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李克強の死と、天安門事件を招いた胡耀邦の死との違い
2013年5月の李克強前国務院総理(写真:ロイター/アフロ)
2013年5月の李克強前国務院総理(写真:ロイター/アフロ)

李克強の死が、かつて天安門事件を招いた胡耀邦の死同様に、民主化運動につながるのではないかという憶測が日本では盛んに流れている。それを中国政府が恐れているという情報も、日本人の耳目には心地よいようだ。

本稿では、「李克強の習近平に対する相対的な党内序列は如何にして形成されたのか」に注目して、自分自身で判断できるようにファクトを確認したいと思う。

◆鄧小平が強引に失脚させた胡耀邦の死が招いた天安門事件

1989年6月4日の天安門事件は、鄧小平が一存で失脚させた胡耀邦が心臓発作で死去したことをきっかけに起きた。

鄧小平は1962年に、習近平の父・習仲勲を冤罪により失脚させ、16年間に及ぶ牢獄生活に追い込んだが、毛沢東死去後に毛沢東の遺言により中国のトップに立った華国鋒を、さまざまな陰謀をめぐらせて失脚させ、1982年に自分の言いなりになる胡耀邦を後釜(中共中央総書記)にすえた。

習仲勲の冤罪も華国鋒の失脚も、陳雲という仲間とともに実行している(詳細は『習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』)。

しかし、自分が推薦した胡耀邦が気に入らなくなると、その後はほとんど鄧小平一人の一存で中国のトップを決め、1987年1月にお気に入りのはずだった胡耀邦を強引に失脚させた。その代りに別の自分の言いなりになる趙紫陽を、これも強引に(趙紫陽は同じ目に遭うので嫌がったが、それを無視して)総書記の座に据えた。

ところが1989年4月15日に胡耀邦が心臓発作で死去すると、胡耀邦追悼と民主化を叫ぶ学生デモが激しくなり、6月4日の天安門事件へと発展した。

趙紫陽の予想通り、今度は天安門事件における趙紫陽の態度が気に入らず、鄧小平は趙紫陽を失脚させて終身軟禁生活を送らせている。

総書記がいなくなったので、これもほぼ一存で江沢民を総書記に据えた。

◆鄧小平の一存で決めた胡錦涛政権に不満を持った江沢民

実は「鄧小平の一存」は、それに留まらなかった。

1989年に江沢民を中共中央総書記と中央軍事委員会主席に指名したが、「国家主席」は国務院系列の規則に従わなければならない。すなわち全人代の規則に従うということになる。それには1993年まで待たなければならない。

そこで、前年の1992年に鄧小平は、江沢民の次に国家のトップになる人物を、ほぼ「鄧小平個人の意思一つ」で決めてしまうのである。

「江沢民の次は胡錦涛がやれ」と、その次の国家の指導者を決めてしまったのだ。ここまで横暴な指導者は、中華人民共和国誕生以降、存在したことがない。これに比べれば、毛沢東は「遠慮深かった」とさえ言えるほどだ。

ところが、天安門事件のお陰で、いきなり「中共中央総書記と中央軍事委員会と国家主席(1993年)」の身分を全てもらってしまった江沢民は、その味をしめてしまい、胡錦涛に政権を譲りたくなかった。軍を通した底なしの腐敗ネットワークを形成しているので、それを手放すのも怖い。

そこで中央軍事委員会主席の座だけは譲らないとして、胡錦涛政権に入ってからも、2年間も軍のトップに立ち続ける。しかし、党内にさえ反対者が多く出てきたので、いやいやながら2005年になってようやく軍のトップから降りた。

それでも腹が立ってならない。

そこで何とか胡錦涛を政権トップから引きずり降ろそうと秘かに企み、上海市の書記を務めていた子飼いの陳良宇に指示してクーデターを起こそうとしていた。

一方、胡錦涛は共青団でつながりのあった韓正に上海市副書記と市長を兼務するよう命じて監督させていたので、陳良宇を使った江沢民の企てが胡錦涛の耳に入ることに相成ったわけだ。そこで胡錦涛は2006年9月24日に陳良宇を汚職により逮捕してしまうのである。その時のスリリングな話の詳細は拙著『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』で書いた。胡錦涛としては一世一代の見事な素早さだったと言っていいだろう。

折しも、2007の第17回党大会が開かれようとしていた。

しばらくの間、韓正に上海市書記代理をさせていたが、韓正は1990年代初期に上海市共青団書記を務めていたために、胡錦涛系列とつながっている。江沢民としては面白くない。江沢民の大番頭として知られ、かつて1980年代初期に習近平から「兄貴」として慕われていた曽慶紅が仲介して、習近平を上海市の書記に迎えることになった。

