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李克強は習近平のライバルではない
2012年4月の中国新聞網海南新聞より筆者キャプチャー
2012年4月の中国新聞網海南新聞より筆者キャプチャー

李克強前首相が逝去した。まだ若いのにと、残念に思う。日本ではもっぱら「習近平のライバル」と位置付け、「権力闘争に敗北した」といったトーンの報道が目立つ。もし習近平が権力闘争のために反腐敗運動をしたのなら、なぜ側近の秦剛(元)外相や自身が昇進させたばかりの李尚福(元)国防部長を更迭したのか。権力闘争論者には説明がつかないだろう。反腐敗運動は軍にはびこる底なしの腐敗を撲滅し、軍のハイテク化を図るのが目的だった。その証拠に中国はいま軍民融合により軍や宇宙分野で強大化している。

李克強は清廉潔白で素晴らしい人格者だったが、ガリ勉さんタイプで生真面目(きまじめ)。ガチガチの共産主義者でもあり、そもそも彼の出身の共青団というのは、生粋の共産党員を育てる組織だ。

一方、中国のトップに求められる資質は「絶対に第二のゴルバチョフになってはならない!」という鉄則を貫けるか否かにある。善良でありさえすればいいのではなく、「太々しい」ほど、「ワル」の要素がなければ務まらないのだ。その意味でも李克強は、習近平のライバルとなり得るような存在ではなかった。

本稿では、中国における実態とともに、日本メディアのどこが間違っているのかを検証する。そうでなければ今後も中国を見誤り続けることになり、日本の国益を損ねるからだ。

◆李克強逝去に対する中国政府の報道

10月27日0時10分に李克強前総理が逝去すると、10月27日午前8時17分に、中華人民共和国中央人民政府(中国政府)の公式サイトに<李克強同志逝去>と題して、「中国共産党第17回、18回、19回党大会の中央政治局常務委員で国務院元総理の李克強同志は、2023年10月26日、心臓病を突発し、全力で救助に当たったが10月27日0時10分に上海で逝去した。享年68歳」という短文の告知が掲載され、訃報は後刻発表する旨の通知が書いてあった。

中国共産党が管轄する中央テレビ局CCTVも同日朝8時7分に<CCTV13新聞>で、8時49分には<CCTV4中文国際>で、中国政府サイトに書いてあるのと同じ文言を読み上げた。

そして予告通り、約10時間後の10月27日18時34分に<中共中央 全人代常務委員会 国務院 全国政治協商会議 訃報 李克强同志逝去>という正式の訃報が発表された(文字数約2,500)。そのわずか10時間が待てず、日本メディアは「普通なら長文の訃報が出るのに、李克強の場合は軽んじられて、それさえも発表しない」という、日本流の習近平バッシングに「酔いしれた」感がある。

しかし、中国ではさらに同じ文章を翌28日の<中国共産党機関紙「人民日報」の第一面トップ>に掲載し、哀悼の意を表している。下記にその一部を貼り付ける。

 

 

ネットにある10月28日「人民日報」の第一面の一部を筆者がキャプチャー

ネットにある10月28日「人民日報」の第一面の一部を筆者がキャプチャー

 

訃報には、「優れた中国共産党党員、長年にわたって試練を経た忠実なる党員、共産主義の戦士、傑出したプロレタリア革命家、政治家、党と国の傑出した指導者」という最高の賛辞から始まり、「偉大なる損失」とした上で、生まれてから逝去するまでの「偉大な業績」を「共産主義の大義への献身的な人生であった」と称え、最後は「どうか永遠の不滅を!」という言葉で結んでいる。

◆実は早くから抱えていた体の不調 過去に冠動脈バイパス手術か

本稿のタイトル画像にもあるように、2012年、まだ国務院副総理(副首相)だった時から、李克強の目の周りには黒く大きなクマができていた。この写真は2012年4月2日に中国の海南省で開催されたボアオ・アジア・フォーラムで李克強が開幕式のスピーチをした時のものだ。両岸共同市場基金会の最高顧問と会談しているときの写真を見ても、以下に示す通り、目の周りが異様に黒い。いずれも中国新聞網海南新聞に掲載されている写真である。

