日本を敗戦に追いやるためルーズベルトは蒋介石に共に日本を爆撃すれば琉球群島を中国にあげると誘ったが、蒋介石は断った。承諾していれば戦後の日本は米中が統治する形になっただろう。チャーズもその線上にある。
◆カイロ密談――蒋介石、琉球占領を何度も拒否
1943年1月9日、当時のアメリカ大統領・ルーズベルトは「中華民国」国民政府の主席・蒋介石に電報を送った。11月22日にイギリスのチャーチル首相と3人で会談したいのでエジプトのカイロに来るようにとの依頼だった。こうして開かれたカイロ会談は有名だが、この時にルーズベルトと蒋介石の間に交わされた機密会談があったことは、あまり知られていなかった。
なぜならルーズベルトが蒋介石に「一緒に日本をやっつけようではないか(=一緒に爆撃しようではないか)。そうすれば日本を敗戦に追いやった後、琉球群島をすべて中華民国にあげようと思うが、どう思うか」と何度も聞いたのに、蒋介石はそれを断り、そのことをひどく後悔していたので、誰にも漏らすなと言っていたからだ。
筆者はその実態を調べるべく、かつてカリフォルニアにあるスタンフォード大学のフーバー研究所に通いつめ、蒋介石直筆の筆書きによる日記を読み解き、アメリカ公文書館にも行き、また台湾の台北国家図書館にも行った。
その総合的な結果として以下のようなことが言える。発見した資料の数百分の一にも満たないが、要点だけを略記する。
***
1943年11月23日夜、蒋介石は王寵恵(おう・ちょうけい)(国民政府外交部長や国防最高委員会秘書長など歴任)を伴ってルーズベルトと単独会談を行い、日本が収奪した中国の土地は中国に返還されるべきであるという4項目の要求を提出した。
日本が太平洋で占拠した島嶼の剥奪に関して話が及んだ時に、ルーズベルトは蒋介石に「琉球群島は多くの島嶼によって出来上がっている弧形の群島である。日本はかつて不当な手段でこの群島を収奪した。したがって奪取すべきだ。私は、琉球は地理的に貴国に大変近いこと、歴史上貴国と緊密な関係があったことを考慮し、もし貴国が琉球を欲しいと思うなら、貴国にあげて管理を委ねようと思っている」と語った。
蒋介石は「私はこの群島は米中両国で占領し、その後、国際社会が米中両国に管理を委託するというのがいいかと思います」と回答。
ルーズベルトは「蒋介石は琉球群島を欲しくないと思っているのだ」と解釈し、そのあとは何も言わなかった。
しかし、43年11月25日、蒋介石とルーズベルトが再び機密会談をした時に、またもや琉球群島のことに話が及んだ。
ルーズベルトは言った。
「何度も考えてみたのだが、琉球群島は台湾の東北側にあり、太平洋に面している。言うならばあなた方の東側の防壁に当たる。戦略的位置としては非常に重要だ。あなた方が台湾を得たとして、もし琉球を得ることができなかったとしたら、安全上好ましくない。もっと重要なのは、この島は侵略性が身についている日本に長期的に占領させておくわけにはいかない、ということだ。台湾や澎湖列島とともに、すべてあなたたちが管轄したらどうかね?」
ルーズベルトが再びこの問題を提起したのを見て、蒋介石は「琉球は日本によってこんなに長きにわたって占領されているため、もともとカイロ宣言に出そうと決めてあった提案には、琉球問題を含んでいなかった」ので、何と答えていいか分からなかった。
ルーズベルトは蒋介石が何も答えないのを見て、もしかしたら聞こえてないのかと思って、さらに一言付け足した。
「貴国はいったい琉球を欲しいのかね、それとも欲しくないのかね。もし欲しいのなら、戦争が終わったら、琉球を貴国にあげようと思うのだがね」
蒋介石は「琉球の問題は複雑です。私はやはり、あの考え、つまり米中が共同で管理するのがいいのではないかと.…….」とあいまいに答えた。
最後にルーズベルトは「米中両国で共同出兵し、日本を占領してはどうか」と持ちかけたのだが、蒋介石はそれでもやんわりと断っている。
これ以降、ルーズベルトおよびアメリカ側のその他の人は、蒋介石の前では二度と再び琉球のことを言わなくなった。
その結果、8月7日のコラム<「チャーズ」の惨劇はなぜ長春で起きたのか? 蒋介石とカイロ宣言>で書いたように、1943年12月1日に公開された「カイロ宣言」で日本は中国の領土を返還しなければならないと書いた時に、ただ単に「たとえば満州国とか台湾とか澎湖列島など、日本が窃取した中国の領土」としか書かないで、琉球群鳥をその例に挙げなかったのである。
しかし日本に無条件降伏を受諾させた「ポツダム宣言」の第八項には「カイロ宣言は履行されるべく」とあるので、「ポツダム宣言」に受け継がれているという事実によって法的効果を持つ。
***
すなわち、もし蒋介石がルーズベルトとの機密会談において「琉球群島占領」を拒否していなかったら、「中華民国」はアメリカとともに日本を空爆し、戦後の日本をアメリカとともに統治していたことになる。
◆蒋介石「戦後の日本で天皇制を維持すべし」と主張
