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「中国気球」の正体を「NASA気球」の軌跡から読み解く
米軍に撃墜された「中国気球」(写真:ロイター/アフロ)

このたびの中国の気球の軌跡をアメリカの学者が描いているが、それならNASAがこれまで飛ばしてきた気球はどのような軌跡を描いているのだろうか?その比較から見えてくる中国気球の正体を読み解く。

なお本稿では米軍に撃ち落された中国の気球を「中国気球」と略記し、NASAが飛ばしている気球を「NASA気球」と略記する。

◆アメリカ気象学者が描いた「中国気球」の軌跡

アメリカ気象学会フェローで、気象学者のDan Satterfield(ダン・サタフィールド)氏は2月2日、モンタナ州上空に浮かぶ気球の軌跡に関してツイートした。そこには「国防総省は、昨日のモンタナ上空の高高度気球は中国からのスパイ気球だと言っています。そこで、NOAA HYSPLIT モデルを簡単に実行して、物体のパスを逆方向にトレースしてみました」と書いてあり、地図上に軌跡が描かれている。

NOAAとは「アメリカ海洋大気庁」のことで、HYSPLIT(Hybrid Single-Particle Lagrangian Integrated Trajectory)は物質輸送モデルで移流拡散の計算をするときに使われる方程式モデルである。これは拙著『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』の【第四章 決戦場は宇宙に】で説明した「ラグランジュ点」のあのジョゼフ・ルイ・ラグランジュ(1973年‐1813年)という、18世紀最大の数学者が創り上げたラグランジュ方程式を用いるので、何とも心惹かれる。筆者は統計物理学や流体力学の中で頻繁にラグランジュ方程式を用いて研究を進めた時期があるので、心が弾むのである。

さて、その地図は人気を博し、多くのメディアが分かりやすいように描き直して解説しているが、中でもBBCの記事に載っている地図が最も分かりやすいので、以下に示す。

出典:BBCが焼き直したダン・サタフィールド氏が描いた軌跡

高高度における風をパラメーターとしてHYSPLIT モデルに基づいて逆算していったとき、どうやら「中国気球」の起点は、中国の内モンゴル自治区あたりで、そこから風に乗ってアメリカに流れてきたと推測されるというのである。

◆内モンゴル錫林浩特(シリンホト)気象観測所の「気球」

中国の内モンゴル自治区の錫林浩特(シリンホト)には有名な気象観測所があり、2015年10月13日に高高度気球の商用向けのビジネス化に世界で初めて成功したと、科技日報が報道した。これは、太陽光パネルを搭載した持続可能な電力、制御された飛行などを持つ臨近空間における気球の飛行で、企業や個人ユーザーにビジネスサービスを提供するのは世界で初めてなのだと書いている。ブロードバンドの使用などネット通信の環境やデータ中継、ハイビジョン性能向上などのサービスに役立つそうだ。

気球観測の特徴は定点観測ができるということで、科技日報によればコントロール可能な定点滞在時間は48時間とのこと。

ダン・サタフィールド氏の逆算によれば、このたびの「中国気球」の起点は中国の内モンゴル自治区あたりだとのことなので、だとすれば、その起点はシリンホトの気象観測所が一つの候補になり得るし、あるいは甘粛省との境目にある酒泉衛星センターも候補の一つになるかもしれない。なぜなら衛星を発射する前に気象観測のための気球を数多く飛ばすためだ。そのいずれかが定点滞在時間内に制御されなければ、風に乗ってどこかに移動してしまう可能性は小さくない。

◆NASAが放った気球の軌跡

それなら、気球を数多く打ち上げることで有名な、アメリカのNASA(アメリカ航空宇宙局)が飛ばした気球はどこに飛んで行ってしまっているのだろうか?

「NASA気球」の動きをフォーローしているNPO組織のウェブサイトを開くと、実におもしろい図表がある。

2016年5月16日、NASAはニュージーランドのワナカ空港から超高圧気球(SPB)を打ち上げ、世界一周テスト飛行を試みた。飛行の目的は、中緯度での長時間飛行(100 +日)を目標とし、できることなら「地球を三周しよう」としたのだが、一周はできたものの、二週目に入ろうとしたところで気球はジグザグ飛行をしてしまった。

最初はオーストラリア南部を西に通過した後、東向きに流れる成層圏サイクロンに入り、成層圏の風速に応じて飛行し、直径は短いながらも「一周」の形を取っている。それが「緑の線」で描いた軌跡だ。もっとも、元の位置近くに戻っただけで「地球一周」ではない。

注目すべきは元の位置に戻ったあたりから、風向や風速などの影響からジグザグ飛行を始めてしまい、ペルーの山岳地帯に着陸する結果に終わったことだ。赤い線で描いたのがジグザグ飛行に相当する。

出典:StratoCatのウェブサイト

◆「NASA気球」の軌跡から、「中国気球」の何が見えるのか?