◆李克強と、習近平との序列を決定してしまった2007年党大会

――胡錦涛政権における江沢民と胡錦涛との激しい権力闘争

江沢民は2003年3月から始まる胡錦涛政権を、あくまでも自分の思うままに掌握しておくために、2002年11月の第16回党大会で、中共中央政治局常務委員に数多くの江沢民派を送り込んだ。2007年に開催される第17回党大会においては、第16回党大会以上に、何が何でも胡錦涛を困らせてやるという強烈な執念に燃えていた。

李克強は胡錦涛の愛弟子で、2007年前半までは次の中共中央総書記・国家主席になるだろうと目されていた。

しかし自分の最も大切な駒であった陳良宇を逮捕された江沢民は、猛然と胡錦涛に対する復讐心を燃やすのである。

そして次の駒として使ったのが習近平だ。

10月29日のコラム<李克強は習近平のライバルではない>に書いたように、筆者は胡錦涛政権時代の中共中央政治局常務委員9人に「チャイナ・ナイン」という名前を付けたが、チャイナ・ナインのほとんどは江沢民派閥で構成されていたので、江沢民が推薦した者が次期チャイナ・ナインに入り、序列も江沢民の意見が圧倒的強さで通る。

こうして2007年の第17回党大会では習近平が党内序列6位で入り、李克強は第7位で滑り込むことになった。

この瞬間に、こんにちの全てが決まったと言っても過言ではない

そして翌2008年3月の全人代で習近平が国家副主席、李克強が国務院副総理となったわけだ。

胡錦涛政権はこのように激しい「権力闘争」に明け暮れた10年だった。だから『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』では、その権力闘争の実態を執拗に追跡したが、習近平政権ではまったく事情が異なる。

中華人民共和国誕生以来、胡錦涛と習近平ほど、スムーズに政権をバトンタッチしたことはなかったと断言してもいいほど、二人のバトンタッチは友好的だった。

◆反腐敗運動はアメリカに潰されないための軍事力強化が目的

2012年11月8日に、胡錦涛は第18回党大会の初日に中共中央総書記として最後の演説をし、「腐敗を撲滅しなければ、党が滅び、国が亡ぶ」と言った。党大会閉幕後の一中全会(中共中央委員会第一回全体会議)で、中共中央総書記に選ばれた習近平は、胡錦涛と同じ言葉「腐敗を撲滅しなければ、党が滅び、国が亡ぶ」をくり返した。

胡錦涛政権時代には、どんなに胡錦涛が腐敗撲滅を実行しようとしても、腐敗を蔓延させたのが江沢民自身なので、チャイナ・ナインの多数決議決で否決され、実行できなかった。その無念さを胡錦涛は習近平に託し、習近平はそれを受けて反腐敗運動に徹した。このとき胡錦涛は習近平にある交換条件を出している。もし反腐敗運動を徹底してくれるなら、チャイナ・セブンには習近平にとって運営しやすい人を選んでいいと言ったのだ。だからチャイナ・セブン内での権力闘争はない。

ときは2012年。

世界を見渡せば、2010年には中国のGDPは日本を抜いて、世界第二位に躍り出ている。何としても腐敗の巣窟となっている軍を近代化しなければアメリカに潰される。習近平が三期目を狙ったのは、「アメリカに潰されたくない」という強い思いと、鄧小平に復讐してやるという怨念があったからにちがいない。そのことは『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』で詳述した。

改革開放は、習近平の父・習仲勲が16年間の監獄生活から解放されて、執念のように深圳で創り出した遺産である。だから2012年11月に中共中央総書記になると、習近平は真っ先に深圳に行っている。

今年三期目の中共中央総書記になったあとは、新チャイナ・セブンを引き連れて延安に行った。そこは習仲勲が1930年代に創り上げた革命根拠地で、長征の果てに行き場を無くした毛沢東を迎えた地だ。あのとき延安がなかったら中華人民共和国は誕生していない。習仲勲があの延安の革命根拠地を命懸けで作り上げていなかったら、中華人民共和国は存在していないのだ。

そこに長年にわたる思いを込めて、父の仇を討ってやるという執念に燃えるのも、自然ではないだろうか。李克強の存在とは、いかなる関係もない。

◆習近平のせいで李克強が「天下を取り損ねた」という事実はない

たとえば10月28日の時事通信社は<天下取り損ねた政治スター 権力闘争敗北で影響力低下 李克強氏>というタイトルで報道し、冒頭に【中国の李克強前首相は、いずれ頂点に立つのではないかと注目を集めたことのある「政治スター」だった。運命を狂わせたのは習近平国家主席の政権運営で、習氏が権力を固めるのに伴い、李氏の影響力は失われていった。抜群の実務能力を発揮し、上からも下からも慕われたが、たった一つ、権力闘争だけは苦手だった。】と書いている。

