人民政治協商会議全国委員会全体会議」である。これは毎年3月初旬に開催される「両会」の中の一つで、「全人代(全国人民代表大会)」と並んで、ほぼ同時に開催される。ここでは短い「全国政協」を用いる。
全人代も全国政協も、それぞれに「常務委員会」があり、全国政協の方の主席は、現在(第20回党大会で)王滬寧(おう・こねい)(チャイナ・セブンの党内序列4位)が務める。副主席はなんと23人もいて、そこにはやはり党内序列があり、序列1位は石泰峰で、2位が胡春華だ。
図表1に示したのは、主席である王滬寧以外の、23人の副主席の名前と、それぞれ両会における全国政協および全国政協常務委員会会議における司会を誰がしたかという一覧表である。
それも、それぞれに「開幕会(≒開会式)」と「全体会議」があるので、それぞれの「開幕会」と「全体会議」で誰が司会したかを図表に示した。
図表1:全国政協(両会)と常務委員会会議の司会(主持人)の一覧表

筆者作成
図表1では、両会において開かれる「全国政協」を赤地で縦に染め、年に数回(5回ほど)開かれる「全国政協常務委員会会議」の、「開幕会」の欄を緑色に染め、「全体会議」の欄を黄色で染めた。常務委員会開催の時期を通し番号で「1、2、3…」と記した。
両会の方の「全国政協」は【「開幕会」+「第一次全体会議」】がセットで行なわれるので、「第一次全体会議」は「開幕会」で代表させた。両会開催期間中に「第二次全体会議」および「第三次全体会議」が開かれることが多いので、それぞれ「二」あるいは「三」などで代表させて一覧表に記入した。
「全国政協常務委員会会議」の方は、基本的に「開幕会」と「全体会議」に分かれているのだが、両会開催中に開催される「全国政協常務委員会会議」は両会の一環という位置づけのためか「開幕会」はないので、図表1では「会議」(紫色)とのみ書いて他と区別している(6と12)。
本稿の考察の対象者は胡春華なので、胡春華の欄だけは赤で囲んである。
さて、問題の6月23日の全国政協常務委員会会議「開幕会」における状況を中国政府網に基づいて見てみよう。そこには「全国政协副主席胡春华主持开幕会(全国政協副主席胡春華が開幕会の司会をした)」と書いてある。ここにある「主持」というのは「司会をする(=議事進行をする)」という意味で、中国語では司会者のことを「主持人」と書く。
日本のチャイナ・ウォッチャーの中には、この「主持」を「主催」と勘違いして、「前代未聞のことが起きた」、「だから習近平失脚は正しいのだ」と騒いでいるのかもしれない。
しかし、図表1を詳細に見てほしい。
「全国政協常務委員会会議」の「開幕会」や「全体会議」を「主持」した副主席は、胡春華の前にいくらでもおり、しかも党内順位は胡春華よりも下だ。たとえば常務委員会番号の「2、3、4、7、8、9」の回の「全体会議」は、胡春華よりも党内順位が低い副主席が担当している。なぜ彼らが担当した時は「大変だ!副主席が担当したので、習近平が失脚する!」と騒がず、胡春華が担当した時だけ騒ぐのか?
さらに胡春華に関して言えば、2023年両会の「第二次全体会議」の司会を担当しているが、これは常務委員会の全体会議よりレベルが上だ。この時にはなぜ「大変だ――!」と騒がなかったのか?
おそらく、これらのチャイナ・ウォッチャーは図表1に示した中国政府や中国共産党の構造を何一つ知らないからだと思う。
中国共産党の構造を「全く分かっていないのだ」ということを如実に示した事例がある。それはPartⅠやPartⅡのフローチャートで示した番号「8」におけるTBSの番組である。
◆なぜ2007年第17回党大会で、習近平の党内順位が李克強よりも高かったのか?
「8」で示したのは、7月8日にTBSで報道された<「中国で権力の移行が起きている」”独裁”強めた習主席”失脚”あるのか【7月8日(火)#報道1930】|TBS NEWS DIG>だ。この番組にゲストとして招かれた「中国問題の専門家」は、全員が口を揃えて「なぜ2007年の第17回党大会で、習近平の党内順位が6位で李克強の党内順位が7位だったのか、これは永遠の謎だ」と嘆いた。そして「中国が民主化された時になってようやく分かるのかもしれない。どこかに記録はあるはずですから」という趣旨のことを、まさに異口同音に主張したのだ。
ギョッとした!
この人たちは、こんな中国共産党の「イロハ」を知らないで「習近平失脚説」を唱えているのかと、驚愕に近いものを覚えたのだ。
なぜかを以下に短く解説する(詳細は2012年に出版した拙著『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』で解説。当時、中共中央政治局常務委員会委員は9人だったので、筆者が「チャイナ・ナイン」と命名)。