「NASA気球」の軌跡から見えてくるのは、以下のようなことである。

  1. NASAの実験は世界最高のスタッフが協力して行っているが、それでも気球の飛行先をコントロールすることはできず、一定時間が過ぎると「風向や風速」などの影響で漂ってしまうことが判明した。
  2. もしアメリカ領空に入り込んだ「中国気球」が、「中国がコントロールしたからアメリカの軍事基地の上空を飛行した」のだとするなら、中国は何日間にもわたり、そして考えられないような遠距離の気球をコントロールする能力を持っていることになる。それは即ち、世界一というよりも、世界で並外れた能力を中国一国だけが持っているということを意味する。
  3. まさか、アメリカは、中国だけが、そのような「超能力」を持っていると、認めるつもりではないだろう。だとすれば、このたび撃墜された「中国気球」は、偏西風に乗ってしまい、「NASA気球」同様、不可抗力でアメリカ上空を彷徨ったことになる。

◆スパイは目立たないように行動するもの

そもそもスパイというのは敵に見えないように「こっそり」行動するもので、こんなに世界中に見せびらかすように「ど派手に!」行動することはあり得ない。しかも情報収集能力が低く、図体だけが大きくて目立つなどという「ど派手スパイ」を、あの中国がやるだろうか?

こっそり「あなたの善良な友人です」と装って、全世界に浸透するように潜り込んでいるのが「中国のスパイ」だ。これが統一戦線の仕事である。

たとえ習近平政権に軍民融合戦略があり、民間用と言っても、どれでも軍事用に使えるという状況があるとしても、習近平政権は『習近平三期目の狙いとチャイナ・セブン』の【第四章 決戦場は宇宙に】で書いたように、宇宙空間に関してはアメリカの能力を遥かに超えた実力を持っており、超高性能の「敵に見つからない」情報収集など朝飯前だ。そのための「衛星」でありサイバーではないのか。

◆なぜ撃墜される前に企業名や経緯を明かさなかったのか?

筆者が2月5日のコラム<習近平完敗か? 気球めぐり>で習近平を相当に激しく批判したのは、「民間用のもので、中国からの気球だった」のを認めた時点で、企業名や気球打ち上げプロセスや内容をすぐに明らかにしなかったからだ。

もし企業の経営トップが出てきて世界に向かって謝罪し、打ち上げプロセスや目的、あるいは搭載物などを明らかにしていれば、いくらアメリカが選挙のための「対中強硬姿勢争い」のためとは言え、撃墜はできなかったはずだ。自首して謝罪している人を、いきなり射殺するということは倫理的にあり得ない。事実を明らかにさせていくことの方が優先するだろう。

民間の気象観測用の気球であったとしても「中国の製造物」を世界中の目の前で米軍が撃墜するという「図」は、中国にとって非常に屈辱的な「図」のはずだ。

だから、習近平は、この勝負に負けたと言っているのである。

なお、カッコ悪くなったので、2月5日のコラム<習近平完敗か? 気球めぐり>で書いた「環球時報」第一報は削除されてしまった。したがってリンクを張ったが、リンク先が消えた。こんな「みっともない」ことを次から次へとやらなければならないのは、瞬発的に判断して企業名を明らかにしなかったからである。

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。「中国問題グローバル研究所」所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』(ビジネス社)、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』(PHP新書)、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(実業之日本社)、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略 世界はどう変わるのか』(PHP)、『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』(ビジネス社)、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤 誉 (著), 白井 一成 (著), 中国問題グローバル研究所 (編集)、実業之日本社)、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』(毎日新聞出版)、『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』(中文版・韓国語版もあり)、『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』、『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。2024年6月初旬に『嗤(わら)う習近平の白い牙』(ビジネス社)を出版予定。 // Born in 1941 in China. After surviving the Chinese Revolutionary War, she moved to Japan in 1953. Director of Global Research Institute on Chinese Issues, Professor Emeritus at the University of Tsukuba, Doctor of Science. Member of the Japan Writers Association. She successively fulfilled the posts of guest researcher and professor at the Institute of Sociology, Chinese Academy of Social Sciences. Her publications include “Inside US-China Trade War” (Mainichi Shimbun Publishing), “’Chugoku Seizo 2025’ no Shogeki, Shukinpei ha Ima Nani o Mokurondeirunoka (Impact of “Made in China 2025” What is Xi Jinping aiming at Now?), “Motakuto Nihongun to Kyoboshita Otoko (Mao Zedong: The Man Who Conspired with the Japanese Army),” “Japanese Girl at the Siege of Changchun (including Chinese versions),” “Net Taikoku Chugogu, Genron o Meguru Koubou (Net Superpower China: Battle over Speech),” “Chugoku Doman Shinjinrui: Nihon no Anime to Manga ga Chugoku o Ugokasu (The New Breed of Chinese “Dongman”: Japanese Cartoons and Comics Animate China),” “Chugogu ga Shirikonbare to Tsunagarutoki (When China Gets Connected with Silicon Valley),” and many other books.

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