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トランプの「大きく美しい法案」は「中国を再び偉大にする」だけ ニューヨーク・タイムズ
「大きく美しい法案」(写真:ロイター/アフロ)

7月4日、ニューヨーク・タイムズはHow Trump’s ‘Big, Beautiful Bill’ Will Make China Great Again(トランプの「大きく美しい法案」は、いかに中国を再び偉大にさせるか)という見出しの報道をした。それによればこれほどまでにアメリカを傷つける「自傷行為」は考えられないほどで、世界でこの法案成立を喜んでいるのはアメリカの共和党と中国共産党だけだろうと結んでいる。

本稿では、その論点に焦点を当てながら、『米中新産業WAR』を書いた者の視点として、当該法案に関する米中の現状のデータを基に分析を試みたい。

◆米メディアの論点:中国に有利でアメリカを崩壊させる「大きく美しい法案」

これ以上にアメリカを徹底して傷つけ、中国に圧倒的に有利な未来を招く法案はないとして、「大きくて美しい法案」を酷評しているのは、なにもニューヨーク・タイムズばかりではない。

7月1日のウォール・ストリート・ジャーナルは<再生可能エネルギー・セクターのメガビルにおける相対的な勝者と敗者>(有料)として勝者と敗者を鋭く突いており、台湾の「経済日報」も<トランプの「大きくて美しい」法案がついに可決! 各業界の勝者と敗者を1つの記事で読み解く>と、米国内に「敗者」がいることを浮かび上がらせている。その敗者は未来産業におけるアメリカ自身で、「自傷行為である」という意味で一致している。法案可決日である「7月4日」は、10年後には「あれがアメリカ衰退の始まりだった」と振り返られることになるだろうと嘆いている。

それではニューヨーク・タイムズをはじめとして複数のメディアの主たる論点を以下にまとめてみよう。

  • AI(人工知能)が最も大量の電力を必要とする時代に入ったというのに、その幕開けにおいて、米大統領とその政党は、「太陽光、電池、風力など再生可能エネルギー源による発電能力を意図的に損なうという狂気じみた法案」を可決し、「考え得る限り最悪の戦略的自傷行為」を犯した。
  • これは中国の行動と正反対だ。この法案は「太陽光発電、風力発電、EV(電気自動車)や自動運転車が主流の中国」の未来をほぼ保証するものだ。
  • 幸いなことに、トランプとその支持者たちは、「原子炉、水力発電所、地熱発電所、バッテリー・システムといった他のゼロエミッション(廃棄物の排出をゼロにする)技術を開発する企業に対する、バイデン政権時代の重要な税額控除」を2036年まで維持した。しかし問題は、「米国で原子力発電所を建設するには最大10年かかる可能性」があり、またバッテリー控除に「複雑な制限」(受給者が中国などの『禁止外国企業』との関係を持つことを禁じる)という制限を加えているため、複雑すぎて多くのプロジェクトで控除が利用できなくなる懸念がある。
  • 独立したエネルギー専門家による公聴会を一切行わず、科学者一人も出席しないまま急いで可決されたこの混乱した法案は、再生可能エネルギーへの数十億ドル規模の投資を間違いなく危険にさらし、数万人のアメリカ人の雇用を奪う可能性がある。ちなみに、この法案は、地球温暖化の主要な要因である石油・ガス生産時に排出されるメタンガスの過剰排出に対する課税を、初めて10年間禁止するものである。
  • この法案は「あなたの家を暑くし、エアコンの電気代を高くし、クリーンエネルギー関連の雇用を減らし、米国の自動車産業を弱体化させ、そして中国を喜ばせることになる」というわけだ。これをどう理解すればいいのだろうか?
  • アメリカでこのことを最もよく理解しているのは、実はイーロン・マスクだ。彼は「EV、再使用ロケット、蓄電池、通信衛星」など、世界をリードする企業を創業し、アメリカにおける製造業の偉大なイノベーターの一人であることは間違いない。しかし、トランプとの仲たがいにより、イーロン・マスクの声は、もう響かなくなっている。
  • しかし、イーロン・マスクと同じ現実を中国は理解している。「手頃な価格で、可能な限りクリーンな方法で大量の電力を発電する国の能力」と、「核融合エネルギー開発に必要なツールを提供する可能性のある答えを学習し生成する際に膨大な電力を消費するAIエンジンを開発する国の能力」との間に、これほど強いつながりがあった時代は、かつてなかった。即ち、「AIモデルを動かすために国が生産する安価でクリーンな電力の量と、その国の将来の経済力や軍事力との間に、これほど密接な関係があったことはかつてなかった」ということだ。
  • この分野で中国がすでに我々よりはるかに先を進んでおり、日々速いペースで前進していることを理解しているアメリカ人はほとんどいない。(以上、ニューヨーク・タイムズを中心としたアメリカ報道の論点)