出典:2012年4月2日の中国新聞網海南新聞

出典:2012年4月2日の中国新聞網海南新聞


筆者は胡錦涛時代の中共中央政治局常務委員9人を「チャイナ・ナイン」と名付け、2012年3月に『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』という本を出版したが、その第一章の冒頭(p.39)に、まだ国務院副総理だった李克強に会ったときの場面を書いた。時期は2011年11月、ある会議場から出てきたときのことで、そこには国家副主席だった習近平もいた。

ざっくばらんな内輪の会議だったので、みなお揃いのジャンパーを着ていた。

建物の中とは言え、11月なので汗をかく時期ではないはずだが、李克強だけが汗びっしょりになっているのに驚いた。

天津での小学校時代のクラスメートが長じて医者になり、胡錦涛など政府要人の周りにいる医者グループの一人になっていたので、彼にその話をしたことがある。すると、「うーん、実はね、李克強には少し循環器系の…」と言いかけて、「いや、いくら半世紀を超える友とは言え、内部の話になるのでね…」と言葉を濁した。

李克強がスピーチをするときに掌(てのひら)に汗をかくのは、割合によく知られていることで、そのため彼はスピーチで手を目いっぱい広げて話す癖がある。

このたびの李克強の急逝に関して、香港のSouth China Morning Post(南華早報)は27日の午後11時33分に<Li Keqiang: former premier had fatal heart attack during swim in Shanghai, sources say(李克強:元総理が上海で水泳中に心臓発作で死亡、情報筋が語る)>という見出しで詳細を報道した。それによれば2人の情報筋が「李克強は以前、冠動脈バイパス手術を受けたことがある」と話したようだ。遺体は北京に空輸され、葬儀の指示を待っているとのこと。

やはり、と思った。天津の古い友人が言いかけた「循環器系の…」というのは、このことを指していたのかもしれない。確認しようと思い何度か連絡を取ってみたが、あいにく連絡が取れなかった。

◆第20回党大会における胡錦涛の途中退場場面

10月22日、第20回党大会最終日の休憩時間に、胡錦涛前国家主席が中途退場するという事件が起きた。多くの憶測を呼び、「胡錦涛が習近平の進める人事に不満だったから」という憶測や、「李克強を残さなかったという党幹部の人事案が胡錦涛には知らされていなかったので、それを見ようとしたが拒否され、習近平に追い出された」といった憶測が溢れた。

今般の李克強逝去に関するニュースでも、NHKは「習近平主席のライバルであった李克強前首相が」と、まるで李克強の名前を出す時の枕詞のように「習近平のライバル」という修飾語を用いており、その顕著な例として胡錦涛の中途退席場面をテレビ画面に映し出した。そのような捏造まがいの視点で報道をしているNHKの国際放送が、中国で突然遮断されたのは、驚くべきことではない。

胡錦涛は第20回党大会における主席団の代表で、何度も人選に関して予備会議で審議し監督さえしてきた人物だ。ただ残念なことに認知症を患っていて家族の者が党大会に出席しないよう懇願したが、胡錦涛自身が「大丈夫だ」と言って譲らず、結果、家族が退席を願い出たというのが実態である。前掲の小学校の友人(胡錦涛など政府要人周辺の顧問医師団の一人)が教えてくれた。

これに関しては『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』の第一章で、約50ページにわたって、あらゆる角度から考察したし、2022年10月30日のコラム<胡錦涛中途退席の真相:胡錦涛は主席団代表なので全て事前に知っていた>でも人事プロセスの一部に触れた。

◆李克強の「月収1000元が6億人」という発言の誤解釈

2020年5月28日、コロナのために時期をずらして開催された全人代の閉幕後の記者会見で、李克強が、「中国には月収1000元の人民が6億人もいる」という趣旨のことを言った。これは「働いている人の月収が1000元程度」という意味ではなく、「働いている人の世帯人口で割り算した一人当たりの収入」を指している。したがって6億人の中には赤ちゃんもいれば未就職の青少年、高齢者、病人あるいは失業者も入っている。働いている人の月収を、世帯人口で割った金額だ。決して、「就業者の平均月収」ではない。