2006年9月、江沢民の子飼いで上海市書記だった陳良宇が大規模汚職事件で失脚した(2007年逮捕)。江沢民が胡錦涛政権を倒すために陳良宇にクーデターを起こさせようとしていたことを胡錦涛が派遣していたスパイが探知したのだ。江沢民は慌てた。そこで江沢民の大番頭だった曽慶紅が急遽、浙江省の書記をしていた習近平を上海市書記に引っ張ってきた(2007年3月)。曽慶紅と習近平は、習近平が清華大学卒業後に、副総理および中央軍事委員会常務委員であった耿飈(こう・ひょう、ゲン・ビャオ)の秘書を務めていた時期に知り合い、習近平は曽慶紅のことを「慶紅兄さん」と呼んで慕った。
江沢民はあまり喜ばなかったが、曽慶紅のアドバイスを聞き入れて、自分の采配の下で動く「新たな子飼い」として習近平を「次期チャイナ・ナイン」に送りこむことを画策した。
胡錦涛政権第二期のチャイナ・ナイン9人の内、6人は完全に江沢民派によって占められていた。全て多数決議決で決めていくので、江沢民の意向はそのままチャイナ・ナインの意向として反映される。
江沢民は大の共青団嫌いだ。日本敗戦後に慌てて共産党員になったくらいで、日中戦争中は父親が日本の傀儡政権であった汪兆銘政権の官吏だったことから、ピアノも弾ければダンスも踊れる。多少の日本語さえ話せる。共産党のことは軽蔑していた。共産党員を純粋培養させる共青団を嫌っていた。だから共青団系列である胡錦涛政権を倒そうとしていたし、胡錦涛の愛弟子・李克強が次のトップになることを何としても防ごうとした。その結果、2007年代7回党大会で習近平の党内序列が第6位、李克強が第7位となったのである。
この基本中の基本を、TBSの番組に出たチャイナ・ウォッチャーたちは、誰ひとり知らなかったのである。このような人たちが、フェイク情報に操られて中国を分析し、日本の将来を決めていくのかと思うと恐ろしい。習近平が失脚しても日本国民が幸せになるわけではない。中国共産党が中国を支配していくことに変化はないのだから。
◆第20回党大会閉幕式で胡錦涛が途中退場した理由
2022年10月22日、第20回党大会閉幕式で「胡錦濤前総書記が何らかの理由によって途中退席を求められ、会場外に連れ出された事件」に関して、退出させられた理由として「中共中央政治局の中に胡春華の名前がないことを突然知ったから」というのが通説になっている。
しかしこれは完全な虚偽だ。
なぜなら党大会閉幕式で選出されるのは「中共中央委員会委員」であって、「中共中央政治局委員や政治協常務委員は、党大会閉幕後に開催される一中全会(中共中央委員会第一回全大会議)において投票選出されるからだ。第20回党大会における一中全会は10月23日に開催された。そこで初めて中央委員会委員によって中共中央政治局委員とその常務委員が決まる。
10月22日の閉幕式における中共中央委員会委員の中には胡春華の名前はあった。この時点で政治局委員やその常務委員会の名簿は「絶対に!」出てこない。
それが出てくるのは23日の一中全会においてだ。
したがって「中共中央政治局委員の名簿の中に胡春華の名前がない」ということを知ることは「絶対に!」できない。
胡錦濤が退場しなければならなかったのは、あくまでも認知症が進んでいてそれが党大会で世界に知れわたるのを防ぐためであった。筆者はそのことを2022年10月30日の論考<胡錦涛中途退席の真相:胡錦涛は主席団代表なので全て事前に知っていた>で書いた。『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』でも詳述した。
しかしどうやらWikipediaの<胡錦濤中国共産党大会途中退席事件>を見ると、中国問題研究者の峯村健司氏が「匿名の米国政府高官の言葉を引用し、胡錦濤は中国共産党第20回全国代表大会の閉会日の朝に、政治局委員の数が25人から24人に減員され、胡春華が政治局委員から外されたことを知らされたからだ」と書いていることを知った。
峯村氏は、「政治局委員の名簿が出てくるのは、党大会閉幕翌日の一中全会においてである」という歴然たる事実を知らないのだろうか?峯村氏はもっと根性のある研究者かと一目置いていたが、「米政府高官」と書けば権威が付くという浅墓な了見をお持ちだとしたら、中国問題研究者としては失格だ。PartⅡのフローチャート「6」や「10」など、米政府高官などの情報源は大紀元(法輪功)であることに注意されたい。
◆江沢民葬儀場における習近平と胡錦濤
2022年12月5日に江沢民の葬儀に関する映像がCCTVで報道された。その中で目立ったのは、習近平の次に現役ではない胡錦濤が並んでいて、胡錦濤には特別に介助をする人物が付き添っていたことである。それを図表2に示す。
図表2:江沢民の葬儀に参列する習近平と胡錦濤および胡錦濤の介助人

