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「自由貿易は死んだ!」と嘆いた台湾TSMC創始者・張忠謀と習近平の仲が示唆する世界の趨勢
出典:香港の鳳凰資訊の動画
出典:香港の鳳凰資訊の動画

世界最大の半導体受託製造企業TSMCの創始者・張忠謀は米アリゾナ工場建設の式典で「自由貿易は既に死んだ!」と叫んだ。習近平とも仲が良い張忠謀の言葉が世界の趨勢を変えるかもしれない。

◆バイデン大統領も出席した式典で「自由貿易は既に死んだ」と叫ぶ勇気

2022年12月6日、世界最大手の半導体受託製造企業(ファウンドリ)である台湾のTSMCはアリゾナ工場の本格的な建設(第二期工程)が始まったとして、その祝賀式典がアリゾナ州で開催された

式典にはバイデン大統領をはじめ、TSMCの主要な顧客となるアップルやNVIDIA (エヌビディア)、AMD(Advanced Micro Devices )などの経営トップが出席し、TSMC側からは劉徳音CEOや創設者の張忠謀(モリス・チャン)が出席した。

何よりも注目されるのは、バイデンの後に演台に立っった張忠謀の演説で、彼は以下のように述べている(全文紹介はこちら)。

――大きな地政学的な政治変局が新たな情勢を生み出し、グローバリゼーションは既に死に瀕しており、自由貿易もほぼ死んだ。多くの人はそれらが戻ってくることを望んでいるが、しかし私は、少なくとも一定期間は、もう元には戻らないと思っている。

同時に、(1995年にアメリカ工場を建設しようとして失敗した頃と比べて)情勢がすっかり変わってしまい、アメリカ政府と州政府および地方政府の協力の下に、私たち(TSMC)の新しい夢、いや実際には古い夢が復活しようとしている。(引用ここまで。)

「自由貿易は死んだ」などという言葉をバイデンの目の前で言う勇気を持った台湾人はいるだろうか?しかも自分の創設した企業のアメリカ工場が建設される祝賀式典においてだ。

この日の動画はこちらで観ることができるが、なんと、肝心のTSMCの創設者・張忠謀の演説だけはカットしてあるではないか。

そりゃそうだろう。

なんと言ってもバイデンは式典の挨拶で「アメリカの製造業は遂に戻ってきた!」と高らかに勝利宣言をしているのだから。

バイデンがまちがいなく張忠謀の演説を聞いていたのは確かだ。

なぜなら正に張忠謀が「自由貿易は既に死んでいる」という言葉を発した瞬間、バイデンがその舞台から降りていく写真が残っているからだ。

以下に示すのは、香港の衛星テレビ「鳳凰」が流した動画から切り取った写真である。

原典:鳳凰資訊

それにしてもバイデンの次に張忠謀の演説が始まっているというのに、バイデンは張忠謀の演説を聞こうとはせず、登場してきたのと逆の方向に向かっていった。そしてその場にいる支援者と歓談している。

前掲の動画の最後の場面をご覧いただきたい。バイデンは張忠謀の演説が始まっているだろうに、それを遮るかのように支援者と歓談し、張忠謀の演説が「自由貿易は死んだ」という言葉に差し掛かった時に、もと来た方向に戻って舞台から消え去ったのだ。

あまりに失礼ではないか。

いったい、誰のための祝賀式典だったのか?

◆張忠謀はなぜ「自由貿易は死んだ」と言ったのか?

バイデンにとってこの祝典は、投資してくれるTSMCのためではなく、他人の褌(ふんどし)を借りて「アメリカの製造業は戻ってきた」と勝利宣言するためのものでしかなかった(アメリカの製造業の空洞化に関しては拙著『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』の第三章で多くの図表を使って詳述した)。

だからこそ、なぜ張忠謀は自分が創設した会社のアメリカ工場を建設する祝典で「自由貿易は死んだ」などと言ったのかを理解するのは非常に重要な作業なのである。これは今後の世界の趨勢を方向付けるシグナルにもなり兼ねないからだ。それを考察するためには、以下のような客観的状況が背後にあることを理解しなければならない。

1.TSMCはトランプ元大統領の誘いにより、2020年5月15日にアリゾナ工場を建設することになった。しかし紆余曲折があって難航し、昨年12月になってようやく半導体製造装置がアリゾナ州の建設予定地に到着した有り様だ。そこでTSMCは今般の工場建設を「第二期工程」と位置付けて12月6日に祝賀式典を開催した。

