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日本を中国従属へと導く自公連立――中国は「公明党は最も親中で日本共産党は反中」と位置付け
日本を中国従属に導く自公連立(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)
日本を中国従属に導く自公連立(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

中国は日本の公明党以上に親中の政党は世界にいないとみなし、日本共産党は反中の敵対勢力と見ている。次に親中なのは自民党なので、自公連立ほど中国にとってありがたい存在はない。思うままに動かせる。

◆中国政府高官「自公は親中なので・・・」

あれは確か、2012年9月に自民党総裁選があったときのことだったと思う。

私はテレビの番組に呼ばれて、総裁選立候補者と対談をしたことがある。

そこには「安倍晋三、石破茂、林芳正、石原伸晃」の4氏が並んでいた。町村信孝氏も立候補していたのだが、途中で体調を崩して出席していなかった。

ちょうど自民党が野党に下り、民主党政権と競り合って政権交代を目指していた時期でもあったことから、私は番組で「中国では自民党じゃなくては、という意見が多いですよ」と言った。

すると安倍氏が勢いよく「ほんとですか!」と前のめりになり、4人とも「いいですねぇー!」と声を揃えた。

サービスで言ったわけではなく、尖閣諸島国有化問題により中国全土でデモが起き、中国は民主党政権を「反中」として激しく罵っていた時期でもあったからだ。

私は当時、連日のようにテレビに出ていたので、責任あるメッセージを発していかなければならないと思い、中国政府の考え方を正確に知るべく、中国政府元高官を取材したばかりだった。

元高官は「いやー、民主党はだめですよ。あれは反中だ。やっぱり自民党でなきゃね。というより、何と言っても自民党は公明党と連立を組んでるので、そりゃあ、親中に傾くに決まっている。公明党ほど親中の政党は世界でも珍しいほどですからねぇ」と回答したのだった。

元高官は「自公は親中なので・・・」と言ったのではあるが、何と言っても目の前に並んでいる4人は「自民党」の総裁選立候補者なので、「自公」ではなく「自民党」と言ったのは、サービス精神というより、「自民党総裁選立候補者」だったからだ。

◆中国共産党機関紙「人民日報」も公明党を「親中」と絶賛

事実、中国共産党の機関紙である「人民日報」にも、いかに公明党が親中であるか、いかに日本政府を親中に導いているかに関する論考が載っている

この論考は、中国政府のシンクタンクである中国社会科学院の日本学研究所が発行している『日本学刊』という学術誌(2017年第二期)に寄稿されたもので、作者は日本の創価大学教授で中国の復旦大学日本研究センター研究員でもある汪鴻祥氏だ。

私は2004年まで同じく中国社会科学院社会学研究所の客員教授を務めていたが、日本学研究所は、まるで創価学会の巣窟かと思われるほど、創価学会関係者が多く、中国における宗教は弾圧しているのに、日本の宗教は「公明党」に限り絶賛していたことに、非常な違和感を覚えた経験がある。

汪氏は以下のように述べている。

  1. 1968年9月8日、創価学会第11回学生部会総会において、公明党の創始者である池田大作は講演し、日中関係の問題を解決するために、(1)中華人民共和国の正式な承認と日中国交の正常化、(2)中国の国連での合法的な座席の回復、(3)日中の経済・文化交流の発展、という3つの明確な提案を行った。  
  2. 1971年初頭、公明党は、台湾問題は中国の内政問題であるという認識を示し、国務院外交部日本課の王暁雲課長は、中国卓球代表団の副団長として訪日し、公明党の竹入義勝会長と会談した。 これが公明党と中国との正式な交流の始まりである。
  3. 会談後、竹入は「中華人民共和国を中国の唯一の合法的政府と認め、台湾からの米軍撤退と中国の国連への回復を主張し、さらに日台条約(日華条約)は破棄すべきという声明を発表した。
  4. 中日国交正常化のため、公明党の代表団は1971年6月に初めて訪中し、周恩来首相が会見した。
  5. 1972年7月7日、田中内閣が発足した。 1972年7月25日、公明党代表団は3度目の訪中を行い、周恩来首相と日中国交正常化に関わる重要事項について3回の会談を行った。 1972年9月、田中角栄首相が訪中し、毛沢東主席、周恩来首相と会談し、29日には日中国交正常化の共同声明を発表した。
  6. このように日中国交正常化を実現させて真の功労者は公明党である。
  7. こんにち、公明党が政権与党の一翼を担うことには非常に大きな意義がある。なぜなら自民党を対中友好に導いていくことが可能だからだ。
  8. 公明党は常に中国と緊密に連絡を取り合い、自民党の一部の保守系政治家に対して、日中関係の正しい方向から外れた言動を慎むように圧力をかけてきた。この功績は大きい。
  9. 今後も日中関係において、公明党が日本の政党を対中友好に導いていくという役割は計り知れなく大きい