CCTVの映像をスクリーンショットして転載の上、筆者が矢印などで人物や状況を加筆説明
図2あるいは江沢民の葬儀に関する映像を詳細にご覧になると、介助人は常に手を差し伸べて胡錦濤を支えている。介助人だけは党のメンバーではないので、胸に「工作证(証)」という名札を付けている。胡錦濤の介助をするために特別に入場が許されたことを証明する許可証だろう。この人は2022年10月30日の論考<胡錦涛中途退席の真相:胡錦涛は主席団代表なので全て事前に知っていた>で「ボディガード」と書いた人と、同一人物だ。CCTVのリンク先をご覧になると明確だが、胡錦濤と介助人だけはコートを着ずに背広姿だ。火葬場の八宝山まで行く体力はないことを自覚していて、最初から行かないと決めていたのだと思う。火葬場には胡錦濤の姿はない。
これでもなお、一中全会でしか示されない政治局常務委員とその常務委員の名簿が党大会閉幕式で示され、その中に胡春華の名前がないのを胡錦濤が初めて知って騒いだために退場させられたという「物語」を創り上げて喜んでいる人たちは、そのフェイクを主張し続ける気だろうか?真実の前に謙虚であるべきではないのか?
◆2025年7月7日以降も精力的に外交活動を継続している習近平
7月7日に抗日戦争で中国共産党軍が唯一大規模な戦いをした「百団大戦」記念館を訪問して以来、習近平は精力的に外交活動をこなしている。
7月15日午前にオーストラリア首相と会談し、同日午前に上海協力機構外相理事会の代表と会談し、さらにその日の午後にはロシア外相と会談している。図表3に示したのはオーストラリア首相との会談前の記念写真だ。
図表3:2025年7月15日、オーストラリア首相と握手する習近平

新華網から転載
7月24日には第25回中国・EU首脳会議に出席するため訪中したフォンデアライエン欧州委員長などEU代表団と人民大会堂で会談した。その時の写真を図表4に示す。
図表4:EU代表団と会談する習近平など中国側代表

2025年7月24日に北京で開催された中国―EU首脳会談(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)
このように習近平は精力的に活動しており、「もう危篤だ」といった偽情報は完全に否定されるが、ただ習近平には「時差に弱い」という特徴はある。
なお、「習近平失脚説」を論じたがる人々はみな、習近平政権によって、どれだけハイテク新産業分野で中国が世界を制覇しているかを見ようとはしない。中国の脅威は、実はここにこそある。詳細は拙著『米中新産業WAR』で述べたが、米軍の武器さえ中国製品なしでは製造できないため、トランプは中国に対して思ったほど高圧的な態度には出られない。その側面を無視して中国経済崩壊論に夢中になるのは、日本国のためにならないことを最後に付言しておきたい。
この論考はYahoo!ニュース エキスパートより転載しました。

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