2.2020年にアリゾナ工場を建設する際にTSMCは120億ドルの投資を行っている。今般は投資額をその3倍以上の400億ドルに増やしているが、アメリカで製造するにはコストが50%も多くかかるので、利益を上げるのが困難だ(コストが50%も高くかかり、アメリカには製造業人材がいないことに関して、張忠謀は2022年4月にアメリカのブルッキングス研究所に招かれた際のpodcast取材で表明している)。

3.ハイレベルの作業に従事するためには、優れた技術者と熟練工が必要だ。そこでTSMCはアメリカから600人の雇用予定者を台湾に招聘してトレーニングを行い、さらに600人の台湾人のハイレベル技術者を2022年11月にアリゾナに派遣した。その状況で5nm(ナノメータ)を3nmに変更するようアメリカ側から要求され、さらに2026年は2nmを目指すことを努力目標として要求された。

4.AMDやNvidiaもアメリカ政府の指示により、半導体はTSMCアリゾナ州工場から調達するように強要されている。

5.注目すべきはアップルだが、アップルのCEOティム・クックは習近平と仲が良い。習近平の卒業大学である清華大学にある顧問委員会のメンバーの一人で、アップルはしっかりと中国に根を下ろしている。今も95%のアップル製品生産工場は中国大陸にある。それを象徴する図表を<Appleの財産はどのように中国に結びつき、サプライ チェーンの移転がほぼ困難になっているのか>という記事の中から拾って以下に示す。

出典:Financial Times

6.なぜ中国から移動させるのが困難かというと、中国には熟練したブルーカラーの大群がおり、給料さえもらえるなら上からの命令に反抗せず整然と忍耐強くラインの仕事をこなすからだ。オバマ元大統領夫妻が経営する映画制作会社の第一作映画『アメリカン・ファクトリー』が描いているように、アメリカが中国大陸に根こそぎ持って行かれた製造業を取り戻そうと、アメリカに中国の製造企業を移転させるのだが、アメリカ人従業者の自己主張やストにより経営破綻しそうになり、結局中国大陸から大量のブルーカラー・チームを呼び寄せることによって、ようやく持ち堪えたという状況がある(これに関して2022年3月号の月刊Hanadaで籾井勝人元NHK会長と対談したことがあるが、アメリカで仕事をしておられた籾井氏はその通りだと仰っていた)。張忠謀が演説で、かつての失敗の原因の一つに「文化の違い」を挙げたのも、そのせいだ。筆者自身も科研の調査で、帰国した中国人留学生の日欧米比較をしたことがあるが、その時に日本で学んだ最大のものは「忍耐強さだ」という回答があった。アジア系には、その文化がある。

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張忠謀の「自由貿易は死んだ」という言葉は、「本来ならば企業は市場のニーズに合わせ、利益を上げられる方法で経営していくものなのに、アメリカは中国大陸との交易を禁止し、政府の力で無理やりアメリカに生産工場を移転させて、アメリカ政府のために企業が行動を制限され方向づけられていく」という苦悩を言いたかったのだろう。

しかし台湾はいま民進党政権で、アメリカ頼みで台湾の政権を運営しているので、アメリカの言う通りにしなければならない。中国とはディカップリングを要求されている。

だから「グローバリゼーションは既に死に瀕しており、自由貿易もほぼ死んだ」という表現で、アメリカへの抵抗を精一杯抑制した形で吐露したのだと思われる。

演説をしているときの張忠謀の苦しそうな表情は、とても祝典で喜びを表している人のものではない。言ってはならないことを、精一杯に抑制した表現で言い表した、「抑圧された者の悲鳴」を聞く思いがする。

出典:鳳凰資訊の動画

◆習近平と張忠謀の良好な関係

その張忠謀は、実は習近平と良好な関係を築いている。

中立的な情報として「ドイツの声」というウェブサイトの中文版に掲載されている<張忠謀:習近平に祝意を伝えたのは私自身の思い付きだ>が非常に参考になる。習近平が昨年11月に開催されたAPEC会議で、唯一自分から足を運んで会いに行ったのは張忠謀一人であったと、拙著『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』の【第七章 習近平外交とロシア・リスク】の文末p.272に書いたが、その後の記者会見を「ドイツの声」は詳細に伝えている。

