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崩れる欧州の対中政策
欧州議会 本会議(写真:ロイター/アフロ)
欧州議会 本会議(写真:ロイター/アフロ)

7年と7週間

中国と欧州連合(EU)の包括的投資協定 (CAI)の 交渉合意には7年近くを要したが、わずか7週間余りで崩壊してしまった。このコラム(GRICI1807)は年初の回で、交渉が合意に至ったこと自体が驚きだと指摘した。ドイツのアンゲラ・メルケル首相は、EU理事会における議長国としての任期を締めくくるだけでなく、16年間のドイツ首相在任のレガシーを確かなものにしようと交渉を大詰めで加速させた。そして中国指導部との合意のため、いわば経済という帽子からウサギを取り出してみせた。中国側では、交渉合意のため習近平氏が直接介入した。一見すれば、米中貿易交渉の第1段階の合意で米国が確保した中国市場へのアクセスを欧州企業も同等に得られるとEUは主張でき、中国側にとっても、中国がいかにビジネスにオープンな姿勢を維持しているか、そして米国主導の中国とのデカップリングでEUと中国の関係強化は止められないといったことを声高に主張できた。

今では、経済のスーパーパワーの両者が署名した合意はぼろぼろである。このコラムが期待していた欧州議会での活発で力強い議論が実現することもなかった。というのも議会は先週、中国の対EU制裁が解除されない限り、CAIのすべての議論、検討、批准を停止するという決議を賛成599票、反対30票、棄権58票で採択したからだ。さらに議会は、外国からのEUへのインバウンド投資の精査を厳しくし、中国との関与について米国との協力を強化するよう求めた。

なぜこれほど早く崩れてしまったのだろうか。 EUの対中政策は混乱しているように見えるが、中国の思い通りに事態が進まないときにその外交政策がどうなるかという現実を、EUは急速に学びつつある。欧州での最近のいくつかの出来事は対中政策の転換点になるかもしれない。単にドイツの産業界や輸出業者が望む政策ではなく、中国全体の現実に基づく政策への転換点である。

欧州議会が言及した中国の対EU制裁措置は、新疆ウイグル自治区の人権侵害に関わる中国当局者や組織を対象に、米国、英国、EU、カナダが3月末に発表した共同制裁に対応して発動されたものだ。これらの共同制裁は、さまざまな国連条約にうたわれている基本的人権を守るための直接的な行動としてEUなどが取った措置である。その点においてこの制裁は正当であり合法だとEUは考えている。もちろん中国は新疆におけるいかなる不正行為も否定しているが、忘れてはならないのは、強制収容所が初めて露見したときに中国は実際のところその存在すら一切否定したことである。中国共産党による否定ははっきり言ってあまり意味がない。在中国のジャーナリストらは冗談で、公式に否定されるまでは何事も真実とは見なされないとよく話している。共同制裁に対して中国が取ったのは、議会の議員個人や、権威あるドイツのシンクタンク、外交団体への制裁だった。国際法はもちろんのこと、中国の法律の下でもそれほど説得力のないなりふり構わぬアプローチである。そしてEU議会は、中国が制裁を解除するまで進展はないとしてCAIの凍結を議決した。中国側はEUが新疆ウイグル自治区に関する制裁を解除しない限り、これに応じることはないだろう。中国が新疆ウイグル自治区での行為を根本的に変えるようなことがあれば話は別だが。そしてCAIの議論は終わった。アンゲラ・メルケル氏がいまだに中国の行為に反対を明言していないことは注目である。長期政権の最後として実に残念なことだ。

中国との関係の劇的な崩壊はそれほど驚くべきことではない。EUは中国への多角的なアプローチを望んでいた。ここ数年は、中国の人権状況の悪化や不公正な貿易慣行に対する批判が確実に高まっていたが、メルケル氏やフランスのマクロン大統領らは、これらは別問題として明確に分離できると考えていた。しかしそれは無理だった。このコラムで以前にも強調したように、全体主義国家と経済だけの関係を持つことはあり得ない。27カ国で構成されるEUはすでに多くの問題で意見の一致に苦労しているが、中国に対するEUのハイレベルの関与は事実上、中国に対するドイツの産業政策だとEU内外でみなされてきた。ひとたびCAIが署名されると、ドイツの産業界と政治家は承認を求めてロビー活動を始めた。合意は彼ら自身のものだと考えていた。ドイツ人のこのような高圧的な姿勢は評判が良くなかった。忘れてならないのは、協定合意が発表されたとき、オンラインで習近平氏と並んで座ったのはメルケル氏とマクロン氏だったことだ。EU理事会の現在の議長はドイツであり、マクロン氏は次期議長としてではなく(次期議長はポルトガル)、ポルトガルの次の議長国としてフランスを代表していた。マクロン氏はいずれ協定が批准されたときの議長になるはずだったのだ。 両指導者とも、中国を巡る風向きがEUの政治の世界でも一般社会でも変わっていることに気付いていない。中国に対する世論は劇的に悪化している。

