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オランダ人も書いていた、長春の惨劇「チャーズ」
1994年9月20日にまだ残っていたチャーズの鉄条網の残骸(筆者撮影)

オランダ人の研究者が2013年にイギリスで出版した中国の国共内戦史(英文)の中で「チャーズ」を取り上げ、その本が中国語に翻訳されて香港で出版されていた。長春の惨劇「チャーズ」が世界に広がりつつある。

◆オランダ人歴史学者が『解放戦争の悲劇』を書いていた

2013年9月、オランダ人歴史学者で香港大学歴史学系の教授Frank Dikötter(フランク・ディケッター、中国語名・ 馮客、以後フランク)はThe Tragedy of Liberation: A History of the Chinese Revolution 1945–1957 (解放の悲劇:中国革命の歴史)という本をイギリスのブルームズベリー出版から出版し、2014年にはオーウェル賞にノミネートされたこともあった。

2018年に香港の聯経出版から『解放的悲劇(解放の悲劇)1945-1957』というタイトルで中国語版を出版している。「解放」の意味は、国共内戦を中国大陸では「解放戦争」とも称し、「中国人民解放軍が国民党によって弾圧されている人民を解放するために国民党軍と戦った戦争」と位置付けているので「国共内戦」を指す。

フランクの、この国共内戦の冒頭に「チャーズ」の話がある。

その書き出しは、2006年に長春で起きた、あるエピソードから始まっている。

筆者もそのころ、あちこちで書いたように思うが、2006年6月、長春で下水道管を掘る工事をしていたときに、地中から大量の人骨が積み重なって出てきたことがある。

これはきっと日本の侵略軍が中国人民を虐殺した痕跡にちがいないとして、いわゆる「万人坑」の一つとして話題になった。

そんなことがあるはずがなく、「(旧)満州国」の国都「(旧)新京(現在の長春)」では中国人の大量虐殺などが起きたことはなく、大量の(何十万にも及ぶ中国人の)人骨があるとすれば、それは「中国共産党軍によって食糧封鎖された時に餓死した中国の一般庶民の人骨以外の何ものでもない」と判断していた。すると案の定、現地の老人が、これは「国共内戦の犠牲者の骨だ」と証言したため、中国ではこれ以上、この「事件」に関して語ることが許されなくなったという出来事があった。

フランクは本の冒頭で、この事件に触れ、そこから1948年に起きた「チャーズ」の事実に関して斬り込んでいる。そして、チャーズの事実は時間の経過とともに「歴史によってゆっくりと忘れられつつある」と書いている。

もっとも、残念なことにフランクの本は、「1945年―1957年」にわたる長い期間の歴史を書いているので、チャーズに関してはほんの少しだけしか触れておらず、また依拠した資料が中国共産党や国民党(中華民国政府)側のファイルだったり、あるいは6月28日のコラム<もう一つのジェノサイド「チャーズ」の真相を書いた中国人は次々と逮捕される>で書いた『雪白血紅』の記述に基づいていたりするので、全体として統一感に欠け、自己矛盾を来たしている記述もある。

その自己矛盾を考察するために台湾の国史館にある資料に当たったところ、興味深い発見をしたので、分析を試みたいと思う。

◆「チャーズには匪賊がいて難民がやられた」という表現

1947年晩秋から1948年晩秋にかけて何が起きたかに関しては6月27日のコラム」<許せない習近平の歴史改ざん_もう一つのジェノサイド「チャーズ」>に書いた通りだ。

1947年晩秋から長春市は中国共産党軍によって食糧封鎖され、数十万に及ぶ一般庶民が餓死によって命を落とした。

当時長春市は鉄条網によって包囲された。鉄条網は二重になっていて、内側の鉄条網は国民党軍側に接し、外側の鉄条網は共産党軍側に接していて、その中間に「チャーズ(卡子)」という中間地帯があった。