それによれば、張忠謀が習近平に「第20回党大会の成功を祝賀した」のは張忠謀自身の意思決定で、台湾代表としてAPECに出席した張忠謀は台湾の総統府からは「習近平に会えそうなチャンスがあったら、それをわざわざ回避する必要はない」とのみ言われただけだと述べている。そして注目すべきは「習近平との対談は非常に友好的な雰囲気の中で行われた」と、明るい表情で述べていることだ。

さらに記者会見で張忠謀は以下のように述べている。

――習近平は私たちが4年前にパプアニューギニアで会ったことを覚えていて、その時の話をしました。習近平はさらに、私が1年前に股関節手術をしたことに関して、「あなたは、今はずいぶんと顔色がいいですね」と言ってくれました。このような会話があって、それはとても愉快で、遠慮深い和やかな雰囲気の中で対談が行われました。(引用以上)

ところで、拙著『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』では、習近平がわざわざ張忠謀にだけは腰を低くして自分の方から会いに行ったのは、その後にある台湾の選挙に影響を与えたいという思惑からではないかと書いたが、案の定、その約1週間後に行われた台湾の統一地方選挙では親米の民進党が惨敗して、親中の国民党が圧勝した。

◆藍白合作――台湾のハイテク・シティ新竹市市長は国民党寄りの台湾民衆党

台湾における統一地方選挙は総統選とは違い、対中外交を中心に争われたわけではないが、しかし習近平は経済によって台湾の民意を中国大陸側に引き寄せ、武力攻撃をしないで済むよう和平統一を実現する方向で動いている。

実は、台湾のサイエンスパークというか、ハイテク・シティ新竹市の市長は国民党寄りの台湾民衆党の有力人物だ。

台湾では「国民党は藍色」、「民進党は緑色」、「台湾民衆党は白色」と、色によって系列を分けているが、台湾には「藍白合作」という言葉があるように、次の総統選では、「国民党と台湾民衆党の連立政権」を狙う可能性が小さくない。

となれば、2021年統計で台湾GDPの18.8%を占める半導体産業が、どの方向に動くかというのは大きい。半導体産業はTSMCをはじめとして新竹市に集中しているので、1社で台湾GDPの7.3%を占める張忠謀の発言が、台湾経済界を動かし、米中バランスに多大な影響をもたらす可能性がある。

長くなりすぎたので、またの機会に譲る。

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。「中国問題グローバル研究所」所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』(ビジネス社)、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』(PHP新書)、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(実業之日本社)、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略 世界はどう変わるのか』(PHP)、『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』(ビジネス社)、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤 誉 (著), 白井 一成 (著), 中国問題グローバル研究所 (編集)、実業之日本社)、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』(毎日新聞出版)、『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』(中文版・韓国語版もあり)、『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』、『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。2024年6月初旬に『嗤(わら)う習近平の白い牙』(ビジネス社)を出版予定。 // Born in 1941 in China. After surviving the Chinese Revolutionary War, she moved to Japan in 1953. Director of Global Research Institute on Chinese Issues, Professor Emeritus at the University of Tsukuba, Doctor of Science. Member of the Japan Writers Association. She successively fulfilled the posts of guest researcher and professor at the Institute of Sociology, Chinese Academy of Social Sciences. Her publications include “Inside US-China Trade War” (Mainichi Shimbun Publishing), “’Chugoku Seizo 2025’ no Shogeki, Shukinpei ha Ima Nani o Mokurondeirunoka (Impact of “Made in China 2025” What is Xi Jinping aiming at Now?), “Motakuto Nihongun to Kyoboshita Otoko (Mao Zedong: The Man Who Conspired with the Japanese Army),” “Japanese Girl at the Siege of Changchun (including Chinese versions),” “Net Taikoku Chugogu, Genron o Meguru Koubou (Net Superpower China: Battle over Speech),” “Chugoku Doman Shinjinrui: Nihon no Anime to Manga ga Chugoku o Ugokasu (The New Breed of Chinese “Dongman”: Japanese Cartoons and Comics Animate China),” “Chugogu ga Shirikonbare to Tsunagarutoki (When China Gets Connected with Silicon Valley),” and many other books.

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