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新型コロナウイルスで見える米中関係
中国で新型ウイルス肺炎拡大 武漢滞在の米国人、2週間の隔離終了
中国で新型ウイルス肺炎拡大 武漢滞在の米国人、2週間の隔離終了(提供:ZUMA Press/アフロ)

米中間で第1段階の貿易合意が成立したのはわずか5週間前だが、随分昔のことのように思える。合意は米中関係の再出発になるはずのもので、焦点は合意内容の実施と遵守だった。米国の農家は中国からの買い付け保証に活気づいた。当局関係者は第2段階の交渉について聞かれると、交渉に入る緊急性は高くなく、その時期は米大統領選後になるかもしれないとして、当面は第1段階合意の円滑な実施確保が目標であることを示唆した。

しかしその後、正式には「Covid-19」と呼ばれる「武漢インフルエンザ」が、中国のあらゆるニュースを呑み込んでしまった。貿易合意で当時どんな約束がなされたにせよ、中国では人口の半分がこの1カ月間ほとんど外出していない。貿易合意がどんな段階にあったとしても、中国はもちろん、アジア全体の人々にとって、それは生存や安全の確保に比べれば二の次になった。新型コロナウイルスの影響は、中国が実施した前例のない措置への反応も含めて、全世界に広がっている。豪州クイーンズランドの畜産農家は、中国向けの冷凍肉を出荷できない状態になっている。中国の港湾が波止場の荷動き全面停止で満杯になっているからだ。世界の国々が中国人の入国を禁止した。韓国、日本、タイ、シンガポールなど近隣諸国の国民も、各国から入国禁止や隔離の制限を受けている。シンガポールでは、中国への渡航歴があるだけでなく、今後5カ月以内に中国を訪問する可能性のある市民にも詳細の報告を求めている。

このウイルスの発生で、米中関係や第1段階の貿易合意はどうなるのだろうか。米国との貿易合意における購入約束を中国が守れるかどうか疑問が高まっているが、それは驚くに当たらない。貿易合意の調印後数週間は、経済全体に幅広く及ぶ景気刺激策が発動されていた上、新型ウイルスの影響は比較的短期間で終結すると予想されていたため、通年の経済成長率や企業業績はさほど影響を受けないとみられていた。株式市場には明らかにこうした見方が反映されていた。経済が停滞する中でさえ、米金融会社オークツリー・キャピタルは、中国の巨大な不良債権市場に参入するライセンスを確保したと発表した。その背景に、貿易合意第4章に金融サービスの取り決めがあったことは明らかである。つまり、期待されていたように少なくとも一定の進展はあったということだ。

またトランプ大統領が最近、対欧州貿易に注目すると発表したことも、米中関係がかつてほど問題ではなくなっていることを窺わせた。トランプ氏は、大統領選のシーズンに入るために合意に調印したのであって、彼にとっては既に済んだ仕事だった。

しかし、「Covid-19」が米中関係を平穏にさせなかった。ウイルスの感染拡大が続くにつれて不信感も高まった。感染拡大に対する当局の対応や、発生初期段階の管理の在り方に不信感が広がり、中国は米政界の有力者に援軍を1人も作れなかった。米国家経済会議(NEC)のラリー・クドロー委員長は、中国による情報共有の欠如や、米疾病対策センター(CDC)が中国の現地状況を完全に把握できないことに対する米政府の失望を率直に表明した。クドロー氏は、貿易合意については依然評価しているが、中国側の協力欠如に対する自らの不満を隠そうとはしなかった。米国にはもっと極端な意見もあり、生物兵器の暴走とか、武漢の研究所からウイルスが流出した、といったことを公然と主張する者もいる。世界の専門家たちは、生物兵器に関する臆測を否定しているが、中国の統計や透明性に対する不信感がこのような臆測を煽る事態を招いている。中国当局が1月初旬から中旬にかけて情報を隠したのは確かで、武漢で重症急性呼吸器症候群(SARS)のようなウイルスが発生した可能性を懸念した医師を弾圧した。透明性に関してこれほど暗い経緯があると、たとえ証拠がなくても最悪の状況を人々が信じ込んでしまうというのも、驚くに当たらない。

中国の王毅外相はこのほど各国に対し、中国との国境を再び開放して人や物資の流れを再開するよう促した。しかし、中国自身が何億人もの国民を対象に隔離や移動制限を実施している状況では、外相の言葉を額面通り受け取る者は誰もいない。中国からの観光客や投資にとって重要な市場となったシンガポールのような国が、中国人観光客への門戸を最初に閉ざした国の一つになったことを、中国の人々はとりわけ厳しく感じているに違いない。しかしシンガポール政府が、王毅外相やその他政治局委員の多少の発言に左右されることはないとみられる。シンガポールは自国の利益を第一に行動するがゆえに、中国人観光客をすぐには受け入れないだろう。