一般庶民は国民党側のチャーズの門から「外側に向かって出る」ことは許されるが、ひとたびその門をくぐったら、二度と再び長春市内に戻ることは許されない。

共産党軍側にもチャーズの門があるが、その門は「閉ざされたままで、解放区側(共産党軍が支配する側)に出ることは許されない」。

まるでアウシュビッツのガス室に閉じ込められる形で、難民はチャーズの中に閉じ込められて餓死していった。

このときにチャーズの中で何が起きたか、この世ならぬ、生き地獄の詳細は拙著『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』で詳述している。

だというのに、フランクの本『解放の悲劇』には、「国共両軍の間には広い無人地帯が形成され、その無人地帯はすぐに土匪(その土地の匪賊)によって占領されてしまった」と書いてあるのだ。

この「土匪」という文字を見るとゾッとする。

というのは1990年代初期に長春市の档案館にある資料を調べていたときに、やはり「共産党軍がチャーズの門を開けなかったために多くの一般庶民が餓死した」とはどこにも書いておらず、もちろん「鉄条網の包囲網が二重になっていた」ことも書いてなく、ただ「長春市内にいる庶民が長春から脱出しようとしたが、郊外で土匪に遭い、持ち物全てを奪われて、どうしようもなくなった」と、事実無根のことが書いてあるのを発見したことがあるからだ。

このような無責任なことがあっていいのかと、その時は、この「土匪」という言葉に激しい憤りを覚えた。

「あなたたち、共産党軍が、あのチャーズの門を開けてくれなかったために多くの難民が餓死したのではないか!」と「中国」に向かって叫びたかった。

その「土匪」という言葉が、オランダ人歴史学者の記述にあることに、筆者は強い疑問を抱いたのである。

そこで、彼が根拠としている資料に当たってみた。

◆中華民国・国史館資料

フランクが根拠としている資料は「李克廷致蔣介石電,1948年6月11日,國史館藏檔002080200330042」である。

昔はわざわざ台湾に行ったり、アメリカのスタンフォード大学フーバー研究所まで足を運んだりしたものだが、今はなんと便利になったことだろう。ネット検索で、このファイルにたどり着くことができた。それを以下に示す。

出典:「中華民国」国史館

6月2日の記録の(一)の8番目の文字の所に「共匪」という文字がある。

これは当時、国民党側で「中国共産党側の者」を指し示す言葉で、「あの匪賊のような共産党が」という言い方をしたものだ。「中華民国」時代には頻出する一般的な表現だった。

目を移して左側にある6月11日の(一)の最初の文字をご覧いただきたい。

そこには「奸匪」という文字がある。

これは「共匪」と同じ意味だ。

中国語には「漢奸(ハンジェン)」という言葉があるが、「奸」というのは「邪悪な」「違法な」「敵」「害する者」などの意味があり、「漢奸」は「漢民族」の「奸」という組み合わせから、転じて「売国奴」とか「侵略者の手先」という意味になっていった。「中華民国」から見れば、「中華民国の国民党政府」を倒そうとする共産党員は、みな「邪悪な奴ら」で、したがって「共匪」=「奸匪」ということになり、これは両方とも「共産党軍」を指す。

ところがフランクの英文ヴァージョンであるThe Tragedy of Liberation: A History of the Chinese Revolution 1945–1957 の当該箇所を見ると、この「共産党軍」である「共匪」=「奸匪」に対して、bandits(盗賊)という英単語を使っていることを発見した。

その英文の本に基づいて中文に翻訳したので、「共匪」=「奸匪」が「土匪」になってしまったものと判断することができる。

実際にチャーズの中にいたのは「共産党軍兵士」である。

◆なぜ長春市人民政府の資料に「土匪」とあったのか?

