習近平に「領袖」という呼称が付くのではないか、だとすれば毛沢東に次ぐ呼称だと最近になって言われているが、2017年から習近平は「領袖」と呼ばれているし、また鄧小平に失脚させられた華国鋒国家主席も「領袖」と呼ばれていた。
◆習近平は2017年から「領袖」と位置付けられている
2017年11月17日、中国政府は<習近平:新時代の道案内人>という見出しの報道を行った。その中で、習近平に関して「(10月)25日、第19回党大会一中全会(第一回中央委員会全体会議)で、習近平は再び中共中央総書記に選出され、中国共産党全党の願いを体現した。国内外メディアは習近平を富裕から強国へと導く領袖と讃えている」とある。
同じく2017年11月17日、中国共産党新聞網は<習近平の領袖としての魅力をあなたに感じさせることができる十の真実の詳細>と、報道の見出しに「領袖」という言葉を用いている。10個もの事例を挙げて、いかに習近平を「領袖」と呼ぶのが相応しいかと詳細に解説しているのである。
いずれも第19回党大会が閉幕したあとに開催された一中全会が終わった直後のことだ。
2018年2月11日には中国共産党機関紙「人民日報」の「微視頻(ショットビデオ)」に「人民領袖」というタイトルで、春節に因んだ習近平を讃える文章が報道されている。これは「人民日報」と党管轄下の中央電視台(中央テレビ局CCTV)が制作したネット・ビデオである。
リンク先をご覧いただければ、以下のような写真(と説明文章)を確認することができるだろう。
すなわち、2018年から習近平は「人民領袖」と位置付けられているのである。
これらの流れを受けて、現在ではCCTVに<人民領袖習近平>というウェブサイトが出来上がった。そこには以下のような写真が載っている。
これらの時期を考えると、これは正に10月7日のコラム<習近平は最初から三期目を考えていた 国家副主席の位置づけから>の図表にある「国家副主席・王岐山」を「政治局常務委員(チャイナ・セブン)」から外した時期と重なり、このとき「習近平三期目」は決定していたと考えるのが妥当だろう。
もっと言えば、「国家副主席・李源潮」をチャイナ・セブンから外した時期から、すでに「習近平三期目」を考えていた証拠がある。
実は2014年1月28日の「人民日報」は、<親しみやすい人柄の中に表れている大国領袖の風格――ロシアの友人の目から見た習近平>というタイトルの報道をし、「大国の領袖」という言葉で習近平を表現しているのだ。ロシア人から見たという表現ではあるものの、中国語で表現するときに「領袖」という言葉を用いたところに、李源潮を国家副主席にしながらチャイナ・セブンから外した意図を、伏線として潜ませていることが窺(うかが)える。
その印象操作は、2015年5月9日の「人民日報」にも報道にも表れていて、ここでは「領袖」という単語が4回も出てくる。
◆華国鋒国家主席も「英明領袖」と呼ばれていた
毛沢東は後事を華国鋒(1921年~2008年)に託してこの世を去った(1976年9月)。したがって毛沢東亡きあと、華国鋒は中共中央主席(現在の総書記)(1976年10月~1981年6月)と中央軍事委員会主席(1976年10月~1981年6月)および国務院総理(1976年4月~1980年9月)の3つの党と軍と政府の最高権威のポストを一人で担っていた。
そのため華国鋒を「英明領袖」として位置づけ、そのポスターや本が数多く出された。そのときのポスターを二枚ほどご覧に入れよう。いずれも「英明領袖華主席」と書いてある。
1977年には「英明領袖華主席」という本さえ出版されている。その例も二つほどご紹介する。
◆鄧小平に徹底的に痛めつけられ下野させられた華国鋒
拙著『習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』の第四章に、「華国鋒を失脚させた鄧小平の陰謀」が事細かく書いてあるが、鄧小平は、これでもか、これでもかというほど執拗に華国鋒を痛めつけて、国家の最高権威のポスト3つに就いていた華国鋒を引きずり下ろすことに成功している。
その陰謀が、どれだけ大掛かりで、どれだけ陰険で、どれだけ周到で、どれだけ執拗であったかは、第四章をご覧いただければ、ご納得いただけるものと信じる。
鄧小平はこのとき、華国鋒に関する全てのポスターや肖像を撤去させ、本も出版禁止とした。しかし個人的に家の中に所蔵している人々がいたのだろう。それが上掲のポスターであり書物だ。今では貴重品になっていて、「華国鋒記念網」というウェブサイトさえある。
◆習近平はなぜ「領袖」という称号を復活させるのか
くり返し引用して申し訳ないが、今度は上掲の拙著『習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』の第五章をご覧いただくと、そこには「習近平がなぜ『領袖』という称号を復活させるのか」に関する謎解きの回答がある。
習近平の父・習仲勲は、1978年2月になって、初めて16年間に及ぶ牢獄・軟禁生活から解き放たれて、政治の世界に戻ってきた。1976年9月に毛沢東が亡くなると、文化大革命で投獄・軟禁されていたほとんどの者は釈放されたが、習仲勲だけは、鄧小平の陰謀で失脚しているので、鄧小平がどうしても釈放を認めなかった。 しかし葉剣英(当時の中共中央副主席兼中央軍事委員会副主席)などに説得され、釈放に同意せざるを得なかったのだ。
釈放された習仲勲は広東省深圳市を中心に活動し、華国鋒と緊密に連携しながら深圳市を「開放特区」に持っていき、かつ華国鋒とともに「対外開放」を唱えたが、鄧小平は華国鋒を失脚させただけでなく、1990年になって、まさに「鄧小平の一声」で習仲勲を再び失脚させ、深圳市に隠居させたのだ。
だから華国鋒に冠せられていた「領袖」という名を復活させることによって、父の無念を埋めているのである。
鄧小平によって失脚させられた胡耀邦総書記の代わりに総書記にさせられた趙紫陽は、やはり鄧小平によって失脚させられるが、軟禁中に遺した記録の中で「鄧小平の声は神の声であった」と述懐している。
それくらい鄧小平は自らの権威を獲得するために好き放題に次々と多くの国家指導者(およびその可能性を秘めた人)をさまざまな陰謀を巡らせながら失脚させてきた。
習近平が「領袖」にこだわるのは、こうして「父を破滅させた鄧小平」への「復讐」の一つで、「怨念」とも言っていいほどの執念を以て三期目に突入し、「領袖」という呼称にこだわっているものと解釈することができる。
◆恐るべき日本の罪
日本はこのような鄧小平を神格化したからこそ、天安門事件で窮地に立たされた鄧小平を支援しなければと主張して対中経済封鎖を解除させる方向に動いていった。
それにより中国共産党一党支配体制の崩壊を防いであげただけでなく、中国をこんにちのような強国に持っていくことに貢献したのである。
今現在、対中包囲網などとアメリカと足並みを揃えながらも、日本は「鄧小平への神格化」だけは絶対に捨てず、反省もしてない。相変わらず鄧小平を讃えるメディアが後を絶たないのは、真相を見る勇気がないからだ。
真相を見るという視点がない限り、日本はこのまま永久に過ちを犯し続け、中国を強大化させることに邁進していくことだろう。
「鄧小平の神格化」が、いかに恐ろしく、いかに罪深いかを描いたのが拙著『習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』だ。
そこに書いてある事実を直視しない限り、「習近平とは何ぞや」あるいは「習近平の中国はどこに行くのか」、さらには「日本はどうなってしまうのか」ということさえ、見えないのではないかと憂う。
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