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期待外れの刺激策がもたらすもの
中国人民銀行
中国人民銀行

前回と変わらない刺激策

1カ月前の本コラムでは中国経済の不透明さについて論じた。データの隠蔽や秘匿が日常的に行われ不信感が蔓延するなか、中国経済では実際のところ何が起きているのか。一つ確かなのは、経済が低迷し、今年の政府成長目標達成の見通しが立たないことである。そして、データの公表と公の場の議論に対する締め付けが厳しくなったのもそれが一因だ。国内外の多くの人々が金融緩和策を望んでいたにもかかわらず、中国政府は何度も見送ってきた。この些細なコラムに中国政府が反応したわけではないだろうが、9月末、政府はついに中央銀行である中国人民銀行を通じて大規模な緩和策を発表した。景気低迷時や世界金融危機など海外から飛び火を受けたときは必ず、政府の介入を期待する声が上がる。そのためこの1年間、政府がなぜ景気浮揚策を講じないのか疑問が持たれてきた。ようやくその重い腰を上げたわけだが、刺激策は果たして求められる内容になっているのか。そして、これにより何を狙っているのか。

刺激策の効果が最も顕著に表れたのは株式市場である。数年間にわたり下落傾向が続き、外国資金が大量に流出するなか、わずか2、3日で市場が30%も急騰した。これは過去最大の上げ幅であり、1日の株式取引額も3兆元を超えた。上海証券取引所では注文処理が追いつかず、実質的に売買を一時停止することにもなった。これは中国の大規模な個人投資家基盤の動向を反映したというよりも、他の市場と同様に、中国もコンピューターによる取引が大多数を占め、市場のシグナルが発信されると注文が殺到するようになったことを示している。だが株式市場が低迷していたのは経済不振の結果であり、その原因ではない。市場の一見不合理に思える反応は、中国という文脈においては極めて合理的なものだった。中国人民銀行が発表したのは金融緩和策であり、財政刺激策ではない。金融資産に資金をつぎ込んでいるのである。預金準備率が引き下げられ、利率と住宅ローン金利も引き下げられて、8億元が公然と株式購入に充てられる。こうしたニュースを受けて上昇しない株式市場があるだろうか。さらに、地方融資平台(Local Government Financing Vehicle:LGFV)を介して積み上がった地方政府の債務負担を軽減する一助となる対策も発表された。こうした問題は新たに発生したものではなく、発表された対策も従来のプログラムを拡充したものにすぎない。一見したところ、支援策は数兆元規模に上り目を見張るものがあるが、LGFVの債務は推計でおよそ100兆元に達しており、これは中国全体の経済規模にほぼ匹敵する。このLGFVが蔓延するきっかけが、世界金融危機を受けて中国が2009年に打った大規模な刺激策だったとは何とも皮肉な話である。中国当局は当時、危機に瀕していた世界経済がもたらす深刻な影響を和らげるため、信用を緩和し、道路・鉄道・インフラ整備に相次いで着手した。ところが、政策は中央政府が打ち出す一方で、実際の刺激策の資金調達が各省や地方当局に委ねられたため、LGFVの台頭につながった。

金融緩和策を打つにとどまり、しっかりとした財政刺激策を出さなかったことで、10月の国慶節の大型連休後に市場は劇的に反転した。確かに、市場ではほとんどの株価が最近の高値を維持している。また、第3四半期の経済成長率が4.6%にとどまったとの発表があったものの、今後さらなる対策が講じられて第4四半期には5%台に達するという期待に加え、非銀行金融機関を対象とした支援策のさらなる拡充で株式購入が増えるとの発表も受けて、相場は上昇した。だがこれは驚くほど近視眼的な経済対策である。的確な経済インプットではなく経済アウトプットにこだわるがゆえに、このような場当たり的な政策を繰り返すことになるのである。株式市場の活性化は実のところ極めて簡単で、単に株式を購入すればいい。だがそれでは、世帯資産の大半を株式ではなく不動産で保有する平均的な中産階級の資産価値を上げることも、企業の業績を大幅に変えることもできない。確かに刺激策の一部は、売れ残った住宅を買い上げる地方政府をPBOCが支援するためのものだが、焼け石に水である。高い評価を受けている「エノド・エコノミクス」の推計によると、中国で売れ残っている住宅の数はブラジルの全国民を収容できるほどの規模だ。これは、市場主導ではなくGDP目標主導の経済運営をしてきたためである。