◆発電量と再生エネルギーにおける中国の現状とアメリカとの比較

アメリカ報道の論点の最後に書いた「この分野で中国がすでに我々よりはるかに先を進んでおり、日々速いペースで前進していることを理解しているアメリカ人はほとんどいない」という言葉は全面的に賛成であり、そのために筆者は今年の初めに『米中新産業WAR』で、ほとんどの新産業分野において中国が世界のトップを行っていることを書いた。だからこそ中国はトランプの高関税に対して迷うことなく報復関税で応じ、結局のところトランプは負けを認めて、5月12日にジュネーブで115%の関税引き下げを認めている。

それでもなお、トランプには「大きくて美しい法案」が「米中における発電量と再生エネルギーの開きを一層深刻なものにしていくこと」が見えなかったのにちがいない。

それがどれだけアメリカにとってダメージとなるか、アメリカの衰退を招くかがトランプに見えていないために、それが見えているイーロン・マスクとの間に修復しがたい亀裂を生んだものと考えることができる。

それではenergy institute (エネルギー研究所)にあるHome | Statistical Review of World Energy (世界のエネルギーの統計的レビュー)に基づいて、1990年-2024年の米中総発電量、米中太陽光発電量、米中風力発電量の推移を、図表1、図表2、図表3として作成したので、それをお示ししたい。

図表1:米中発電量全体の推移

エネルギー研究所のデータを基にグラフは筆者が作成

図表1からわかるように、発電量全体の米中比較をしてみると、2011年から中国がアメリカを凌駕しはじめ、今では2倍以上の差がついていることがわかる。その差も、アメリカの増加の仕方が横ばいになっているのに対して、中国は高い増加率で発電量を伸ばしているので、「大きく美しい法案」が可決されなかったとしても、中国の優位性は歴然としている。

加えて、太陽光など割合に短期間で完遂できる電源ではなく、石油や天然ガスあるいは原子炉に依存して電気量を増やそうというのだから、実際に増えるのはトランプ2.0が終わったころだろう。

石油や天然ガスの場合は、それを電気として使えるようにするためにはタービンが不可欠だが、アメリカにタービンを提供しているのはアメリカ本国のGEバーノバ以外は、ドイツのシーメンス・エナジーや日本の三菱電機などだ。しかしこの3社とも、大量な注文がある上に、新たに注文しても納品されるのは早くとも2030年になる。そのことは今年4月8日のニューヨーク・タイムズの<飛行機サイズの機械がガス発電所の建設競争を阻む理由>(有料)に詳細に書いてあるが、「石油や天然ガスを電気に変えるために必要な巨大なタービンの待ち時間は、企業がAIのデータセンターの建設に奔走したため、過去1年間で2倍になった」ということが主たる理由のようだ。

拙著『米中新産業WAR』でも、そのことは詳述したが、AIデータセンターの米中競争は、結局のところ「電気量確保の米中競争」に尽きるということになる。

原発に依存するという選択はあるが、アメリカで原発を作るには10年かかるというのは常識だ。それも建設開始からかかる時間であって、建設を開始する前の「初期の立案・審査の段階」を含めると、さらに多くの時間がかかる。

World Nuclear Association(世界原子力協会)のデータによれば、たとえば米国で建設されたボーグル3号機(Vogtle3)は、「2013年3月2日に建設開始し、2023年7月31日に商業運転稼働」と10年かかっているし、ボーグル4号機(Vogtle4)は「2013年11月19日に建設開始し、2024年4月29日に商業運転稼働」と、やはり約10年間はかかっている。

では次に太陽光発電量(図表2)に関して見てみよう。

図表2:米中太陽光発電量の推移

エネルギー研究所のデータを基にグラフは筆者が作成

図表2からわかるように、太陽光発電は2015年に中国がアメリカを抜いている。その後の増加率には凄まじい差があり、中国はほぼ垂直になるほど増加率が高い。それもそのはず、太陽光パネルの生産は中国が世界の90%を占めてり、アメリカでさえ、太陽光発電を得るための太陽光パネルをベトナムやタイなどを迂回して、結局は中国から輸入しているほどだ

