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「習近平vs.李克強の権力闘争」という夢物語_その1
中国人民政治協商会議 第13期第3回会議における習近平国家主席と李克強国務院総理(写真:ロイター/アフロ)
中国人民政治協商会議 第13期第3回会議における習近平国家主席と李克強国務院総理(写真:ロイター/アフロ)

巷では、習近平と李克強が権力闘争をしていると主張したがるチャイナ・ウォッチャーが多い。中国政治の仕組みも真相も知らないためか、ますます主張が過激になっている。それは日本の国益に適わない。夢物語を斬る!

◆権力闘争論者が証拠として挙げる事例

権力闘争論者が証拠として挙げる事実には以下のようなものがある。

  1. 5月28日、全人代閉幕後の記者会見で、李克強国務院総理(首相)「露店経済」を推奨したが、すぐに北京などのメディアによって否定された。習近平路線に反する言動を勝手にやった。
  2. 同じ記者会見で李克強は「中国には月収1000元に満たない者が6億人以上いる」と言ったが、これは習近平が目指す「小康社会」を真っ向から否定している。習近平が公にしたくない話を勝手に暴露した。
  3. 習近平は今年7月21日に企業家座談会を開催したが、そこには李克強が出席していなかった。これは李克強外し以外の何ものでもない。
  4. 今年8月に李克強が重慶の水害に関して視察に行ったが、中国の主要メディアはそれを無視して報道しなかった。習近平が安徽省を視察したことは大きく報道した。これは主要メディアを掌握している習近平が李克強を無視するように仕向けた結果で、「習近平vs.李克強の権力闘争」が極まった動かぬ証拠だ。

少なくとも上記4つの事実に関して、それがいかに「夢物語」であるかを一つずつ示そうと思う。ただあまりの長文になるので、「1と2」に関しては「その1」で、「3と4」に関しては「その2」で解説する。

1.露天商発言に関して

李克強は記者会見で「西部のある都市で、露店を開いたら一晩で10万人が就業できた」として中国日報社の質問に答えた。日本の権力闘争論者は、「習近平の了承も得ずに禁止されている露天商を推薦したのは習近平への反乱だ」という趣旨の主張をしている。だから習近平は李克強潰しにかかっているという「筋立て」である。

しかし、実は中国共産党中央委員会(中共中央)が管轄する中央文明弁(中央精神文明建設指導委員会弁公室)が会議を開いて、露天商を制限しないと決議したことを5月27日に発表している。この決議は即座に中央テレビ局CCTVでも盛んに報道され、翌日の李克強の記者会見における回答がすでに準備されていたことを示唆している。このことは北京の「新京報」など多くのメディアが伝えていた。

但し、中国経済の構造が積み上げてきた結果として、露店が許可されるのは中国で言うところの第三線都市か第四線都市あたりが多く、北京市や上海市などの第一線都市ではそもそも勧められていない。

今年はコロナの影響があり、2020年3月末から動き出したのが四川省の成都市だった。成都市を北京市や上海市のような昔からある第一線都市と区分けするのは困難で曖昧性がある。つまり改革開放後に発展を遂げた新興の都市としては第一線に入れられなくもない。その微妙な線上にある成都市は露店経済で賑わっていた。北京や上海のように対外的に「おしゃれ」である必要がないという側面もあり、庶民のボトムアップの経済的欲求の方が勝っていた。

中共中央文明弁では、そういった社会背景も踏まえながら、成都市の現状とコロナ後の中国経済の現状を詳細に討議し、露店業に関して中共中央で「審査の対象としない」=「許可する」という決議を出したのである。

中国では早くから、「露店の許認可」は「各地方政府が決定する」形を取っているから、李克強の記者会見のあと、北京市や上海市のような第一線都市は「わが市はやりませんよ」という、従来通りの声明を「地方政府」として出した。露店の許可審査は各地方都市の政府がするからだ。

改革開放が進む中で、環境問題や外国人観光客などへの配慮から中央で抑制する方向に動けと各地方都市に指示を出していたが、コロナで大きな打撃を受けたので、今年は中央で「審査対象としない」という決議を出して各地方行政にシグナルを出したということになる。

コロナの影響で経済が落ち込み、誰もが露店をやりたがり、これまでのしきたりを知らない北京の若者たちもやろうとしたので、改めて北京や上海などの第一線都市は都市行政として「もともと許可していない」し「今回も許可する都市には入っていない」という再確認の通知を出したに過ぎない。

この中国政治の基本構造と経済的な社会背景を知らない日本の権力闘争論者たちは、これぞ「権力闘争の証拠」とばかりに飛びついたわけだ。

習近平は中共中央総書記である。中共中央文明弁のトップにいるのは王 滬(こ)寧だが、その上にいるのは言うまでもなく中共中央総書記・習近平。習近平の許可なしに王 滬寧が一人で意思決定することはあり得ない。

