香港は今、中国世界の中心にある。長い間、東西の出会いの場だった香港だが、今では新冷戦におけるベルリン、あるいは権威主義の中国共産党と開かれた社会の自由な価値観との間のイデオロギーの戦場と呼ぶ人もいる。
今夏の香港は、昨年と違って大規模なデモも催涙ガスも、炎上するバリケードもないが、緊張は高まり、街は分裂したままである。国家安全維持法(NSL)施行後の最初の1カ月は、香港および世界各地で多くの人々が大切にしている自由と開放の理想に対する攻撃が連続して起きた。7月最終週には政治的自由が劇的な打撃を受けた。
仕打ちに次ぐ仕打ち
2019年11月の区議会議員選挙で反政府派の候補者が多数当選して以来、今年9月の立法会選挙に向けて可能な限りの票を得ようと反政府派は総力を結集してきた。多数の野党候補者を絞り込むため、7月初めに現実の投票所で実施した整然とした「予備選挙」も、その取り組みの一環だった。中国政府や香港政府の支持者からは違法だと批判され、国家安全維持法に違反している可能性さえあったが、予備選挙に法的拘束力はなく、実際には立候補することを制限するものではなかった。しかし、候補者選びに意見を表明したいと思う61万人以上の香港市民を引き寄せた。
それもすべて空しく終わった。選挙管理委員会は、民主派や反政府派の多数の候補者に対し、国家安全維持法についての立場や選挙期間中にどのような政治的立場を推進するかを表明するよう求めた。その結論は、立候補者の受け付け締め切り前日に明らかになり、12人の候補者が正式な選挙への立候補資格を取り消された。失格となった候補者には、立法会の現職議員である楊岳橋氏、郭栄鏗氏、郭家麒氏、梁継昌氏の4人も含まれている。彼らが現職の立法会議員の立場を維持できるのかは不明だ。
この資格取り消しは当然のことながら怒りを引き起こし、国家安全維持法の性急な施行は9月の開かれた選挙を抑圧するためではないかという最悪の懸念が裏付けられたようだった。ところが、林鄭月娥行政長官はさらに一歩先を行き、選挙を1年間延期した。理由はもちろん新型コロナウイルスだった。香港ではここ数週間、感染者や死亡者が比較的急激に増加している。欧州や米国で起きているレベルよりはかなり低いものの、社会的距離確保の強化策やレストランへの厳しい規制を政府が導入するのもやむを得ない高い水準ではある。選挙は延期すべきだという主張に確かに強い論拠はあり、延期する政府は香港が初めてというわけではない。しかし、韓国、台湾、シンガポールといった他の東アジア諸国は、すべてパンデミックの期間中に選挙を実施できた。これらの国に倣えなかったのだろうか。 仮にそうだとしても、林鄭月娥長官とそのチームが選挙実施のための代替案づくりに大きな努力を尽くしたと信じる人はほとんどいないだろう。1年先延ばしにしてその結果を受け入れる方がはるかに楽だ。それにしても、新型コロナの影響を受けなかった予定など今年あっただろうか。
もし政府が有権者の信頼を得ていたのであれば、選挙の延期ははるかに気持ちよく受け入れられただろうが、行政長官とその政府に対する不信感はあまりにも大きく、長官のすることはすべて否定的に解釈される。選挙で民主派の躍進が予想され立法会の過半数を取る可能性を考えたとしても、今回の延期が、選挙大敗を避けるための政府による純粋な政治判断とみるのは、あまりに単純すぎる。立法会の選挙制度は区議会とは異なる。昨年11月の区議選では単純小選挙区制の性質上、政府候補が地滑り的に敗北したとはいえ、それでも政府側の候補者の得票率が約40%あったことを忘れてはならない。
選挙延期に関する懸念については、香港弁護士会が政治から独立した立場で的確にまとめている。同弁護士会は先に発表した声明で、不透明な意思決定プロセスや、市民社会との協議の欠如、数カ月ではなく1年という選択、それに延期が引き起こす法律上の問題を指摘した。政府は延期によって生じる法律上の問題を基本法上どう整理するかについて、全国人民代表大会にすべて委ねている。
