
※この論考は11月3日の<China’s Linguistic Offensive Against Taiwan: When Words Become Sovereignty>の翻訳です。
ここ数週間、中国政府は「台湾光復節」の制定を発表し、新華社通信を通じて「鍾台文」という筆名で「中華民族の復興」「平和的再統一」「共通の文化的ルーツ」などのテーマを取り上げた一連の論考を配信した。一見するとこれらの文章は冷静かつ理性的で、融和的な印象を与える。しかし実際には、はるかに戦略的な意味があり、慎重に計画された「ナラティブ戦争」の一翼を担っている。
この戦いの武器はミサイルではなく、言葉だ。その目的は説得ではなく定義にある。中国政府の考えでは、現代において権力は強制力によってのみではなく、言葉で現実を操ることでも行使できる。
I. 言葉を利用した政治:「光復」から「再統一」へ
中国の政治用語において、言葉は決して中立ではない。中国政府は「台湾光復」を政治日程に組み込むことにより、「言葉の上での支配権獲得」とも言える行為に出ている。こうしたナラティブの再構築は、主権への野心を柔らかい言葉で包み込んでいるのだ。つまり、「統一」を「光復」に置き換えることで、歴史的に正当性があるように思わせ、未来を併合ではなく「自然な回帰」として描こうとしている。
この戦略は、まさに香港で起きたことを思わせる。1997年以降、「港人治港(香港人による香港統治)」の原則は、次第に「愛国者治港(愛国者による香港統治)」に置き換えられていった。まず政治言語が書き換えられ、次に制度が続き、ナラティブが常態化した後で統治構造が変容したのだ。
中国政府は今、これと同じやり方を台湾にも適用しようとしている。言葉を通じて現実の政治条件をあらかじめ整えようとしている。
台湾にとって、これは歴史の解釈をめぐる議論ではない。主権を侵害する行為だ。「光復」という言葉が国際的な言説として受け入れられるようになれば、台湾の存在そのものが、中国文明の延長線上に連なるものとして再定義されてしまうおそれがある。
ナラティブ戦争が巧妙なのは、まさにこの点にある。強制するわけではないのに、認知的境界が微妙にシフトするのだ。服従を強いるのではなく、想定しうる境界を再定義することで力を行使する。
II. ペースと目的:国家が仕込むナラティブの急増
「鍾台文」の論文はメディアのエコシステムの中で自然発生したものではない。新華社とCCTVで連動して配信されたということは、国家レベルの広報活動であることを示している。内容は「世論」や「平和」といった言葉で包まれているが、以下で説明するように、その対象者と目的に二面性があるのは間違いない。
国内ではナショナリズムの信念を強化し、「再統一」を歴史の必然的な道筋として常態化する。国際的には、中国政府を合理的で平和を求める当事者として位置付けつつ、台湾の民主的な訴えを常軌を逸した行為、または不安定化要因としてその正当性を否定する。
これは単なるプロパガンダではない。それは「政策に先行する工作」だ。「平和的再統一」「運命共同体」「血のつながりと伝統」といった言葉を繰り返し発信することで、中国政府は「先延ばしにされている必然性」という心理的枠組みを構築している。つまり、統一は突然でも強制でもなく、歴史の自然な成り行きというわけだ。
その論理は単純で、すでに聞き慣れたナラティブなら、いずれ政策が実行に移されても抵抗は弱まる。同じ言葉を繰り返すのは、レトリックの多用ではなく政治的な地ならしだ。
III. 平和のレトリックと分断の論理
中国政府にとって最も効果的な政治的ツールは「平和」の呼びかけであることが多い。「鍾台文」の文章は「平和的発展」や「対話とウィンウィンの協力」を強調しており、冷静な合理性を演出している。だがこれは、「まず言葉、次に制度」という体系的な順次戦略の一環だ。
「平和的統一」は強制の放棄を意味するわけではない。むしろ、それは「認知的な分割統治の戦術」だ。仮に台湾が中国が求める条件での政治対話を拒否すれば、中国は台湾を平和を妨げる側として描く一方で、自らを対話を求める理性的な側として演出できる。
このようにレトリックを反転させることで、国際社会を偽りの道徳的同等性、つまり「どちらの側も挑発は避けるべき」と思わせる罠に誘い込む。
台湾の大陸委員会が簡潔に指摘したように、中国政府のいわゆる「愛国者による台湾統治」は、「正当性を欠いた見せかけの香港モデル」だ。重要なのはうわべの言葉ではなくその実像だ。「鍾台文」のレトリックは和解ではなく服従を、対話ではなく支配を目的としている。
IV. 戦略的意図:言説主権を再び国家の管理下に
「鍾台文」事象には、中国政府が「言説主権」を改めて国の管理下に置こうとしているという、より深い意味がある。これは長期的な政治プロジェクトで、中国、台湾、そして世界が両岸問題を理解する上で語られる言葉への支配を取り戻そうとしているのだ。
この取り組みは、相互に連動する次の3つのメカニズムで機能する。
- 認知的な先手。行動を起こす前に、意味論的な領域を掌握する。「統一」を「光復」に、「分離主義」を「誤解」とすることで、中国政府はすでに心理戦の場を形成している。
- 制度的演出。言葉によって政治の基盤を整える。ナラティブが定着すれば、その後の法的手段や行政措置に対する抵抗が和らぐ。