 

CSI300指数とChiNext指数の年初来推移

出典:WIND Information

 

刺激策が意味するものとは

今回の刺激策から分かるのは、政府は重視する問題に多額の資金を投入するだけの力を持っているということだ。政府にさまざまな制約がないわけではないが、やろうと思えば多額の資金を確実に振り向けることができる。これは指数に表れている通りだが、やがて悪影響をもたらすことにもなるだろう。中央政府機関の重要性は決して軽視してはならない。一党独裁国家では当然のことと思われるが、習近平政権下の中国ではその重要性がこれまで以上に増している。多くの省と地方政府は不動産市場の低迷で資金が底をつき、投資を推し進めるような状況にはない。一方で、工場や製造業への直接投資、新規企業に資金を提供するプライベートエクイティ投資など、国内投資も海外投資も劇的に減速しており、中央政府が支援策を打ち出すのではないかと注目を集めている。

大規模な金融政策を重視する一方で財政投資の内容が不透明なことから、政府は短期的かつ美徳シグナリング的な対策に傾いていることが伺える。このように短期間に株価が上昇し、同様に急速に戻れば、世間の注目を浴び、企業所有者の含み益は増すが、実体経済の強化という課題に対処することはできない。習氏が不動産は住むためのものであり投機対象とすべきではないと繰り返し唱えるなど、政府は何年にもわたり過熱した株式市場と不動産市場を冷やそうとしてきた。だが今回発表された対策は、両市場の再過熱を図る以外の何ものでもない。

もちろん、さらなる財政政策が発表される可能性もまだあり、政府は今年の目標経済成長率5%を達成するかもしれない。しかしそれに対する正しい反応は、肩をすくめて「だから何?」と言うぐらいのことだろう。中国のGDP成長率を、投資の収益性を測る指標とする投資家はもういないだろう。一方で大きな要因となるのが地政学的情勢である。先週の市場は、海軍が台湾周辺で過去最大規模の軍事演習を行ったことを受け、大きな値動きを示した。成長率の停滞と同様、台湾問題は投資家にとって大きな懸念となっている。早ければ2025年にも政府が成長率を達成したとアピールするかもしれないが、それはリソースの無駄遣いのように思われる。

行動で自分の意見を表明する

本コラムでは経済ばかりに焦点を当てるのではなく、中国を取り巻く問題を広い視点で取り上げてきた。その姿勢は、経済成長率はともかく、中国がWTO加盟後の20年間に比べ成長を著しく鈍化させている今の状況に特にふさわしいと言えるだろう。習近平政権下で、地政学的の重要性は明らかに増している。その背景には、台湾問題や、東シナ海と南シナ海での威嚇行動だけでなく、一帯一路構想やロシアとの無制限の友好関係下で習氏が推し進める中国流のグローバル化もある。

マクロ・国レベルで懸念される問題は常に重要ではある。だがその一方で、どんな国も結局のところ何百万もの個人と世帯の集合体であること、そのため個人の活動が往々にして、マクロ経済や国家運営というハイポリティクスでは見落とされがちな大きな潮流を指し示していることを忘れてはならない。中国の景気減速状況と、多くの国民がその景気減速や習近平政権下での個人への規制強化にどう反応するのかを並べてみると、興味深い現状が浮かび上がってくる。厳しい資本規制を踏まえ、中国人が海外に資金を不法に移動させていると報じられても目新しさはない。北米やオーストラリアの一部都市では、華僑が長年にわたり不動産などの価格を吊り上げてきた。海外にマンションや家を持ったり、子供を留学させ、その子供が就職してグリーンカードを取得したりといったことは、数十年前から続いている。最新の動き―あるいは少なくとも以前よりはるかに顕著になった動き―は、日本を米国と同様に単なる投資先ではなく移住先として見る中国人が増えていることである。馬雲氏は東京をセカンドホームとする中国で最も著名な起業家だが、億万長者でなくとも中国を脱出することはできる。シンガポールはここ数年、私有財産がしっかりと守られ、なじみやすいアジアの環境で、中国共産党の力が及ぶ範囲からはるかに離れているところを求める中国人を多く引き付けてきた。米国に魅力を感じる人も相変わらず多いが、南の国境を越えて密入国しようとする中国人の増加が目立っている。30年前は若者が仕事を求め、犯罪組織「蛇頭」の手引きにより決死の覚悟で米国に密入国していたが、今では中産階級ですら子連れで入国を試みる。類似の違法なネットワークは欧州にも出現し始めた。欧州に不法入国する人は昔から多かったが、これまでは経済的理由や戦争を逃れるためにアフリカや中東からやって来る移民であった。現在のところ年間数百人と人数的にはまだ少ないものの、中国人はビザなしでボスニアを訪れることができるため、そこからEU加盟国に入国している。誰が、なぜやって来たかについて詳しい統計はないが、習近平政権下の中国を単に脱出したかったという話を複数の報道が伝えている。生活への侵犯や監視の度合い、国家に異議を唱える人たちを締め付け、身柄を拘束するという国の姿勢が、経済成長率が5%であれ10%であれ、出国という行動で自分の意見を表明する中国人を増やしているのである。英紙「ガーディアン」は先ごろ、国連難民機関の発表として、中華人民共和国民からの難民申請件数が昨年13万件を超え、習氏の国家主席就任当時から5倍に増えたと報じた。この数字を押し上げているのは、広く社会的弾圧を受ける少数民族だけでなく、同じように一党独裁国家に息苦しさを感じている漢民族である。