失敗する中国の対欧政策

欧州の政策が崩れているように見えるなら、中国の欧州政策が失敗しているのも同様に事実である。中国の制裁は疑いなく均衡を欠いており、十分に考慮されたものではなかった。対EU制裁は、中国との関与を巡って米国とEUの間の分断、または少なくとも反目の維持を図ろうとしていた中国人にとって完全に裏目に出た。CAIの崩壊は欧州で広がる中国問題の一角にすぎない。中国が欧州諸国と結成した17+1というグループがある。メンバーはかつて鉄のカーテンの東側にあった比較的小規模な国が中心で、中国はこれらの国の機嫌を取り緊密な関係を築こうとした。EUの貿易協定はすべてEUの正式の承認を得なければならないため、この枠組みの影響と行動には当然限界があったが、欧州における中国の影響力の源だった。このグループのメンバーだったリトアニアが今週、脱退を表明した。中国との関係にますます問題が出てきているためで、欧州に対する中国のアプローチは分裂を招いていると指摘した。中国はこの脱退を軽視している。しかし、欧州社会のあらゆるレベルで、中国は単に強硬なだけでなく卑劣に振る舞うという見方がこれまでにないほど鮮明になっている。一旦は友人とされていても自分たちが軽視されたと感じると、例えどんなに小さなことであっても態度を変え暴言を浴びせるのだ。

ベラルーシ上空でライアンエアー機が国家主導でハイジャックされた。中国との直接の関係はないものの今後の問題の前触れでもある。この恐るべき違法行為に中国はどんな立場を取るのか。 中国語の報道は、爆弾を仕掛ける計画があったことと当局の介入で人命が救われたことを、ベラルーシ政府の見解をオウム返しする形で伝えたが、ジャーナリストとそのガールフレンドが逮捕されたことへの言及はなかった。しかし、中国の英語報道を読むと記事は変わる。逮捕を巡る問題点に表面的に触れた上で、疑問や疑惑をちりばめてベラルーシ政府の立場を大きく扱い、逮捕の無法ぶりは軽視している。中国はこうした行為を黙認するのだろうか。 自らも使える便利な手法だとみているのだろうか。 中国はすでにキャセイパシフィック航空に対し、自国領空を飛行する際に搭乗員のリストを提供するよう要求している。香港の抗議行動の共鳴者がいないか調べるためだ。国家の安全保障に危険があるとみなす人物を乗せた飛行機を中国当局が阻止しようとしない理由はないだろう。 中国が責任ある世界の大国になろうとするなら、このような行為を非難する方がはるかに得策だが、中国にはあまりに荷が重いようだ。彼らが選ぶのは、権威主義者や独裁者の側に立ち、長い間受け入れられてきた規範を踏みにじり、世界中に災いを及ぼすことである。

欧州の進むべき道

欧州は中国への対応を再考せざるを得ない。CAIの発表で欧州の一部の人達が自己満足を感じたのは間違いない。中国に対してあまり強い対決姿勢を取らずに、トランプ氏を戒め欧州の勝利を主張できたからだ。しかし、その自己満足は今では見当違いに見える。トランプ氏は欧州の多くの人達から嫌われた。無作法で、威張り屋で、粗野、そして米国の悪いところをすべて内包していると見られていた。しかし、現在の世界秩序の長期的な問題として中国に焦点を定めたのは正しかった。そのトランプ氏は去り、中国問題は残された。今年末までにメルケル首相も去り、ドイツ政治の将来は極めて不透明である。ただ、メルケル首相がドイツの輸出業者にとっての「最高営業責任者」だった時代は去ったようだ。メルケル氏の退任は、フランスのマクロン氏にとってビジネス第一、その他はすべて二の次というあまりに長く続いたアプローチのパートナーを奪うことになるだろう。中国は過去20年間で変化しており、特に習近平政権下の過去8年間で大きく変わっている。欧州はその新たな現実に対処するために変わる必要がある。CAIの失敗、ドイツ政治のトップの交代、そして北京が一段と強硬な姿勢になっていることで、欧州が中国に対して米国ほどではないにしてもより厳しく出ることはほぼ確実だ。EUはコンセンサスの組織なので立場を決めるにはすべての国の同意が必要である。その中でハンガリーは、中国に対する厳しい路線を骨抜きしようとする役割を伝統的に演じてきた。これはハンガリーが中国の手先というわけではなく、EU内の政治関係がより強く反映されているようだ。ハンガリーのオルバン首相は国内の民主主義を弱体化させており、EU首脳部を見下している。

