言語別アーカイブ
基本操作
狙われる企業
2020年11月18日
上場中止のアントグループ (Photo provided by : Featurechina/アフロ)
上場中止のアントグループ (Photo provided by : Featurechina/アフロ)

中国市場に衝撃の1週間

中国の40年に及ぶ株式の発行と取引を巡る歴史の中で、極めて重要な1週間だった。その週には本来なら、アント・グループの上海と香港の両市場への上場が完結するはずだった。新規株式上場(IPO)による調達額は史上最高の350億米ドル以上、企業価値は約3,500億米ドルと見込まれていた。トランプ政権下の米国と世界全体に対し、中国の金融と企業が文字通り世界一であることを示すにはこれ以上ない機会になるはずだった。ところがニュースで伝えられたのは、米国大統領選挙ではなく、48時間後に迫った上場に規制当局がどこでどのように待ったをかけたかだった。投資家たちはすでに応募し、資金の払い込みも終えていた。

中国が資本市場の開放のために実施した改革を理解するためには、同じ週に起きた2つの出来事を振り返っておくのが有益だろう。最も重要なのは、外国の銀行、証券会社、ファンドマネジャー、その他の金融機関が、中国の債券や株式の市場に投資することを認める適格外国機関投資家規則(QFII)の改正が、正式に施行されたことだ。この枠組みは2002年に初めて導入され、何度も変更されてきたが、今回の改定では、外国企業に市場を全面開放し、国内投資家と同等のアクセスと処遇を認めた。投資家登録プロセスは劇的に簡素化され、資金の送金と本国への還流が簡単になり、認められる投資対象の範囲も文字通り中国内のあらゆる種類の金融証券に拡大された。これまで中国に対する外国人投資家の大きな不満はアクセスだった。つまり、中国への参入自体が困難かつ面倒であり、承認されたとしても、資金の移動や投資機会の範囲が限定されていた。この問題は今や解決され、中国市場はビジネスに開放された。

2つ目の大きな進展は、ナインボットという比較的小さな赤字企業の上場だ。電動スクーターなどのメーカーで、非中国企業であることを除けば、さほど関心は集めていない。法律上はケイマン諸島に設立され、変動持分事業体(VIE)というストラクチャーを利用して、オフショアのケイマン企業が中国国内の事業から利益を得られるようになっている。このストラクチャーを利用すれば、外資を制限または禁止している分野のオンショア事業から外国企業が利益を得ることができ、以前から法的には控え目にみてもグレーゾーンであるとされてきた。米国に上場した多くの中国企業、特にテクノロジー分野の企業が、こうしたストラクチャーを採用している。2018年まで中国の上場規則では、中国に本拠を置く企業のみに中国国内での上場を認めていたため、中国国内の投資家は、日常生活の一部としてなじみのある企業に投資する手段を事実上持たなかった。この規則の変更と上場の成功により、オフショア構造を持つこうした企業の多くは、上場に当たってナスダックや香港に目を向ける必要がなく、今や自国で直接上場できることが示された。その方が見込める評価額がオフショアよりもほぼ確実に高くなる。

さて問題の週は、注目を集めるアント・グループの上場で締めくくられるはずだった。習近平氏の肝いりプロジェクトとして2年前に発表されたばかりの上海の科創板(STAR)市場に加え香港市場でも上場を計画しており、その巨額IPOは規模の点で中国市場にとっては画期的なものとなるだけでなく、オンライン金融企業が中国内でどれほど大きなプレーヤーになったかを示すものでもあった。評価額についても、アントは中国の国有銀行をいずれも上回り、世界最大の銀行であるJPモルガンもほぼ間違いなく上回っただろう。オンライン金融分野では、中国以外の企業でアント・グループに匹敵する規模や顧客範囲を有する企業は存在しないのだ。

アント・グループはアリババ・グループの決済システムであるアリペイから発展した。電子決済は依然として同社のビジネスの主力を占めているが、成長はオンライン融資プラットフォームが原動力となっている。これは、オンライン・コマースのビッグデータを、小売業や小規模ビジネス向けの小口融資と組み合わせたものである。多くの小規模銀行と協力することにより、2,500億米ドルを超える額の融資を実現できた一方で、こうした融資に対して多額の資本準備金を持つ必要は生じなかった。巨大テクノロジー企業が、既存の業界を破壊しながらその業界に対する規制の枠組みの適用を回避できたケースの1つといえる。しかし、これが変わろうとしている。