これを勘違いして大喜びした日本の中国問題の「専門家」やメディアが数多くあり、NHKもその中の一つだ。

2021年11月8日になってもなお、NHKはウェブサイトで<「共同富裕」って何なの?習近平政権のねらいは?>という記事を発信し、以下のように書いている。

――李克強首相も去年5月「毎月の収入が1000人民元程度(日本円で1万7000円程度)の人がまだ6億人いる」と述べるなど、中国政府も収入が低い人が依然として多い実態を認めています。(引用ここまで)

あまりに驚いたので、2021年11月9日にコラム<中国「月収1000元が6億人」の誤解釈――NHKも勘違いか>を書いて注意を喚起した。いまNHKの当該ページにアクセスしようとしたら削除されているので、担当者が筆者のコラムを読んでくださって削除なさったのかもしれない。

しかし、今回の李克強逝去に関するNHKのニュースで、又もや同様のことを言っているので、茫然とするばかりだ(NHKは非常に素晴らしい番組を制作している時もあるが、少なくとも中国報道に関しては、中国総局のスタッフの解説を別にすれば、捏造まがいの偏見が多い。われわれ国民から視聴料を徴収しているのだし、他の民間メディアはNHKが言うのだから正しいだろうとして拡散していくので、日本国民の利益のために慎重さを望む)。

日本のメディアは、まるで習近平でさえなければ中国が良くなり、中国共産党による一党支配体制ではなくなるような勘違いをしているようだ。これに関しては拙著『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』の【おわりに――「日本人にだけ通じる中国論」から脱却しよう】で書いた。

いま危惧されるのは、今年8月6日のコラム<中国政府転覆のためのNED(全米民主主義基金)の中国潜伏推移>に書いたように、この機に乗じてNEDが暗躍し始めるのではないかということだ。NEDにとっては、滅多にない「おいしい」機会にちがいない。その動きを注視したい。

 

この論考はYahooから転載しました。

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。「中国問題グローバル研究所」所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』(ビジネス社)、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』(PHP新書)、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(実業之日本社)、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略 世界はどう変わるのか』(PHP)、『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』(ビジネス社)、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤 誉 (著), 白井 一成 (著), 中国問題グローバル研究所 (編集)、実業之日本社)、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』(毎日新聞出版)、『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』(中文版・韓国語版もあり)、『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』、『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。2024年6月初旬に『嗤(わら)う習近平の白い牙』(ビジネス社)を出版予定。 // Born in 1941 in China. After surviving the Chinese Revolutionary War, she moved to Japan in 1953. Director of Global Research Institute on Chinese Issues, Professor Emeritus at the University of Tsukuba, Doctor of Science. Member of the Japan Writers Association. She successively fulfilled the posts of guest researcher and professor at the Institute of Sociology, Chinese Academy of Social Sciences. Her publications include “Inside US-China Trade War” (Mainichi Shimbun Publishing), “’Chugoku Seizo 2025’ no Shogeki, Shukinpei ha Ima Nani o Mokurondeirunoka (Impact of “Made in China 2025” What is Xi Jinping aiming at Now?), “Motakuto Nihongun to Kyoboshita Otoko (Mao Zedong: The Man Who Conspired with the Japanese Army),” “Japanese Girl at the Siege of Changchun (including Chinese versions),” “Net Taikoku Chugogu, Genron o Meguru Koubou (Net Superpower China: Battle over Speech),” “Chugoku Doman Shinjinrui: Nihon no Anime to Manga ga Chugoku o Ugokasu (The New Breed of Chinese “Dongman”: Japanese Cartoons and Comics Animate China),” “Chugogu ga Shirikonbare to Tsunagarutoki (When China Gets Connected with Silicon Valley),” and many other books.

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