論考は中国語で2万字以上あるので、全てを網羅することはできないが、何よりも重要なのは上記の、7,8,9で、今般の衆院選に当たり、日本国民は、この恐るべき現実を直視しなければならない。

◆日本共産党は反中で、中国共産党の敵対勢力

それに比べて中国は、日本共産党を反中であるとして、敵対勢力に位置付けてきた時期さえある。

日本共産党に関しては、たとえば<中共と日共はかつて兄弟だったのに、なぜ仲たがいをしてしまったのか>などに見られるように、公明党とは正反対の位置づけなのである。

中国建国当初の中国共産党と日本共産党の仲は、まさに「義兄弟」のようで、当時、新華書店などには毛沢東やスターリン、あるいはマルクスなどと共に、日本共産党の「徳田球一」の肖像画が並べてあったものだ。

私は徳田球一の名を、「とくだ きゅういち」ではなく、中国語の発音の【de tian qiu yi】として初めて知った。

それが犬猿の仲になったのは、文化大革命が勃発した1966年からだ。

中国側の分析は以下のように書いている。

一、日本共産党の宮本顕治(書記長)を団長とする訪中団は広州に行くことになっていたが、突然中国側から上海に行って毛沢東と会談してほしいという提案があった。

二、毛沢東は宮本顕治にソ連を修正主義者として批判することを求めたが、宮本はこの提案を拒否し、毛沢東は大いに不満を抱いた。 その後、中国共産党は日本共産党の修正主義路線を全面的に批判するようになった。

三、毛沢東は1966年7月の演説で、「ソ連の現代修正主義、アメリカ帝国主義、宮本顕治修正主義グループ、佐藤栄作の反動内閣」という4つの敵がいると表明した。

四、それ以降、中国においては「日本共産党はソ連やアメリカよりも、さらには中国を敵視していた佐藤栄作内閣よりも危険な敵」となった。

五、中共が日共と和解したのは1998年に宮本が引退してからだが、今もなお日共に対する不信感は、完全には拭えないでいる。

但し、日本共産党がその後の綱領で、日米安保条約の破棄や在日米軍の撤退を明記していることに関しては高く評価している。

◆衆院選で公明党と連立する自民党を選ぶと、日本は中国のコントロール下に

しかし中国は、日本共産党を通して日本政府を動かすことはできないと認識しており、あくまでも公明党と緊密に連絡し合い、公明党を通して日本の内閣を反中に向かわないようにコントロールしている。

だから中国は自公連立を強く応援しているのである。

このような中、今般の衆院選で公明党を選び、公明党と連立する自民党を選ぶと、日本は中国共産党の思うままにコントロールされ続けることを有権者は気が付いてほしい。

拙著『習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』の第七章の四に詳述したように、日本は中国共産党の発展にただひたすら貢献してきた。戦略に長けた中国は、今は公明党を使って日本を利用し、中国共産党の発展にさらに貢献させようとしているのである。

日本は、それでいいのか?

この現状を受け入れ続けるのか?

だからと言って個人的には日本共産党を支持するのではないが、しかし、このカラクリだけは、日本の選挙民に直視してほしいと切望する。

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。「中国問題グローバル研究所」所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』(ビジネス社)、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』(PHP新書)、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(実業之日本社)、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略 世界はどう変わるのか』(PHP)、『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』(ビジネス社)、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤 誉 (著), 白井 一成 (著), 中国問題グローバル研究所 (編集)、実業之日本社)、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』(毎日新聞出版)、『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』(中文版・韓国語版もあり)、『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』、『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。2024年6月初旬に『嗤(わら)う習近平の白い牙』(ビジネス社)を出版予定。 // Born in 1941 in China. After surviving the Chinese Revolutionary War, she moved to Japan in 1953. Director of Global Research Institute on Chinese Issues, Professor Emeritus at the University of Tsukuba, Doctor of Science. Member of the Japan Writers Association. She successively fulfilled the posts of guest researcher and professor at the Institute of Sociology, Chinese Academy of Social Sciences. Her publications include “Inside US-China Trade War” (Mainichi Shimbun Publishing), “’Chugoku Seizo 2025’ no Shogeki, Shukinpei ha Ima Nani o Mokurondeirunoka (Impact of “Made in China 2025” What is Xi Jinping aiming at Now?), “Motakuto Nihongun to Kyoboshita Otoko (Mao Zedong: The Man Who Conspired with the Japanese Army),” “Japanese Girl at the Siege of Changchun (including Chinese versions),” “Net Taikoku Chugogu, Genron o Meguru Koubou (Net Superpower China: Battle over Speech),” “Chugoku Doman Shinjinrui: Nihon no Anime to Manga ga Chugoku o Ugokasu (The New Breed of Chinese “Dongman”: Japanese Cartoons and Comics Animate China),” “Chugogu ga Shirikonbare to Tsunagarutoki (When China Gets Connected with Silicon Valley),” and many other books.

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