選挙以外にも、国家安全維持法の最悪の面がこれまでに明らかになっている。7月下旬には、16歳から21歳までの4人の若い活動家が、ソーシャルメディアに投稿したコメントを理由に国家安全維持法の下で深夜に逮捕された。その投稿は、独立派の政治思想を推進し、香港共和国の樹立を訴えるものだった。さらに現在海外にいる6人の活動家が香港警察によって指名手配され、ソーシャルメディアへの投稿や、外国メディアおよび外国の政治家との接触を巡って、国家安全維持法に違反した容疑をかけられている。
国家安全維持法が発動
国家安全維持法は、政治的権利と言論の自由を制限するため香港政府と警察によって活発に行使されている。
出所:テレグラムのオンライン抗議チャンネル
その事例は枚挙にいとまがない。香港大学の戴耀廷准教授は、2014年の 抗議運動「オキュパイ・セントラル(中環を占拠せよ)」の組織に関与したことで有罪判決を受け、大学から解雇された。大学の評議員会は解任要求を拒否したが、上部組織の運営審議会が解任を可決した。この動きは、香港の学問の自由に対する新たな攻撃であると広く受け止められている。
白色テロ、ブラック・ミラー
香港の変化の速さは恐ろしい。法律施行後の 1カ月間は「衝撃と畏怖」で始まった。昨年の抗議活動では、デモ参加者の多くが香港で起きていることを表現した言葉にやや誇張もあった。しかし、思想や言論の自由の制限は急速に進んでいる。そこであるクリエイティブな人物が、「ブラック・ミラー」のロゴをまねて香港を表現した。英国のテレビドラマシリーズ「ブラックミラー」は、さまざまな技術の利用が支配と監視による暗黒の未来をもたらす社会を描いているが、それは現代の中国の先行きを示しているようだ。香港を表現したロゴは、ガラスの弾丸痕にハッピーフェイスではなく「くまのプーさん」の顔を使っている。習近平氏を揶揄するシンボルであり、中国ではもちろん禁止されている。風刺と嘲笑は中国では許されない。このグラフィックの文字が示す通り、新しいエピソードは毎日起きている。
くまのプーさんの顔は、からかわれて叫ぶ男、習近平氏を風刺する一方で、香港で日々何が起きているのかについては曖昧にできる。林鄭月娥長官とその政権は、中南海や香港連絡弁公室の命令に従う北京政府の傀儡(かいらい)だと表現するのは非常に簡単だが、それはあまりにも雑なアプローチだ。もちろん中国政府は香港に対して一段と厳しい態度を取っているが、国家安全維持法を進んで執行しているのは香港警察である。中国政府は香港警察にさまざまな新しい権限を与えており、彼らはその行使に熱心だ。いずれにしても彼らは合法的な存在である。違法行為は行われていない。しかし、昨年の抗議行動に関して法的・政治的に一斉検挙の制裁を受けた指導者や一般参加者たちがいる。
デモ参加者たちは昨年、警察官とその家族をあからさまに侮蔑した。警察官とその家族の個人情報をオンライン上でさらす「ドキシング(Doxxing)」が普通に行われた。在宅中の警察官の家族に対して、シュプレヒコールをしたり窓にレーザーポインターを照射してたりして脅す行為や、警察官の子どもたちに対する学校でのいじめは、すでに難しくなっている事態をさらに悪化させるだけだった。国家安全維持法によれば、警察官は昨年のデモの際に柵を挟んで対面していたすべての学生や若者を追跡する法的権限を持っている。同法の下では、自分の所有物に抗議スローガンを表示することさえ犯罪になるので、多くの学生は当然ながら不安を感じている。香港政府も警察も情けをかける気はない。彼らは昨年の混乱に対し、いかなる責任も決して受け入れていない。抗議活動が行われた期間全体が、政府転覆を明確に意図した外国の支援を受けた混乱の1つとして位置付けられ、今や弾圧が本格化している。
世界が見ている
香港での中国の行為に世界的な反発は続いている。米国は香港に対する貿易の優遇措置を正式に取り消し、香港との犯罪人引き渡し条約を停止または取り消す国が増えている。しかし、世界に広がる非難の中でも際立っているのは、英国が香港の英国海外市民(BNO)パスポート保持者に市民権を与える方針を継続していることだ。かつての植民地支配国であり、なお拘束力のある共同宣言の署名国である英国政府としては、そうすべきことなのだろう。しかし、歴史的に中国に対しておおむね寛容だったことや、欧州連合(EU)離脱の渦中で移民に対する考え方が一般にはっきりしないことからみて、こうした強硬な立場はやはり驚くべきものだろう。