欧州にとって対処すべきは中国問題だけではない。ロシアに対する取り組みも失敗している。プーチン大統領がますます強硬になっているのに、欧州は対応していない。ここでも欧州の弱さの多くがドイツの弱さにつながる。メルケル首相は、ドイツの力強い経済と輸出産業の繁栄を取り仕切ってきたが、ロシアと中国を押し返すことをしなかった。彼女の後継者は就任早々から非常に難しい立場となる。ロシアからのパイプライン「ノードストリーム2」計画の停止をメルケル氏が拒否することは、欧州のロシア依存をさらに高め、ウクライナの一段の弱体化を助長するだけだ。このパイプライン計画の停止はドイツ産業にとってコストが高くつき過ぎる。それがメルケル氏の唯一の懸念のように思われる。地政学的問題は全般的に無視されている。少なくともいつの日か対処すれば良いとしまい込まれている。

欧州は中国の投資を必要とし、望んでいる。新型コロナウイルスのパンデミックからの回復には苦戦するだろうし、世界金融危機から十分に回復し切れていない経済セクターもある。ビジネスをしたいという願望はごく自然なものであり、中国は今後何年にもわたって成長の中心であり続けるだろう。しかしEUははるかに慎重な姿勢を取るようになるだろう。中国はEUとの対処がより難しくなるのに気付くだろうし、EUからの批判が増えることは間違いない。EUは、議会がすでに提案しているように中国に関してはバイデン政権とより緊密に協力すべきだが、欧州のエリートたちはたとえ民主党政権であっても米国の脇役を演じたくないのだろう。もしメルケル首相が昨年末にCAIを推進していなければ、亀裂は今ほど劇的ではなかったはずだ。CAIは、EUと中国の関与から生まれた大きな成果だったが、見事に失敗した。この協定がそのままの形で復活する可能性があるとしても、何年もかかるだろう。EUは今後数年のうちに解決すべき課題を抱えている。EU委員会は、年明け以降のワクチン供給問題への対処にひどく失敗し、率直に言って首脳部の無能さが露呈した。EUは、ロシアと中国の双方からの大きな課題に直面している。米国や英国の立派な民主主義国が団結して中国の脅威と圧力を押し戻そうとするなら、EUはこれらとの関係における対抗意識や狭量さは脇に置く必要もある。CAIはEUと中国の関係で大きな節目となるはずだった。それは確かに証明されたが、当初の想定とは全く異なる理由によってである。

フレイザー・ハウイー(Howie, Fraser)|アナリスト。ケンブリッジ大学で物理を専攻し、北京語言文化大学で中国語を学んだのち、20年以上にわたりアジア株を中心に取引と分析、執筆活動を行う。この間、香港、北京、シンガポールでベアリングス銀行、バンカース・トラスト、モルガン・スタンレー、中国国際金融(CICC)に勤務。2003年から2012年まではフランス系証券会社のCLSAアジア・パシフィック・マーケッツ(シンガポール)で上場派生商品と疑似ストックオプション担当の代表取締役を務めた。「エコノミスト」誌2011年ブック・オブ・ザ・イヤーを受賞し、ブルームバーグのビジネス書トップ10に選ばれた“Red Capitalism : The Fragile Financial Foundations of China's Extraordinary Rise”(赤い資本主義:中国の並外れた成長と脆弱な金融基盤)をはじめ、3冊の共著書がある。「ウォール・ストリート・ジャーナル」、「フォーリン・ポリシー」、「チャイナ・エコノミック・クォータリー」、「日経アジアレビュー」に定期的に寄稿するほか、CNBC、ブルームバーグ、BBCにコメンテーターとして頻繫に登場している。 // Fraser Howie is co-author of three books on the Chinese financial system, Red Capitalism: The Fragile Financial Foundations of China’s Extraordinary Rise (named a Book of the Year 2011 by The Economist magazine and one of the top ten business books of the year by Bloomberg), Privatizing China: Inside China’s Stock Markets and “To Get Rich is Glorious” China’s Stock Market in the ‘80s and ‘90s. He studied Natural Sciences (Physics) at Cambridge University and Chinese at Beijing Language and Culture University and for over twenty years has been trading, analyzing and writing about Asian stock markets. During that time he has worked in Hong Kong Beijing and Singapore. He has worked for Baring Securities, Bankers Trust, Morgan Stanley, CICC and from 2003 to 2012 he worked at CLSA as a Managing Director in the Listed Derivatives and Synthetic Equity department. His work has been published in the Wall Street Journal, Foreign Policy, China Economic Quarterly and the Nikkei Asian Review, and is a regular commentator on CNBC, Bloomberg and the BBC.