
※この論考は10月29日の<The UK’s Shambolic China Policy>の翻訳です。
収束しない騒動
昨年12月、英国ではアンドリュー王子と中国人スパイの話題がメディアを賑わせた。アンドリュー王子の最も親しい知人の1人が、中国共産党の中央統一戦線工作部(UFWD)と深い関わりを持つ中国人だったことが明らかになったからだ。UFWDは、中国と海外団体の積極的な関係構築を通じて共鳴者のネットワーク拡大を目指す組織で、英国政府がまたしても国内での中国による影響工作を抑えられなかったことが浮き彫りになった。
ここ数週間の報道で、これら2つの話題は再び注目を集めている。アンドリュー王子はジェフリー・エプスタイン元被告と長年交流があったことで今も渦中の人だ。一方で、中国に情報を流した疑いのある英国人2人に対する「確実に勝てる」はずの裁判が頓挫し、英国政府は根底から揺さぶられている。政府も、起訴を取り下げた英国検察庁(CPS)も、裁判が始まるわずか数週間前になって起訴を取り下げた理由について、一貫した説明を提供できていない。その弁明と説明を聞いた英国内の政治評論家や法律専門家、中国観測筋は、なぜこれほど重要な裁判を進められなかったのか、困惑と苛立ちを感じている。起訴できなかったことは、政府への信頼に深刻な打撃を与えただけでなく、中国への対応とのバランスがいかに難しいかを露呈することにもなった。
「確実に勝てる」裁判
2023年3月、クリストファー・ベリー氏とクリストファー・キャッシュ氏は、「敵」にとって有益になり得る情報を収集したとして、公務機密法(OSA)違反の容疑で逮捕された。1年後の2024年4月、2人は正式に起訴された。長年にわたり中国を批判してきた元保守党党首のイアン・ダンカン・スミス氏や、前保守党政権で安全保障担当大臣を務めたトム・トゥーゲンハット氏など多くの議会議員は、当時の治安当局から受けた説明に基づき、この訴訟を「確実に勝てる裁判」と表現した。
起訴内容は、2021年12月から2023年2月までの活動に関するものだ。ベリー氏とキャッシュ氏は中国で出会い、キャッシュ氏が英国に戻った後も連絡を取り合っていた。キャッシュ氏は、中国と中国共産党の行動に広く批判的な議員グループChina Research Group(中国研究グループ)で、議会調査員として働いていた。キャッシュ氏はさまざまな内部情報(ただし、必ずしも秘密情報ではない)をベリー氏に渡し、ベリー氏は一連の報告書を作成して、検察が中国の情報工作員だとする「アレックス」という名前の中国側の連絡先に渡していた。情報はその後、習近平氏の右腕とも言われる事実上の首席補佐官、蔡奇氏に渡された。検察によると、蔡氏は2024年7月にベリー氏とも面会したという。
これは紛れもなく、あらゆる面で最高レベルの注意を払うべき注目度の高い事件だった。2022年、英国情報局保安部は、現職および立候補予定の議員らに資金援助を行っていたクリスティン・リーという人物が中国の工作員であると議員たちに警告していた。そして昨年、アンドリュー王子と中国の接触が露見し、中国政府がいかに深く入り込んでいるかがさらに明らかになった。政治家も官僚も、中国のスパイ活動に関する疑惑を軽視するわけにはいかなくなった。
2025年8月になって、検察庁は1年以上かけて立件したこの事件の訴訟を進めないことを発表したが、説明が必要なのは当然だ。不起訴とする決定が「最高レベル」で下されたと証人らは伝えられたが、それが検察庁内部なのか、それとも政府内部なのかは明らかにされなかった。
弁明
英国の公務機密法(OSA)の制定は1911年に遡る。それ以降、世界は変わったと言うのは、控えめに言っても大げさではない。この法律では現代の国家安全保障上の課題に対処するのは十分ではないことを踏まえ、2023年新たに国家安全保障法が制定された。OSAの下では、情報を「敵」に渡されなければならないという要件が定められている。であるなら中国は英国の敵ということだろうか?通常の言葉の定義に従えば、両国は明らかに戦争状態にはない。しかし、2024年5月、高等法院での別の訴訟で、「敵」という言葉は国家安全保障上の脅威と解釈できることが明確にされた。
検察がマシューから受け取った3件の証言書では、中国について、多くの分野で英国にとって脅威であると極めて明確に述べられていたが、「敵」という言葉は使われていなかった。この特定の言葉が抜けていたことが、検察庁が起訴を取り下げた理由のようだ。しかし、裁判が破棄された後に議員らに示された証言の中で、不起訴になったとの発表に驚いたとコリンズ氏が述べたのに対し、検察庁のスティーヴン・パーキンソン長官は、「敵」という言葉が含まれていなければ裁判は破棄されることをコリンズ氏は認識していたと主張した。両者の主張は矛盾する。
コリンズ氏の声明だけでは不十分だと検察庁が感じたのであれば、中国専門家や安全保障の専門家など、他の参考人に証言してもらう時間は十分にあったはずだが、すべてコリンズ氏の陳述のみに依存しているように見えた。
英首相は、この訴訟に政治的圧力がかけられた事実はないと主張しているが、疑問は残る。コリンズ氏の声明が2024年の労働党のマニフェスト「協力(cooperate)できるところは協力し、競争(compete)すべきところは競争し、挑戦(challenge)すべきところは挑戦する」を直接引用していたからだ。この3つのC政策が労働党の対中方針だが、スローガンとは異なり一貫した政策に発展させることはできていない。