「Covid-19」は、現在の米中関係の一部にすぎない。先に開かれたミュンヘン安全保障会議(MSC)で、米国のマイク・ポンペオ国務長官とマーク・エスパー国防長官はともに中国に対して非常に厳しい言葉を口にした。

ポンペオ長官は「中国はベトナム、フィリピン、インドネシアの排他的経済水域を侵犯している。その点において、中国は国境を接するほぼすべての国と、国境または海洋の紛争を抱えている」と述べた。さらに、「そして、もう一つの領域、サイバーセキュリティについても少し話そう。中国政府が支援するファーウェイなどのハイテク企業は、中国情報機関のトロイの木馬である」と続けた。

エスパー国防長官も率直さでは引けを取らず、中国政府はファーウェイを通じて「邪悪な戦略」を実行していると指摘、さらに国際社会に対して、「長年にわたる国際ルールに基づく秩序を操ろうとする中国の挑戦に対して目を覚ます」べきだと警告した。

第1段階合意の履行の有無にかかわらず、中国に対する圧力が当面なくなる兆しはない。王毅外相はこれに対し、「私が言いたいのは、中国に対するこれらの非難はすべて虚言であり、事実に基づいていないということだ」と述べた。 MSCは開かれた討論の場として知られている。このため、王毅外相のみが参加者からの質問を拒否したこと、それに彼の演説会場が満員からは程遠かったことは注目に値する。中国の行動は言葉と相反するため、その発言に対しては基本的に不信感があり、関心は持たれていない。

こうした中で悪いニュースは続く。米司法省は、現在係争中のファーウェイに対する訴訟にRICO法違反容疑を追加した。「威力脅迫および腐敗組織に関する連邦法」(RICO法)は通常、マフィアの類を対象としているが、何年にもわたって企業にも適用されており、身柄引き渡しの訴訟が続く孟晩舟最高財務責任者(CFO)だけでなく、企業側にも重い罰則を科すことができる。ファーウェイを標的にすることは米国の対中戦略の重要部分であるが、中国政府が孟氏の逮捕に対する報復として中国内で人質にとっている2人のカナダ人の問題を提起し続けることも重要だろう。

米国務省は今週、中国の国営メディア5組織を「外国使節」と認定した。これら組織を事実上、中国国家の延長だと位置付けるもので、大使館と一部同様に扱う一方、外交上の免責特権は認めない。米国による非常に象徴的かつ遅きに失した措置である。新華社通信が中国共産党の代弁者であることを知らない者がいただろうか。しかし、中国政府はほどなく3人の中国系ジャーナリスト3人をウォールストリート・ジャーナルの北京オフィスから追放した。国籍は2人が米国、1人がオーストラリアである。中国側は、追放は2週間前の侮辱的な見出しに対応したものだと主張したが、その見出しも論評記事もこれら3人のジャーナリストが書いたものではなかった。中国系の記者を追放することにより、世界中の中国系の人々に対し、中国批判は全ての中国人に対する事実上の裏切りであり、中国政府の報復を覚悟するようメッセージを送ろうとしているのだ。そのような姿勢を中国は決して公式に認めないだろうが、レベルの低いやり方でこれを維持している。

貿易戦争休戦の善意はどこへ行ったのだろうか。ゼネラル・エレクトリック(GE)による航空機エンジンの中国への販売に制限が示唆された際、米政権から出た複雑なシグナルに中国指導部は多少の慰めを覚えたかもしれないが、トランプ大統領はツイートですぐにその考えを否定、少なくともトランプ氏が有利だと考える条件の下で、米国は中国や世界とのビジネスに門戸を開いていると主張した。中国との貿易を阻止するための口実として「国家安全保障」を使おうとする者は、あまりに軽々にその口実を使って貿易制限を正当化しているとさえ非難した。

たった1カ月間にこれだけの問題がある中で、米中関係がひとまず正常に戻ったと考える者はいないはずだ。数カ月間の小康状態を経て、「資本戦争」や中国企業の米国での上場制限を巡る報道が再び現れ始めている。マルコ・ルビオ上院議員は消え去っていないし、中国や中国企業への資本流入を制限しようというさらなる動きが出てこないと考える理由はない。

そして米国の大統領選まであと9カ月に迫るというのに、この議論には決着がついていない。3月3日のスーパー・チューズデーの民主党予備選では、民主党指名候補者が明確になってくる可能性があり、そうなれば大統領選に向けて米中関係の政策がより重要度を増すだろう。サンダース氏とブルームバーグ氏が恐らく先行すると思われるが、今の段階では何とも言えない。サンダース氏が中国に対してやさしくすることはないだろう。ブルームバーグ氏の会社は、中国指導部にとってネガティブな内容の記事を取りやめたことがあり、氏自身も中国での事業に大きな関心を持っているが、中国対話政策を掲げて出馬することはまずできないだろう。中国の雰囲気は変わり、「Covid-19」の発生で中国とその国民のイメージは必要以上に傷ついている。米大統領選は中国にとって心穏やかものにはならないだろう。

