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100年前の建党時から中国共産党に貢献していた日本
7月1日に中国共産党建党100周年を迎える(写真:ロイター/アフロ)
7月1日に中国共産党建党100周年を迎える(写真:ロイター/アフロ)

中国共産党の建党にソ連のコミンテルンが寄与したのは確かだが、100年の歴史を見た時に、建党から始まり今日に至るまで最も貢献したのは日本だ。1921年の第一回党大会には「赴日代表」という分類さえあったほどである。日本はひたすら中国共産党を強化するために動いている。

◆第一回党大会参加者10余名の中に「赴日代表」という分類があった

中国共産党の建党を意味する第一回党大会は1921年7月23日から31日まで上海で開催された。この頃はまだ蒋介石率いる国民党が統治する「中華民国」の時代だったので、国民党政府に邪魔されて資料が散り散りになり正確な日時が確認できなくなったために、1941年6月に開催した「建党20周年記念大会」で、区切りのいい「7月1日」を建党記念日とした。

第一回党大会のとき「党代表」の分類は「北京代表、上海代表、武漢代表、長沙代表、済南代表、広州代表」以外に「赴日代表」(赴日=日本留学)というのがあった。

参加者は一応「13名」となっているが、これを「11名」とする記録もある。なかなか上海にたどり着けないので、「代理」に参加してもらった人もいるため、不確定となっている。

日本人にとって興味深いのは、代理出席も含めた13名の中に、日本留学経験者が、なんと、5名もいたということだ。半分に近い者が日本に留学していたということである。

◆なぜ第一回党大会の約半数が日本留学経験者だったのか

では、なぜかくも多くの共産党員が日本留学経験者だったのだろうか?

それはアヘン戦争(1840-42年)や第二次アヘン戦争(アロー戦争)(1856-60年)によって、清朝は近代ヨーロッパの軍事的優位を痛感したため、洋務運動(1860年代前半 -1890年代前半)が始まって欧米留学者が増え始めたのだが、日清戦争(1894~95年)に敗北した清王朝で日本留学が一気に盛んになったからだ。

そのため孫文(孫中山)や蒋介石あるいは魯迅など数多くの知識人が日本留学を果たしている。

欧米よりも日本留学を選んだ人が多かった理由の一つには、日本を通して欧米の事情を知ることができるというのと、何よりも日本が近いという背景があった。お金も日にちも掛からない。おまけに漢字圏なので拾い読みすれば基本通じる。

そんなわけで1948年に、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって書かれた『共産党宣言』(ドイツ語)を含めた多くのマルクスの書籍あるいは論文は、日本語版を中国語に翻訳したものが多い。

特に毛沢東の唯一の恩師である楊昌済は、1903年に日本に留学して弘文学院で日本語を学習した後、東京高等師範学校(現・筑波大学)に入学して1909年まで教育学を学んでいる。楊昌済は、毛沢東が通っていた湖南第四師範学校で教科書としてドイツ人哲学者、フリードリッヒ・パウルゼンが著した『倫理学原理』を使ったが、これは日本人の蟹江義丸がドイツ語から英訳されていたものを日本語に翻訳し、それを後に北京大学の学長となる蔡元培が日本語から中国語に翻訳したものだった。

この『倫理学原理』が毛沢東をマルクス主義へと誘(いざな)い、やがてはここから「マルクス主義の中国化」という中国共産党の柱となる論理が生まれていく。

◆日中戦争時に日本軍と結託した毛沢東

6月21日のコラム<中国共産党建党100周年にかける習近平――狙いは鄧小平の希薄化>で述べたように、毛沢東率いる中国共産党軍(紅軍)は蔣介石率いる国民党軍に追われて1934年に江西省瑞金に築いていた中華ソビエト政府を放棄して「長征」を始める。

1936年に中国共産党軍全軍が陝西省延安にたどり着くが、このとき中国共産党軍は貧乏のどん底にあった。

そこで毛沢東は周恩来の配下の藩漢年を遣わして張学長を誘い込み西安事変(1936年12月)を起こし、蒋介石を拉致して1937年から国共合作に追い込んだ。それにより国民党軍の禄を食(は)み、経費的に生き延びる道を求めた。その一方で国民党軍が戦っている相手である日本との結託を謀るのである。

1938年、中共のスパイ藩漢年を、今度は上海にある日本の外務省所管の岩井公館の岩井英一に接近させて、日本側に国民党軍の軍事情報を高く売りつけた。国共合作により国民党軍の軍事情報と共産党軍の軍事情報を共有することとなったので、国民党軍の軍事情報は容易に手に入る。それを日本側に売りつけて、日本軍が蒋介石・国民党軍を倒しやすいように仕向けていった。

毛沢東は共産党軍の軍力の70%は共産党軍の強化に充て、20%を国民党軍との妥協(協力)に充て、10%を日本軍との戦いに充てるという指示を出している。

その上で藩漢年に岩井英一に対して「日本軍と共産党軍との間の停戦」を申し込ませている事実が、岩井英一の回想録に明記してある。

日本が敗戦した時には、毛沢東は「あともう1年長く戦ってくれればよかったのに」とこぼしたほどだ。こうして毛沢東の「日本軍の中国進攻に感謝する」という言葉が出てくるのである(拙著『毛沢東 日本軍と共謀した男』で詳述)。

◆日中戦争中に膨れ上がった中国共産党軍

瑞金を出発した中国共産党軍の「紅一方面軍」9万人程度は、1935年10月に延安に着いた時には7000人程度にまで減り、「紅四方面軍」は1935年5月の約8万人 から 1936年10月に延安に着いた時には約3万人強になっていた。紅軍の他の方面軍を合計しても合計で数万人に満たなかった。