これもNHK同様に、事実歪曲というか、ほぼ「捏造に近い」と言っても過言ではない。日本全国、李克強を英雄視するのに余念がないが、李克強ほどガチガチの共産主義思想に燃えたエリートも少なかったというほど、彼は生粋の共産主義者。「李克強だったら、中国は中国共産党による一党支配体制をやめた」という勘違いを日本国民に植え付けるのは、一種の「罪悪だ」とさえ筆者の目には映る。

その李克強の運命は2007年に「江沢民と胡錦涛との間の権力闘争」によって決まったのであり、その瞬間に「天下を取るのは習近平」と、江沢民一派が決定したのである。

このたびの中共中央および国務院が出した李克強に関する2500字を超える訃報では「李克強同志は反腐敗運動に非常に積極的であった」と褒め称えている。

拙著『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』にしつこく書いたように、李克強が2023年3月の全人代で退任するのは、憲法に基づいた規則に従っただけのことだ。習近平が三期目に残るためには、国家主席に関して、あれだけ大騒動して憲法改正を行っているではないか。

国務院総理に関して憲法改正を行っていない段階で、李克強が二期10年で国務院総理の座を去るのは当然のことで、失脚ではない

李克強はむしろ、実に立派に国務院総理の任務を成し終えたのだ。それを「失脚」とか「敗北者」のように位置付けるのは、李克強に対しても失礼であり、かえって彼の尊厳を傷つけることに気が付いているだろうか。習近平を貶(けな)すために李克強を利用するのは、死者に対する冒とくでさえある。

このように、李克強の死は、天安門事件を招いた胡耀邦の死とは完全に異なる。

但し、今年8月6日のコラム<中国政府転覆のためのNED(全米民主主義基金)の中国潜伏推移>に書いたように、「第二のCIA」と呼ばれているNEDは、ゼロコロナの時もネットを使って中国の若者に呼び掛け、「白紙運動」を実行させるのに成功している。この詳細は『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』に書いた。

今回も、NEDがどれだけ巧妙に暗躍できるかは、中国のネット検閲との闘いとなるだろう。

11月2日に李克強の火葬が執り行われ、半旗を掲げて弔意を表すことになっている。

政治問題と関係なく弔意を表す人は当然数多くいるだろう。

以上が客観的ファクトだ。あとは読者とともに推移を観察していきたいと思う。

追記:日本はあの極悪非道のことをやり続けてきた鄧小平を神格化して、天安門事件後の対中経済封鎖を解除させた。その結果、日本は中国経済に追い抜かれた。李克強は普通に国務院総理の職を全うしたのに異様に祭り上げて英雄視し習近平を貶しさえすれば中国が共産党一党支配でなくなり日本が中国を超えるような幻想を抱いている。中国経済は2015年からGDPの量より質への転換を掲げて、今では論文数も引用論文数も世界一になり、日本は5位と13位にまで落ち込んだ。世界から人材を集める千人計画を始めたのは胡錦涛だ。こうしたファクトを見ずに感情で中国論を展開することによって、日本はどんどん立ち遅れていき、日本の国益を損ねていることに気が付いてほしい。その警鐘を鳴らすために本論を書いた。

この論考はYahooから転載しました。

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。「中国問題グローバル研究所」所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』(ビジネス社)、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』(PHP新書)、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(実業之日本社)、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略 世界はどう変わるのか』(PHP)、『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』(ビジネス社)、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤 誉 (著), 白井 一成 (著), 中国問題グローバル研究所 (編集)、実業之日本社)、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』(毎日新聞出版)、『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』(中文版・韓国語版もあり)、『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』、『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。2024年6月初旬に『嗤(わら)う習近平の白い牙』(ビジネス社)を出版予定。 // Born in 1941 in China. After surviving the Chinese Revolutionary War, she moved to Japan in 1953. Director of Global Research Institute on Chinese Issues, Professor Emeritus at the University of Tsukuba, Doctor of Science. Member of the Japan Writers Association. She successively fulfilled the posts of guest researcher and professor at the Institute of Sociology, Chinese Academy of Social Sciences. Her publications include “Inside US-China Trade War” (Mainichi Shimbun Publishing), “’Chugoku Seizo 2025’ no Shogeki, Shukinpei ha Ima Nani o Mokurondeirunoka (Impact of “Made in China 2025” What is Xi Jinping aiming at Now?), “Motakuto Nihongun to Kyoboshita Otoko (Mao Zedong: The Man Who Conspired with the Japanese Army),” “Japanese Girl at the Siege of Changchun (including Chinese versions),” “Net Taikoku Chugogu, Genron o Meguru Koubou (Net Superpower China: Battle over Speech),” “Chugoku Doman Shinjinrui: Nihon no Anime to Manga ga Chugoku o Ugokasu (The New Breed of Chinese “Dongman”: Japanese Cartoons and Comics Animate China),” “Chugogu ga Shirikonbare to Tsunagarutoki (When China Gets Connected with Silicon Valley),” and many other books.

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