アント・グループの成功は誰にも分かりやすい。同社のモバイル決済と金融サービスの台頭は、中国で携帯電話を持っている者には明らかであり、IPOは単に時間の問題となっていた。STAR市場への上場は、習近平氏の肝いりプロジェクトを直接支持する賢明な政治的判断のように思われた。上場の登録と承認は、香港と上海の両取引所で記録的なスピードで行われたが、企業規模の大きさと変化する規制環境を考えると、おそらく早急過ぎたのだろう。中国政府はここ何年もの間、金融リスクをコントロールする必要性を公言してきた。数年前にはほぼ野放しになっていた個人間(P2P)融資業界で詐欺や倒産が多く起きたことから、オンライン金融にはいずれ規制要件が導入され、成長は抑制されるだろうとずっと予想されていた。また、革新性の低い大規模な国有銀行が、アントのような規制を受けていない企業の成長をねたみ、困惑しているという政治的な事情も生じていた。中国最大の銀行でさえ、アリババやテンセント(ウィーチャット)といった巨大オンライン企業のような広い顧客層を持っていない。上場プロセスが大詰めを迎えていた時期に、上海で開かれた外灘(バンド)金融サミットで講演を行った馬雲(ジャック・マー)氏は憤った様子で中国の既存の金融秩序や規制のアプローチを直接批判した。この批判がどれほど重要なものであったかについては議論の余地が残るだろう。しかし、数日のうちにオンライン金融に対する規制草案が公表され、馬雲氏とアント・グループの経営陣は規制当局に呼び出され、IPOは保留となった。

市場には何がまずかったのかと疑問が残された。なぜ直前になって保留となったのか。 アントの経営陣は投資家のための規制を軽んじ、ひいてはバランスシート上のリスクを軽視していたのか。 中国の規制当局は、馬雲氏の発言に激高して行動に出たのか、それとも新しい規制により命運が大きく変わろうとする企業から投資家を守るためにふさわしい動きをしたのだろうか。 市場は下落こそしなかったが、当局の対応にショックを受けたようだ。つい1週間前には上海証券取引所の世界投資家会議で、中国証券監督管理委員会(CSRC)と中国国家外貨管理局(SAFE)が、中国への新規投資申請をどの程度迅速に処理するかを競ったばかりだったからだ。

企業には一段と厳しい環境

このような画期的なIPOの土壇場でのキャンセルは、中国でさえ前例がない。投資家の需要が弱いため取りやめたり延期したりすることはあり得るが、今回のIPOには3兆米ドル、つまり調達予定額の100倍というとてつもないほどの応募があった。上場保留で明らかになったのは、中国でビジネスを行うための政治的環境がますます厳しくなっていることだ。馬雲氏は、最も著名な中国たたき上げの起業家であり、アリババやアント・グループの成功は誰も否定できず、ビジネス界の真のスーパースターになった。しかし、共産党員であり党に対する支持を公言している馬雲氏でさえ、党は自らが望む時にいつでも行動を起こす意志があるという情け容赦ない教訓を得ることになってしまった。馬雲氏への仕打ちは、中国の有力民間企業グループに対する締め付けに続くものである。王健林氏(万達集団)、郭広昌氏(復星集団)、肖建華氏(明天集団)、呉小暉氏(安邦保険集団)がその例だ。いずれも、海外に進出したり、国内で爆発的な成長を遂げたりした野心家だが、国家が介入して勢いを削いだり、グループを解体したり、また場合によっては経営者自身が刑務所に送られたり、身柄を拘束されたりしている。肖建華氏の場合は、香港から不法に連れ出され、その所在は不明のままだ。馬雲氏は今のところ軽い罰で済んでいる。

しかし、中国での事業に苦労しているのは国内の企業グループだけではない。中国では党への忠誠心が最重要であり、国家計画の中心になっているのは国有企業ばかりだ。香港では過去18カ月にわたる抗議活動が続いた後、企業は中国政府の指導部の意思を和らげようとする試みにたじろぐようになった。ただ静かに座って自分の仕事をしているだけでは党にとって十分ではなく、政府の行動に対する忠誠と支持を明確に表明することが求められている。

キャセイパシフィック航空は、香港の抗議活動の最初の犠牲者となった。同社は香港のフラッグキャリアでブランド力も強いが、スタッフが多くの抗議活動に参加したため、複数の上級幹部が辞任を余儀なくされた。あるフライトではよく知られた抗議スローガンを機内で放送した社員が、その後退社する事態もあった。中国政府の対応は、抗議活動の支持者による中国領空の飛行を禁止することだった。同社は香港政情不安の下でひどい打撃を受け、新型コロナウイルスの流行で業績はさらに悪化、政府の支援に加え人員とフライトの大幅な削減で何とか生き延びている。

香港のもう一つの巨大企業、HSBCは、かつては単に「銀行」として知られていたが、今は抗議者たちの怒りと北京の怒りの板挟みになっている。同行は、抗議活動を支持するグループに関連すると疑われる金融取引について報告してデモ隊を怒らせた一方、国家安全維持法を支持すると明言しなかったため中国政府の怒りを買った。また、国に対する忠誠心が欠如していていると、香港特別行政区前行政長官である梁振英氏から非難された。このような政治的地雷原を企業はどうやって進むことができるのだろうか。