過去数週間を振り返ってみると、第1段階の貿易合意が成立したこと自体が信じ難いことだ。双方の不信感は相変わらず強い。新型ウイルスで両国の緊張関係が一層露呈し、中国共産党が感染を食い止めようと国内で取った劇的な措置でさえ、称賛と同じくらいの恐怖を引き起こした。米国など他国の人々は、中国のやり方が自分たちとは大きく異なることをはっきりと目の当たりにしている。

新型ウイルスは、米中間に本当に大きな隔たりがあることを浮き彫りにしている。このことは、中国との包括的な協定を巡る初期の交渉が全く結実しなかったため、大規模な貿易協定を複数の段階に分割せざるを得なかった理由を、まさに裏付けている。両国を分断する問題の範囲は広く、中には橋を架けられないものもある。

現在のところ、新型コロナウイルスがどうなるのか依然不明である。伝染メカニズムは完全には解明されていないが、感染が容易に拡大しているのは明らかだ。10万人をはるかに超える人々がすでに感染しており、中国がすべてのケースを把握し特定することは不可能だ。そのため、特に中国経済に対する長期的な影響に関して確かなことは一つもない。現在の中国には、SARSや世界金融危機後のように経済に資金を注入する財政や金融政策の余裕はないし、世界的な景気拡大の中にあるわけでもない。中国はできる限りの対応をするだろうが、前回の景気刺激策による信用膨張の影響にまだ苦しんでいる。第1段階で合意した購入約束の不履行や、既に発表されているコモディティ契約における国有企業の不可抗力条項は、歓迎されるものではないだろう。中国の成長と需要は、世界の多くの人々、とりわけ中国人自身が、所与とみなしてきたものだ。もしそれが劇的に減速して長期にわたって低迷が続くと、中国の指導者たちは自分たちが未知の領域に入っていることに気付くだろう。

中国が世界で持つ威勢と影響力の大部分は、その経済力に基づくものだ。誰も中国を友人や同盟国とは思っていないが、中国市場で何かが欲しいと誰もが思っている。もしこの状況が行き詰まったら、中国はその優先順位を再点検する必要があるだろう。楽観論者は、中国の制度の透明性と開放性の向上を期待しているかもしれないが、誰もそれを当てにはできない。経済がより早く回復したとしても、「Covid-19」は中国、そして中国と米国との関係に、良くも悪くも長期にわたる遺物を残さざるを得ないだろう。

フレイザー・ハウイー(Howie, Fraser)|アナリスト。ケンブリッジ大学で物理を専攻し、北京語言文化大学で中国語を学んだのち、20年以上にわたりアジア株を中心に取引と分析、執筆活動を行う。この間、香港、北京、シンガポールでベアリングス銀行、バンカース・トラスト、モルガン・スタンレー、中国国際金融(CICC)に勤務。2003年から2012年まではフランス系証券会社のCLSAアジア・パシフィック・マーケッツ(シンガポール)で上場派生商品と疑似ストックオプション担当の代表取締役を務めた。「エコノミスト」誌2011年ブック・オブ・ザ・イヤーを受賞し、ブルームバーグのビジネス書トップ10に選ばれた“Red Capitalism : The Fragile Financial Foundations of China's Extraordinary Rise”(赤い資本主義:中国の並外れた成長と脆弱な金融基盤)をはじめ、3冊の共著書がある。「ウォール・ストリート・ジャーナル」、「フォーリン・ポリシー」、「チャイナ・エコノミック・クォータリー」、「日経アジアレビュー」に定期的に寄稿するほか、CNBC、ブルームバーグ、BBCにコメンテーターとして頻繫に登場している。 // Fraser Howie is co-author of three books on the Chinese financial system, Red Capitalism: The Fragile Financial Foundations of China’s Extraordinary Rise (named a Book of the Year 2011 by The Economist magazine and one of the top ten business books of the year by Bloomberg), Privatizing China: Inside China’s Stock Markets and “To Get Rich is Glorious” China’s Stock Market in the ‘80s and ‘90s. He studied Natural Sciences (Physics) at Cambridge University and Chinese at Beijing Language and Culture University and for over twenty years has been trading, analyzing and writing about Asian stock markets. During that time he has worked in Hong Kong Beijing and Singapore. He has worked for Baring Securities, Bankers Trust, Morgan Stanley, CICC and from 2003 to 2012 he worked at CLSA as a Managing Director in the Listed Derivatives and Synthetic Equity department. His work has been published in the Wall Street Journal, Foreign Policy, China Economic Quarterly and the Nikkei Asian Review, and is a regular commentator on CNBC, Bloomberg and the BBC.