では、どこに責任があるのか?これほど注目度の高い事件が、なぜこんなにずさんに処理されたのか?本稿では答えは出ず、今も新たな事実が明らかになっているが、ほぼすべての論点は、裁判を開き関連事実をすべて明らかにすることで適切に対処できたはずだ。しかしそうはならず、代わりにこの件はメディアで追求されている。
ベリー氏とキャッシュ氏は無実を主張し、裁判所は正式に無罪判決を下したものの、2人の名誉が傷つけられたのは間違いない。ベリー氏は自身が作成した報告書について、英国への投資を検討する中国企業に向けたものとの認識だったと主張し、自身もキャッシュ氏もセキュリティ・クリアランスを保有していなかったため、内容は時には議会内の噂話程度だったとも述べている。
余波
起訴できなかったことで特に苛立ちを覚えるのは、検察庁と政府が嘘をついていなくとも、真実を隠しているように感じられることだろう。中国がこの裁判を望んでいなかったことは間違いない。中央統一戦線工作部の役割や中国の影響力が公の議論で取り上げられるたびに、中国政府の宣伝機関が動き出し、中国と13億人の中国人民がいかに被害を受けているかという主張を展開する。そして経済成長と対内投資を望む英国政府が、中国という潜在的に重要な巨大投資家を怒らせたくないと考えるのも理にかなっている。だからこそ、閣僚や政権スタッフが起訴を取り下げるよう検察庁に圧力をかけたのではないかという疑念が生じるのも不思議ではない。
何が起きたのか、誰が誰と話したのかが明確になっていないばかりか、明らかな不手際があったとしても、誰も処分されていない。誰も解雇されておらず、辞任もしていない。代わりに各当事者は、入念に組み立てた理屈を持ち出して他者に責任をなすりつけている。このような茶番は誰も喜ばない。
英国政府が直面する大きな問題はこれだけではない。2018年、中国政府はロンドン塔に隣接する旧王立造幣局の敷地を購入した。中国は同地を新たな大使館に改築する申請を行っている。計画によると現大使館の20倍の大きさで、大使館としては欧州最大級の規模になるという。当然ながら中国は、なぜこれほど巨大な建物が必要なのか一切説明しようとせず、計画申請書に広大な空白領域があることから、地下に秘密の尋問室や拘置所が設けられるのではないかとの懸念が生じている。より現実的な懸念は、この敷地がロンドンの金融街シティと新金融街カナリー・ワーフを結ぶ多くの通信ケーブルの上に位置しているとされる点だ。つまり、これらのケーブルの上に大使館を建設することで、中国が何らかの方法で情報をハッキングして監視できるようになる可能性があるということだ。中国は計画の詳細を一切明かそうとせず、計画が承認されなければ相応の措置を取ると警告している。英国政府は判断を繰り返し先送りする対応を取っている。
では、労働党のマニフェストに掲げられた対中政策のスローガン「協力できるところは協力し、競争すべきところは競争し、挑戦すべきところは挑戦する」とは、実際のところ何を意味するのだろうか?首相も閣僚たちもおそらく理解していない。まるで、中国人を含めすべての人を喜ばせる大衆受けしそうな対中外交キャッチコピーをChatGPTで生成したかのようだ。しかし残念ながら、現実の政策決定には通用しない。中国政府は英国企業から営業秘密を盗む活動に積極的に関与しており、政策立案者への影響工作を活発に行い、経済制裁を使って公然と他国の政治判断に影響を与えようとしている。こうした活動は英国にとって明らかに重大な脅威だ。「敵」とは呼ばない人もいるだろうが、ウクライナ戦争でロシアの最大の後ろ盾が中国である事実を忘れてはならない。官僚や政治家が外交上の丁寧な言葉で中国をどう表現しようと、迎合する姿勢や慢心は禁物だ。英国政府をはじめ他のいかなる民主主義国家も、中国を怒らせないことが政策となるようであってはならない。
英首相は国家安全保障が意思決定の最優先事項だと述べている。首相と財務相は、国内の経済成長拡大が目標だとも述べている。中国に関して言えば、これら2つの問題は切っても切り離せない。労働党政権は今も、中国が英国にまたとない成長の機会をもたらしてくれると考えているが、過去数十年を見ればそうならないことは明らかだ。中国国内で英国の成功事例はほとんどなく、中国による対英投資は小規模でありながら、リスクは概して大きい。前政権は英国の5Gネットワークからファーウェイ(華為)を締め出すほど断固とした姿勢を示したが、その一方で、今やどの主要都市にも中国系のEV(電気自動車)販売店が少なくとも1つはある。英国内における中国の浸透と支配というリスクへの対応は、よく言っても場当たり的だ。中国企業が投資を望む分野は一般に、風力タービン、太陽光、原子力などの発電関連で、いずれも国家安全保障上の問題が明白な重要インフラだ。
ベリー氏とキャッシュ氏の裁判が頓挫した真相がいずれ英国民に明らかにされることを願うしかないが、どうなるかは分からない。政府の方針として英国の国益を最優先し、中国を怒らせないか心配するのをやめる転換点になるならば、それは有益な遺産となるだろう。しかし最近の状況を見ると、中国が開かれた民主主義国家にもたらす極めて現実的な脅威について、多くの政府は理解するのがあまりに遅すぎる。皮肉なことに、中国自身が、外国の技術を獲得してテクノロジーなどの産業で自給率を高めたいという願望を隠していない。最新の中国の五カ年計画はまさにそれを示している。スターマー首相は、中国の政策決定の一側面、つまり自国を最優先する姿勢から学ぶべきだろう。時に中国からの怒りを買うかもしれないが、彼は英国の首相であって、中国の首相ではないのだから。
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