ボリス・ジョンソン首相の姿勢は、香港の人々にとっては歓迎すべきことだが、その恩恵を受けるのは一部にすぎない。英国が取った強硬姿勢は、中国の劉暁明駐英大使の激しい言葉なしには考えられなかった。劉氏は英国に対し、両国関係の「雰囲気に毒を盛っている」と非難した。彼は、中国は両国間の「相互の信頼を弱めることは何一つ」していないと言明。さらに、新疆ウイグル自治区のウイグル人に対する違法な収容、不妊手術の強制、その他の残忍な扱いを巡る「世紀の嘘」を広めた責任が、他の西側諸国とともに英国にあると主張した。彼はこのほどBBCの朝のトーク番組に出演した際、頭髪を剃られ目隠しをされた囚人たちの映像や、拘束中に受けた残忍な扱いを説明する女性の録画を見せられた際に、新疆で何が起きているのかを説明できない姿があらわになった。劉氏は怒りに震えていた。
英国の第5世代(5G)通信網インフラへのファーウェイ参入に対する英国政府の態度の反転は、劉氏の怒りをさらに煽っている。劉氏の話を聞いた人は、彼が英国国家の指導者であり、政府の政策はまず彼の承認を得なければならないと思ってしまうだろう。劉氏は、英国には商業契約について考えを変える権利も、独自の通信事業者を選ぶ自由もないと考えているようだ。ファーウェイに関する英国政府の姿勢に対する劉氏の脅しは、重要なインフラへの中国の関与に各国が慎重であるべき理由を示す十分な証拠となっている。劉氏は香港での英国の行動を中国への内政干渉だと非難する一方で、自分自身は中国にとって気に入らない決定を英国が下した場合、自由にコメントし、どういう結果になるか脅せると思っているのだ。また、ファーウェイや中国政府が主張するようにファーウェイが単なる一民間企業であるならば、中国の外交官がなぜ同社の商業的成功にこれほど関与すべきなのか疑問が生じる。
しかし、香港を巡る英国の立場に対する劉氏の行動と反応は、習近平政権下の今日の中国が世界における自らの役割と立場をどう考えているか驚くほど明確に示している。中国に対する批判は内政干渉になるのだ。中国に関連する何らかの事項について考えを変えると、脅迫と報復を招く。このコラムではこれまで、米国の世界的リーダーシップの欠如を嘆いてきた。しかし、世界の民主主義国は中国の挑戦を認識し、対応する必要がある。
中国が香港を抑圧する中、世界がどのように対応するかを香港は試金石となって示している。悲しい現実は、香港は中国の香港であって、中国政府が認めた道を逆行させるためにできることはほぼなく、香港人はただそれに従わざるを得ないことだ。しかし、香港が発している警告は中国がどう行動するかだけではない。世界の反対に直面したとしても、自国の核心的利益だと考えることは貫徹しなければならないという中国の決意の強さについても警告している。習近平氏は、香港は同調させる必要がある場所だと考えている。台湾に対しても間違いなく同じ考えが働いている。香港の物語はまだ終わらないが、その物語が習氏の壮大な野望の最終章になることもない。
カテゴリー
最近の投稿
- A sorry week for Britain’s China Policy
- 中国半導体最前線PartⅣ 半導体微細化「ムーアの法則」破綻の先を狙う中国
- 中国半導体最前線PartⅢ AI半導体GPUで急成長した「中国版NVIDIA」ムーア・スレッド
- 返り咲くトランプ
- 中国半導体最前線PartⅡ ファーウェイのスマホMate70とAI半導体
- 中国半導体最前線PartⅠ アメリカが対中制裁を強化する中、中国半導体輸出額は今年20.6兆円を突破
- 中国メディア、韓国非常戒厳「ソウルの冬」の背景に「傾国の美女」ー愛する女のためなら
- なぜ「日本人の命を人質」にマイナ保険証強制か? 「官公庁の末端入力作業は中国人」と知りながら
- Trump Returns
- フェンタニル理由にトランプ氏対中一律関税70%に ダメージはアメリカに跳ね返るか?