つまり5月27日に習近平がトップを務める中共中央の許可を経た上で、李克強は28日の記者会見に臨んだことになる。

権力闘争論者は、ここまでの事実を掌握せずに、論理的に事実に反した「煽り記事」を書き続けている。

2.「平均月収1000元の人が6億人」発言

李克強は同じ記者会見で「中国の平均年収は3万元だが平均月収が1000元の人が6億人もいる」と発言した。

これに対して日本の権力闘争論者たちは、「習近平の了承を得ずに中国の貧困の実情をばらしてしまった。これは貧困脱却を謳っている習近平への重大な反逆だ」と主張している。

この主張がいかに事実無根であるかを示そう。

実は2014年の時点で李克強は「中国には一人平均純年収が1400米ドルに達しない農民が6億人いる」と表明している。これは世界経済フォーラムでのスピーチで言った言葉で、習近平との度重なる協議の末に決めたデータだ。だから2014年5月9日の中国共産党機関紙「人民日報」にも堂々と大きく掲載されている。リンク先として中華人民共和国商務部のウェブサイトを挙げておこう。

この1400米ドルを当時のレートに変換すると約8600人民元となり、月収716人民元となる。それが今では1000元になったというのは、かなり上昇したことになる。記者会見での「6億人」は2014年でのスピーチの「6億人」と同じで、実は農民を指している。

何としても習近平は2021年までに貧困から脱して小康社会を実現したいと思っているので、この数値も習近平をはじめとした中共中央が共有しているデータである。

人民日報(ここでは商務部公式サイト)には「平均純収入」という形で掲載されているが、これは一世帯の収入を世帯人口で割り算した数値を指す。仮に農家の一人当たりの月収が1000元で、その世帯には仮に祖父母や孫(赤ちゃん)など世帯人口が5人いたとすると、その世帯には実際は5000元の月収があることになる。「平均純収入=世帯収入/世帯人口」であることに留意しなければならない。

今年5月28日の記者会見においても、実は中国共産党機関紙である「人民日報」の記者の質問に対して回答したものである。一般に質問は事前に出されているが、特に人民日報だ。党内で検討していないはずがない。

実は習近平は国際社会に対して中国はあくまでも「発展途上国」だとして途上国優遇策を獲得し続けている。したがって貧困脱却を謳うと同時に、実は「一人当たりのGDPは少ないんです」という矛盾したシグナルを発し続けている。

中国の2020年の貧困脱却の基準は、毎年の「平均純収入」が4000人民元以下なので、李克強が言った年収1万2000人民元以下というのは、かなりの収入がある者を指しており、習近平が党の方針として唱えている貧困脱却をかなり達成しているということになる。習近平は一方では発展途上国優遇という特別待遇を維持しようとしているので、この金額が中共中央(習近平)にとってのギリギリの妥協線なのである。

以上述べた「1と2」の詳細は白井一成氏との共著『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』のp.81~p.85に書いた。

長すぎるので、「3と4」に関しては、このあと続けて発表するコラム「その2」で書くこととする。

(本論はYahooニュース個人からの転載である)

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。「中国問題グローバル研究所」所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』(PHP新書)、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(実業之日本社)、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略 世界はどう変わるのか』(PHP)、『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』(ビジネス社)、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤 誉 (著), 白井 一成 (著), 中国問題グローバル研究所 (編集)、実業之日本社)、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』(毎日新聞出版)、『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』(中文版・韓国語版もあり)、『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』、『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。7月初旬に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』(ビジネス社)を出版予定。 // Born in 1941 in China. After surviving the Chinese Revolutionary War, she moved to Japan in 1953. Director of Global Research Institute on Chinese Issues, Professor Emeritus at the University of Tsukuba, Doctor of Science. Member of the Japan Writers Association. She successively fulfilled the posts of guest researcher and professor at the Institute of Sociology, Chinese Academy of Social Sciences. Her publications include “Inside US-China Trade War” (Mainichi Shimbun Publishing), “’Chugoku Seizo 2025’ no Shogeki, Shukinpei ha Ima Nani o Mokurondeirunoka (Impact of “Made in China 2025” What is Xi Jinping aiming at Now?), “Motakuto Nihongun to Kyoboshita Otoko (Mao Zedong: The Man Who Conspired with the Japanese Army),” “Japanese Girl at the Siege of Changchun (including Chinese versions),” “Net Taikoku Chugogu, Genron o Meguru Koubou (Net Superpower China: Battle over Speech),” “Chugoku Doman Shinjinrui: Nihon no Anime to Manga ga Chugoku o Ugokasu (The New Breed of Chinese “Dongman”: Japanese Cartoons and Comics Animate China),” “Chugogu ga Shirikonbare to Tsunagarutoki (When China Gets Connected with Silicon Valley),” and many other books.

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