前述したように筆者はアメリカ国務省にある公文書館の奥深くに潜んでいたカイロ会談の議事録を発見することに成功した。カイロ密談に関してはアメリカ側に正式記録がないために1961年に中国語から英語に翻訳されたドキュメントだ。
なぜ1961年になってカイロ密談議事録の中国語版(王寵恵記録)が英訳されたかというと、1962年3月に沖縄返還ロードマップに関する当時のケネディ大統領のコミュニケが出されたが、これは1960年に東京都が夏季オリンピック開催地に立候補したことと関連している。そのときに沖縄をどう位置づけるのか、沖縄にも日の丸を掲げるのか、聖火リレーはどうするのかなどが話題になったからだ。
この公文書の「中国の概要記録の翻訳」の部分のp.323の(2)には、戦後の日本にとって決定的な体制となる「蒋介石の提案」が書いてある。
以下にその内容を記す。
(2)日本の天皇家の地位に関してルーズベルト大統領は、戦後は皇室を消滅させようと思うが、どうかと蒋介石総統に聞いた。蒋介石は「これは日本政府の形の問題なので、日本人自身に任せて終戦後、彼ら(日本人自身)に決めさせればいいのではないかと思う。国際関係における永続的な問題を惹起しないようにした方がいいのでは」と答えた。
さすが日本に留学し、日本の陸軍士官学校で学んだだけのことはある。日本の根本的な思想と構造をよく理解している。蒋介石の「天皇制は維持すべきだ」という主張がなかったら、戦後日本から続く現在の形はないことになる。
「中国の概要記録の翻訳」の(3)には、ゾッとするような会話が記録されている。
(3)日本に対する軍事的な占領に関してルーズベルト大統領は「戦後の日本に対する軍事的占領に関しては、中国こそがリーダー的な役割を果たすべきだ」という考えを持っていた。しかしながら、蒋介石総統には、そのような重責をひとり中国が担うなどという心づもりはなかった。この業務はアメリカが遂行すべきで、中国は必要に応じてその支援に参加する程度の立ち位置であるべきだと、蒋介石は考えていた。蒋介石はまた、事態の進展に応じて最終的な決定をすればいいと考えていた。(引用ここまで)
これは何を意味しているかというと、蒋介石にとって重要なのは他の国をどのように制覇するかではなく、自国、中国の覇者として自分が残りたいという強烈な思いしかなかったと解釈すべきだろう。
しかし毛沢東が中国共産党軍を率いて起こした革命戦争は蒋介石を台湾に追いやってしまったので、日本は危うく「中華民国」ではなく、現在の中国共産党による「中華人民共和国」に統治されるところだったということになる。
◆長春の惨劇「チャーズ」はカイロ密談の線上にある
このようは機密会談を経て公開された「カイロ宣言」には、繰り返しになるが、8月7日のコラム<「チャーズ」の惨劇はなぜ長春で起きたのか? 蒋介石とカイロ宣言>に書いたように、「満州国」を「中華民国」に返還することが明記してある。
だから蒋介石は「満州国」の国都「新京」(=長春)を死守した。
ルーズベルトの、「もしアメリカと一緒に日本を爆撃するなら、日本を敗戦に追いやったあと、琉球(沖縄)を中華民国にプレゼントする」という誘いを断って、「満州国」の国都だった「長春」を死守し、「中華民国の主は誰か」を全世界に見せようとした。
しかし、蒋介石のその思いは拙著『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』に描いたように、苦しく潰(つい)え去った。
こうして台湾に追いやられた蒋介石の「中華民国」と日本は断交したのだ。
中国共産党が統治する「中華人民共和国」の魅力に惹かれて、「大日本帝国」と闘いながらも「日本国」を守ろうとした蒋介石の悲願である「中華民国」の存在を否定し、日本は「中華民国」と国交を断絶したのだ。蒋介石がどれほど悔しい思いを抱いたか、想像できるだろうか?
中国(中華人民共和国)と国交正常化できたことに狂喜しておきながら、今となって「中国の一方的な国際秩序への挑戦に断固反対する」などと、今度もまたアメリカの尻馬に乗って叫ぶ日本政府の節操のなさよ・・・。
それならなぜ、50年前の1972年に日中国交正常化に狂奔したのか?歴史を俯瞰(ふかん)する視点を持つ力がない日本政府に問いたい。
長春の惨劇「チャーズ」は決して日本と無関係ではない。
日本を慮(おもんぱか)った蒋介石の悲願が招いた惨劇でもあったのだ。
その意味でも、一人でも多くの日本人に『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』にお目通しいただきたいと、唯一の生き証人として願うばかりだ。中国共産党体制によって改ざんされ抹殺されていった「チャーズ」の惨劇は、読者の心の中にしか墓標を建てることができない。
明日8月15日は終戦記念日である。
すべての犠牲者のご冥福を心から祈りたい。
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