東京やシンガポールのタワーマンションや豪邸であれ、中米のジャングルや南欧の山脈を通ってであれ、習近平政権下の中国から離れて人生を築きたいと願う中国国民が増えている。彼らは、中国の国家再生の一翼を担うことを望んでいない。数字だけを見て、こうした人たちは人口のほんの一部にすぎず、取るに足りないことだと思いたいだろうが、それは後に誤った見方だと気付くことになるだろう。国民が一人もいなくなるわけではなく、国を出られるのはごく一部だが、中国で繰り返されているのは、国の隆盛の恩恵を最も受けた人や、教養があり、社会的影響力を持ち、社会にポジティブな貢献ができる人が、出国を計画・実行するという事態である。経済情勢を把握し、政府の政策と対応を分析することは重要なテーマだが、それより重要なのは、その経済を作り上げる人たちの実態を見失わないことである。中国では、習近平政権下の中国を脱出し、その力の及ばない場所で未来を築こうとする人たちが増えている。

フレイザー・ハウイー(Howie, Fraser)|アナリスト。ケンブリッジ大学で物理を専攻し、北京語言文化大学で中国語を学んだのち、20年以上にわたりアジア株を中心に取引と分析、執筆活動を行う。この間、香港、北京、シンガポールでベアリングス銀行、バンカース・トラスト、モルガン・スタンレー、中国国際金融(CICC)に勤務。2003年から2012年まではフランス系証券会社のCLSAアジア・パシフィック・マーケッツ(シンガポール)で上場派生商品と疑似ストックオプション担当の代表取締役を務めた。「エコノミスト」誌2011年ブック・オブ・ザ・イヤーを受賞し、ブルームバーグのビジネス書トップ10に選ばれた“Red Capitalism : The Fragile Financial Foundations of China's Extraordinary Rise”(赤い資本主義:中国の並外れた成長と脆弱な金融基盤)をはじめ、3冊の共著書がある。「ウォール・ストリート・ジャーナル」、「フォーリン・ポリシー」、「チャイナ・エコノミック・クォータリー」、「日経アジアレビュー」に定期的に寄稿するほか、CNBC、ブルームバーグ、BBCにコメンテーターとして頻繫に登場している。 // Fraser Howie is co-author of three books on the Chinese financial system, Red Capitalism: The Fragile Financial Foundations of China’s Extraordinary Rise (named a Book of the Year 2011 by The Economist magazine and one of the top ten business books of the year by Bloomberg), Privatizing China: Inside China’s Stock Markets and “To Get Rich is Glorious” China’s Stock Market in the ‘80s and ‘90s. He studied Natural Sciences (Physics) at Cambridge University and Chinese at Beijing Language and Culture University and for over twenty years has been trading, analyzing and writing about Asian stock markets. During that time he has worked in Hong Kong Beijing and Singapore. He has worked for Baring Securities, Bankers Trust, Morgan Stanley, CICC and from 2003 to 2012 he worked at CLSA as a Managing Director in the Listed Derivatives and Synthetic Equity department. His work has been published in the Wall Street Journal, Foreign Policy, China Economic Quarterly and the Nikkei Asian Review, and is a regular commentator on CNBC, Bloomberg and the BBC.