- 世界規模の共鳴操作。中国政府は、外交ルート、友好的シンクタンク、メディア網の影響力を通じて、解釈の枠組みを世界に発信している。時間の経過に伴い、台湾は民主的なパートナーではなく「一つの中国」という枠内の「国内問題」として、言葉の上で位置付けが再定義されるおそれがある。
この枠組みでは、言葉によって統治が行われる。国境は地図上ではなく人々の意識の中で引き直される。中国政府はもはや支配権を主張するために領土を独占する必要はない。つまり、心理的な独占をはかっているのだ。
台湾にとって、最前線はすでに言葉の領域に移っている。主権は法と安全保障の能力だけでなく、現実を定義する権利にも宿る。ナラティブの主権が崩壊すれば、制度的主権もすぐに崩壊してしまう。
V. 文明論的レトリックとAI時代の言葉の力
中国政府のナラティブ戦略は、「文明国家」を標榜するようになったことと切り離せない。習近平体制下では、言葉は単なる道具ではなく、体制を正当化する柱である。共産党は今や「中国式現代化」を、自由民主主義に代わる道徳的・統治的パラダイムとして組み込もうとしている。
こうしたイデオロギーの再定義には次の3つの目的がある。
- 文明的正当性 – 中国共産党を多くの政府の一つではなく、西洋の規範的批判を超越した文明秩序の守護者と位置付ける。
- 解釈の支配 – 解釈そのものを主権の領域として扱い、歴史とアイデンティティの定義を支配の一形態とする。
- 技術政治的な増幅 – AIを活用したメディアのエコシステム、レコメンデーションアルゴリズム、合成ペルソナを展開し、国内外でナラティブの支配を運用化する。
したがって「鍾台文」の活動は、文明的ナショナリズム、制度的安定、デジタル権威主義の融合という、より大規模な戦略の一環に位置付けられる。このモデルでは、言葉は単に何かを伝えるものではなく、統治だ。台湾をめぐる争いは単なる領土問題ではなく、認識論的な争いである。すなわち、現代性、正当性、そして中国語圏の未来を誰が定義するかという争いなのである。
情報エコシステムはAI時代に入り、ナラティブの主権が国家安全保障の最前線となっている。台湾や他の民主主義国にとって、真実を守ることはもはやジャーナリズムや広報外交だけの問題ではなく、戦略的生存の問題だ。
VI. 地域への影響とナラティブの防衛
中国政府によるナラティブの攻勢は台湾だけを標的としたものではない。東アジアの戦略的言説を書き換えようとする広範な試みの一環だ。中国は「主権競争」を「共同発展」に置き換え、制度の浸透を「運命共同体」というレトリックで覆い隠そうとしている。
東南アジアでは、インフラ資金調達や経済外交が地政学的影響力の行使ではなく「ウィンウィンの協力」と位置付けられている。インド太平洋地域では、日米主導の民主主義的な連携に対抗して、「平和的台頭」というナラティブが使われている。
日本などその他の地域の民主主義国にとって、その戦略的危険性は明らかだ。平和をめぐる中国の語彙が広く受け入れられるようになれば、民主主義的な安全保障のナラティブは追いやられるおそれがある。
したがって、台湾と日本は協力関係を軍事的な相互運用性や技術に限定することはできない。以下3つの具体的な次元で「ナラティブの防衛」にも拡大する必要がある。
- 制度 – ルールに基づく多国間主義を守り、一義的な政治言語が国際環境を支配することを防ぐ。
- メディアや知識のネットワーク – ジャーナリズムやシンクタンクが国境を越えて連携し、偽情報や言説の支配に対抗する。
- 文化的ストーリーテリング – アジアの経験に根差した民主的近代性のナラティブを推進し、この地域に適しているのは「中国式現代性」だけだとする虚構に対抗する。
中国は、平和の旗印を掲げて支配を進めることに長けている。しかし民主主義には独自の対抗能力がある。それは多様性だ。台湾の経験は警告であり、教訓でもある。主権は戦車ではなく言葉によっても脅かされる。
VII. 結論:言葉の境界で現実を防衛する
「鍾台文」の出現は偶然ではない。これは中国の政治手法における転換点を示している。つまり、「力による外交」から「意味論的統治」への移行だ。この新たなパラダイムでは、概念が強制に取って代わり、言説の常態化が制度上の併合に先行する。
しかし言葉での勝利と政治的勝利は同じではない。体制が言葉による独占に固執するのは、往々にして正当性への不安からであることを歴史が教えている。台湾の存在そのもの、すなわち多元的で民主的かつ自治的な存在は、中国が押し付けようとする覇権的ナラティブを崩壊させるものだ。
したがって民主主義を守るには、反論するだけではなく発信し続けることが必要だ。台湾が自らのストーリーを自らの言葉で明確に語り続ける限り、言葉の境界線は開かれたままであり、主権は生き続ける。
台湾の課題は軍事的圧力に耐えることだけでなく、言語と現実が交わる境界で声を上げることだ。力が未来を書き換え、過去を塗り替えようとするとき、唯一の真の抵抗は真実を語ることだ。それも繰り返し、何度も。
国家を守ることはその語彙を守ることだ。民主主義を守ることはその言語を守ることだ。台湾は他者のナラティブの対象となるだけでなく、自らも自身のナラティブを紡いでいかなければならない。
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