HSBCやキャセイ、その他の企業も安心感を得たいだろう。しかし馬雲氏でさえ、中国の体制に関わる政治や規制に対処する際に、正しいバランスを判断できないように見える。IPOの延期は、馬雲氏の発言に対する直接的な反応だという説明は分かりやすく、事実その通りかもしれないが、もしそうなら、馬雲氏は自分が冒したリスクに本当に気付かなかったのだろうか。 他の大物企業家が事業を国家にかき乱されていく中で、馬雲氏はアリババ・グループに過度の注目が集まるのを巧みに避けていたようだ。実際に彼はアント・グループの支配権を維持しつつも、アリババ・グループの株式と持分をほとんど売却していた。馬雲氏は中国共産党員であり、自分の会社が国と党に貢献するよう請け合うと積極的に発言しており、その点では、少なくとも権力を拡大する習近平氏の風に乗っているように見えた。

江沢民氏は1990年代、共産党に起業家や資本家を迎え入れた。民間部門の役割は否定できず、近代的な国家の建設や発展にとって前向きかつ必要な要素だった。対照的に習氏は、国有企業の中心的な役割を強調し、民間企業がいかに党を支え国家建設に助力すべきかということを主張することに躊躇がない。受け身ではなくて能動的であるべきで、すべての上場企業は党の細胞組織を持たなければならず、ビジネス戦略よりも党に従うことが優先される。外国企業にとっては、こうした立場を取るのはとてつもなく異例かつ困難であり、またはるかに緩やかな政治環境でビジネスを構築してきた起業家にとっては、習氏の下での変化はとても歓迎できないことだが、あえてそう言う人はあまりいない。

投資家は今回の上場延期を振り返って、規制当局に感謝することだろう。アント・グループが今後数ヵ月のうちに市場に戻ることは間違いないが、評価額は著しく低下するはずだ。今回の延期は、中国のビジネス環境が変化したことを明確に伝えている。最も成功した起業家でさえ見下げられ、政治や規制の環境をうまく乗り切れないのであれば、他の起業家もまたつまずくだろう。

中国が必死で国内の産業を管理・規制しながら、国際舞台でもより大きな影響力を行使するようになれば、ますます多くの企業が中国と衝突するだろう。企業によっては、従業員や株主を離反させるリスクのある難しい選択に直面するだろうし、ビジネスを失う恐れもあるだろう。中国はビジネスに門戸を開いているかもしれない。しかし、だからといってルールや境界線が常に明確で、政治が介入しないということを意味するわけではない。

フレイザー・ハウイー(Howie, Fraser)|アナリスト。ケンブリッジ大学で物理を専攻し、北京語言文化大学で中国語を学んだのち、20年以上にわたりアジア株を中心に取引と分析、執筆活動を行う。この間、香港、北京、シンガポールでベアリングス銀行、バンカース・トラスト、モルガン・スタンレー、中国国際金融(CICC)に勤務。2003年から2012年まではフランス系証券会社のCLSAアジア・パシフィック・マーケッツ(シンガポール)で上場派生商品と疑似ストックオプション担当の代表取締役を務めた。「エコノミスト」誌2011年ブック・オブ・ザ・イヤーを受賞し、ブルームバーグのビジネス書トップ10に選ばれた“Red Capitalism : The Fragile Financial Foundations of China's Extraordinary Rise”(赤い資本主義:中国の並外れた成長と脆弱な金融基盤)をはじめ、3冊の共著書がある。「ウォール・ストリート・ジャーナル」、「フォーリン・ポリシー」、「チャイナ・エコノミック・クォータリー」、「日経アジアレビュー」に定期的に寄稿するほか、CNBC、ブルームバーグ、BBCにコメンテーターとして頻繫に登場している。 // Fraser Howie is co-author of three books on the Chinese financial system, Red Capitalism: The Fragile Financial Foundations of China’s Extraordinary Rise (named a Book of the Year 2011 by The Economist magazine and one of the top ten business books of the year by Bloomberg), Privatizing China: Inside China’s Stock Markets and “To Get Rich is Glorious” China’s Stock Market in the ‘80s and ‘90s. He studied Natural Sciences (Physics) at Cambridge University and Chinese at Beijing Language and Culture University and for over twenty years has been trading, analyzing and writing about Asian stock markets. During that time he has worked in Hong Kong Beijing and Singapore. He has worked for Baring Securities, Bankers Trust, Morgan Stanley, CICC and from 2003 to 2012 he worked at CLSA as a Managing Director in the Listed Derivatives and Synthetic Equity department. His work has been published in the Wall Street Journal, Foreign Policy, China Economic Quarterly and the Nikkei Asian Review, and is a regular commentator on CNBC, Bloomberg and the BBC.