ところが日本からの支援のお陰で、日本が敗戦した時には中国共産党軍の数は130万人にまで膨れ上がり民兵は250万人以上いると、毛沢東は1945年10月25日に言っている。  日中戦争の間、日本軍と戦わずに(10%の戦力しか使わずに)戦力を温存してきた中国共産党軍は、国共内戦が始まると国民党軍を圧倒し、1949年10月1日に中華人民共和国が誕生した時には中国共産党軍(人民解放軍)は550万人にまで達していた。

毛沢東の戦略がうまかったと言えばそれまでだが、日本軍と結託して国民党軍を倒していたのだから、中華民族を裏切っていたということができる。日中戦争時代に岩井公館からせしめた情報提供料(外務省機密費=日本国民の税金!)は主として印刷費に回され、大衆を扇動する力に注がれていったと言っていいだろう。

◆天安門事件で中国共産党の温存を図ってあげた日本

もう、あまりに何度も繰り返し書いてきたので繰り返したくはないが、しかし、やはり言わねばなるまい。

天安門事件後の対中経済封鎖を日本が破ったのは、現在の中国の経済繁栄と中国共産党の横暴を許した点に於いて「万死に値する」と、拙著『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』で書いた。

「自由で開かれたインド太平洋戦略」を「自由で開かれたインド太平洋構想」にし、さらに「戦略」も「構想」も習近平への忖度のために削除して、ただ単なる「自由で開かれたインド太平洋」という「地域名」にしていることが象徴しているように、今もなお日本の、中国への「貢献」はやんでいない。

◆対中ODA支援は最終的に今年度末に終わる

そもそも、日本が天安門事件によって崩壊寸前の中国共産党による一党支配体制を支援したために中国が今日の経済大国に成長し、そのために膨大な軍事費を注いで中国の軍事力を高めることにつながっている。

だというのに、その結果、2010年にはGDPの絶対値が日本よりも大きくなったというのに、2018年まで新規ODA(=日本国民の血税!)を停止しなかったとは何ごとか!

外務省のHPには「2006年の一般無償資金協力終了及び2007年の円借款の新規供与終了以降,日本国民の生活に直接影響する越境公害,感染症等協力の必要性が真に認められる分野における技術協力,草の根・人間の安全保障無償資金協力などのごく限られたものを実施してきた」が、「2018年10月、対中ODAの新規採用を終了させる」こととなり、「すでに採択済の複数年度の継続案件については,2021年度末をもって全て終了する」と書いてある。

つまり来年の3月にようやく完全に終わるのだ。

尖閣諸島の領海侵入に対して「遺憾である」という言葉だけしか言えない日本は、中国軍を強化するために使われている日本国民の血税を、ODAとして、今もなお中国に献上しているのである。

6月19日のコラム<G7「一帯一路」対抗策は中国に痛手か_その2:対アフリカ中国債務はわずか20%>の末尾に、菅首相は17日の記者会見で「私は対中包囲網なんか作りませんから」と述べたと書いた。

中国を最大の貿易国とする日本は、ウイグルの人権問題に対して制裁を決議することができるマグニツキー法案を、今国会で取り上げなかった。

米中が覇権を争う中において、中国は日本に微笑みかけている。

半導体チップが欲しいし、日米を離間させたいとも思っている。

100年経ってもなお、日本は中国共産党の維持と発展に寄与していくつもりだろうか。

来年は日中国交正常化50周年記念なので、菅政権がまだ「中止する」と言っていない習近平の国賓訪日を実現させる可能性が残っている。こうして米中覇権争いにおいて中国に有利な状況を再生産していくつもりなのだ。

自民公明両党には、中国共産党100年の歴史を直視しろと言いたい。

(本論はYahooニュース個人からの転載である)

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。「中国問題グローバル研究所」所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』(PHP新書)、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(実業之日本社)、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略 世界はどう変わるのか』(PHP)、『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』(ビジネス社)、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤 誉 (著), 白井 一成 (著), 中国問題グローバル研究所 (編集)、実業之日本社)、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』(毎日新聞出版)、『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』(中文版・韓国語版もあり)、『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』、『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。7月初旬に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』(ビジネス社)を出版予定。 // Born in 1941 in China. After surviving the Chinese Revolutionary War, she moved to Japan in 1953. Director of Global Research Institute on Chinese Issues, Professor Emeritus at the University of Tsukuba, Doctor of Science. Member of the Japan Writers Association. She successively fulfilled the posts of guest researcher and professor at the Institute of Sociology, Chinese Academy of Social Sciences. Her publications include “Inside US-China Trade War” (Mainichi Shimbun Publishing), “’Chugoku Seizo 2025’ no Shogeki, Shukinpei ha Ima Nani o Mokurondeirunoka (Impact of “Made in China 2025” What is Xi Jinping aiming at Now?), “Motakuto Nihongun to Kyoboshita Otoko (Mao Zedong: The Man Who Conspired with the Japanese Army),” “Japanese Girl at the Siege of Changchun (including Chinese versions),” “Net Taikoku Chugogu, Genron o Meguru Koubou (Net Superpower China: Battle over Speech),” “Chugoku Doman Shinjinrui: Nihon no Anime to Manga ga Chugoku o Ugokasu (The New Breed of Chinese “Dongman”: Japanese Cartoons and Comics Animate China),” “Chugogu ga Shirikonbare to Tsunagarutoki (When China Gets Connected with Silicon Valley),” and many other books.

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