風力発電に関しては図表3に示した。

図表3:米中風力発電量推移

エネルギー研究所のデータを基にグラフは筆者が作成

図表3からわかるように、風力発電に関しては2016年に中国はアメリカを凌駕し、その増加率において、アメリカは到底中国に及ばない。

それを知らないのか、法案が通った7月4日にトランプは「中国には風力発電なんてないんじゃないかい?」という奇妙な発言をしている。本当に知らないのかもしれない。

なぜならトランプは大統領になるとすぐに風力発電を禁止し、「掘って、掘って掘りまくれ、ベイビー」と叫んで、石油採掘へと切り替えているくらいだから。これにより「労働者の雇用が高まる」としているが、クリーンエネルギー関係の雇用が激減するため、アメリカ国家全体としては雇用が増えることはないし、これによって「空洞化したアメリカの製造業」が復活するというのも考えにくい。なぜなら「電力の供給」が追い付かないからだ。

「電力の供給」が足りないことは即ち、AIに学習させるための電力が提供できないことにつながり、アメリカのデジタル産業をも潰していく可能性がある。

最後に、バイデン政権から受け継いでいるゼロエミッション技術の一つであるバッテリー・システムに関して見ておこう。エネルギー研究所のデータにはGrid-Scale Battery Energy Storage Systems (BESS)バッテリーエネルギー貯蔵システムの推移もある。但し2013年からのデータしかないので、やむなく2013年からの推移の米中比較を図表4にして示した。

図表4:米中バッテリーエネルギー貯蔵システムの推移

エネルギー研究所のデータを基にグラフは筆者が作成

拙著『米中新産業WAR』で詳述したが、中国は太陽光エネルギーとバッテリーとを組み合わせて、太陽光がない夜間でも電力提供に不便をきたさない等、工夫している。その試みは、図表4に示したバッテリーエネルギー貯蔵システムの米中比較からも明らかだろう。

トランプが「大きく美しい法案」で目指している目標の一つは、「任期中にアメリカを世界のエネルギーリーダーにすること」だが、この法案こそが、それを不可能にするものだということが、図表1~図表4で明らかになっただろうと思う。再生可能エネルギーがなければ、今後5年間でエネルギーの優位性を達成することは不可能なのである。

常にイノベーションを求めて突っ走ってきたイーロン・マスクには、この「時代の逆行」は耐えられなかったにちがいない。しかし、法案に反対を表明してトランプに嫌われ、その声は小さくなりつつある。アメリカの製造業が復活して欲しいと筆者も願うが、しかしトランプのやっていることは、その逆方向に行くことばかりだ。残念ながらニューヨーク・タイムズが警告を鳴らしているように、「大きく美しい法案」はMAGA(Make America Great Again)ではなく、MCGA(Make China Great Again)に貢献しそうであることを憂う。

 

この論考はYahoo!ニュース エキスパートより転載しました。

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。「中国問題グローバル研究所」所長。筑波大学名誉教授、理学博士。内閣府総合科学技術会議専門委員(小泉政権時代)や中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』(ビジネス社)、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』(PHP新書)、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(実業之日本社)、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略 世界はどう変わるのか』(PHP)、『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』(ビジネス社)、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤 誉 (著), 白井 一成 (著), 中国問題グローバル研究所 (編集)、実業之日本社)、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』(毎日新聞出版)、『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』(中文版・韓国語版もあり)、『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』、『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。『米中新産業WAR』(仮)3月3日発売予定(ビジネス社)。 // Born in 1941 in China. After surviving the Chinese Revolutionary War, she moved to Japan in 1953. Director of Global Research Institute on Chinese Issues, Professor Emeritus at the University of Tsukuba, Doctor of Science. Member of the Japan Writers Association. She has served as a specialist member of the Council for Science, Technology, and Innovation at the Cabinet Office (during the Koizumi administration) and as a visiting researcher and professor at the Institute of Sociology, Chinese Academy of Social Sciences. Her publications include “Inside US-China Trade War” (Mainichi Shimbun Publishing), “’Chugoku Seizo 2025’ no Shogeki, Shukinpei ha Ima Nani o Mokurondeirunoka (Impact of “Made in China 2025” What is Xi Jinping aiming at Now?), “Motakuto Nihongun to Kyoboshita Otoko (Mao Zedong: The Man Who Conspired with the Japanese Army),” “Japanese Girl at the Siege of Changchun (including Chinese versions),” “Net Taikoku Chugogu, Genron o Meguru Koubou (Net Superpower China: Battle over Speech),” “Chugoku Doman Shinjinrui: Nihon no Anime to Manga ga Chugoku o Ugokasu (The New Breed of Chinese “Dongman”: Japanese Cartoons and Comics Animate China),” “Chugogu ga Shirikonbare to Tsunagarutoki (When China Gets Connected with Silicon Valley),” and many other books.
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