これで謎が解けたが、では、なぜ長春市人民政府の档案館には「土匪によって襲われて、どうしようもなくなった」という趣旨のことが書いてあったのかと言うと、これは割合に明らかだ。

長春市は食糧封鎖によって「無血解放」をしている。

国民党側には蒋介石直系の新七軍と、雲南省から移動させられた第六十軍がいた。第六十軍は軍服もボロボロで一般的に背が低くやや皮膚の色が黒かった。

それに比べて新七軍はピカピカのアメリカ製の軍服を着ていて、袖が長くて体に服のサイズが合っていなかった。子供ながらにその光景は目に焼き付いている。

第六十軍は食糧配布においても差別され、新七軍に虐められているのは誰の目にも明らかだった。

共産党軍はその差別を利用して第六十軍に近づき、こっそり食事を運んでご馳走をしては第六十軍の寝返りを目論んでいた。中国語では「起義(チーイー)」と言うが、長春の国民党が敗北したのは、第六十軍が「起義した」(寝返った)からだ。そのため共産党軍側に付いた元国民党軍側は、共産党側に有利な証言をいくらでも書いた。

こうして「元国民党軍幹部が白状したことなので間違いはない」という「資料」が長春市人民政府の档案館に蓄積されていったのである。

このことは、1990年代に取材した、当時長春を包囲していた中国人民解放軍兵士から証言を得ているので間違いはない。

共産党軍のせいでもなく国民党のせいでもなくて、ただ土着の匪賊に遭って命を落としたということにして責任を逃れれば無難だといった愚かな考え方に基づいて、正式資料に「土匪」という言葉が出現したのだろう。

フランクは官側資料にも基づいて書いているので、こういった事情も混合しているかもしれない。

◆「チャーズ」に関して、やがて世界はつながっていく

筆者がなぜ、突然、フランクの書いた『解放の悲劇』を知るに至ったかというと、実は先般、香港のあるメディア関係者から「チャーズ」に関する取材を受けたからだ。そのメディアがどこであり、その関係者が誰であるかは、今は明らかにできない。

しかし、こうして世界はつながっていくのだと痛感した。

香港大学に在籍するフランク教授に連絡を取って「中間地帯(チャーズ)が土匪によって占拠された」という記述は間違っていることを伝え、互いに情報交換をしながら、より正確な「チャーズ」の姿を世に遺したいと思う。

筆者を取材した香港メディアの関係者は、「世界ではもう、チャーズの実体験者で、文字によって発信できる人は、あなただけしか残っていません。あなたこそは、いま世界に残っている唯一の生き証人です。真実を自分の目で見た人は、もうあなたしかいないんです」、だからいつまでも元気でいてくれと励ましてくれた。

拙著『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』が、人類に真実を残すための、世界的なネットワークを形成することに少しでも貢献できれば本望だ。

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。「中国問題グローバル研究所」所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』(PHP新書)、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(実業之日本社)、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略 世界はどう変わるのか』(PHP)、『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』(ビジネス社)、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤 誉 (著), 白井 一成 (著), 中国問題グローバル研究所 (編集)、実業之日本社)、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』(毎日新聞出版)、『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』(中文版・韓国語版もあり)、『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』、『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。7月初旬に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』(ビジネス社)を出版予定。 // Born in 1941 in China. After surviving the Chinese Revolutionary War, she moved to Japan in 1953. Director of Global Research Institute on Chinese Issues, Professor Emeritus at the University of Tsukuba, Doctor of Science. Member of the Japan Writers Association. She successively fulfilled the posts of guest researcher and professor at the Institute of Sociology, Chinese Academy of Social Sciences. Her publications include “Inside US-China Trade War” (Mainichi Shimbun Publishing), “’Chugoku Seizo 2025’ no Shogeki, Shukinpei ha Ima Nani o Mokurondeirunoka (Impact of “Made in China 2025” What is Xi Jinping aiming at Now?), “Motakuto Nihongun to Kyoboshita Otoko (Mao Zedong: The Man Who Conspired with the Japanese Army),” “Japanese Girl at the Siege of Changchun (including Chinese versions),” “Net Taikoku Chugogu, Genron o Meguru Koubou (Net Superpower China: Battle over Speech),” “Chugoku Doman Shinjinrui: Nihon no Anime to Manga ga Chugoku o Ugokasu (The New Breed of Chinese “Dongman”: Japanese Cartoons and Comics Animate China),” “Chugogu ga Shirikonbare to Tsunagarutoki (When China Gets Connected with Silicon Valley),” and many other books.

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