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予測通り全国政協主席になる王滬寧と4人の妻の物語
王滬寧(写真:ロイター/アフロ)
王滬寧(写真:ロイター/アフロ)

予測した通り王滬寧(おう・こねい)が全国政治協商会議主席になる。3代の紅い皇帝に知恵袋として仕えてきた王滬寧は習近平にかつて「デタラメを言うな!」と怒鳴った男だ。そんな王滬寧の妻たちの物語を知っている人は少ない。

(注:1月20日、文末に「4人の妻の物語」の略記を加筆した。)

◆予測通り全国政治協商会議主席になることが判明した王滬寧

1月18日、新華網は<中国人民政治協商会議第十四回全国委員会(全国政治協商会議)委員名簿>を公表した。全体で2172人が代表になったが、このうち、体育や芸術など他ジャンルからの選出も含めて852人が中国共産党員で、全代表の39.2%を占める。純粋に中国共産党員からのみ選出された代表は99人で、その中に王滬寧の名前がある。

全代表2172人の中で、新チャイナ・セブン(7人の中共中央政治局常務委員会委員)であるのは王滬寧一人なので、自ずと、王滬寧が全国政治協商会議主席になることになる。

昨年10月の第20回党大会閉幕翌日である10月23日に開催された一中全会で、新チャイナ・セブンが選出されたが、その顔ぶれが公開された瞬間に、王滬寧は全国政治協商会議主席になると予測し、その詳細を『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』に書いたが、予測通りの結果になったのを知り、ひとまずホッとしている。

◆14億人の中で唯一、習近平を叱責できる男

学者としての王滬寧を政治の世界に引きずり込もうとしたのは江沢民の大番頭だった曽慶紅だ。1995年になると江沢民は曽慶紅の勧めにより王滬寧を中央に呼び、「中央政策研究室政治組」の組長に任命し、「三つの代表」論の論理的根拠を執筆させた。胡錦涛政権になっても王滬寧は中央に留まって中央政策研究室主任(2002年~12年)、中央書記処主任(2007年~12年)などを歴任し、胡錦涛の「科学的発展観」の原稿も執筆した。

いうならば、中国の「紅い皇帝」の知恵袋。

しかし胡錦涛時代、習近平がまだ国家副主席だったときに、習近平に対して「あなたは何もわかってない!不用意にしゃべらないでくれ!」と面と向かって言ったことがある。

この「不用意にしゃべらないでくれ!」という日本語の中国語原文は「不要乱説!」だ。これはかなり失礼な言い方である。「メチャクチャなことを言うな!」あるいは「デタラメを言うな!」と訳した方が適切かもしれない。

激怒した習近平は「やめた!」と切れてしまった。

つまり、次期中共中央総書記、次期国家主席など、国家のトップになるのを「やめた!」という意味だ。

もし習近平が国家のトップに立たないとなると、第18回党大会は成立しない。今後の中国共産党一党支配体制が崩れる可能性がある。

周りは慌てて習近平の説得に当たった。特に曽慶紅が説得して、ようやく元のさやに納まった。

曽慶紅は習近平が清華大学卒業後に国務院弁公庁および中央軍事委員会弁公庁において、副総理および中央軍事委員会常務委員をしていた耿飈(こう・ひょう)の秘書をかけ持ちで務めていたときに習近平と親しくなっている。習近平はその当時、曽慶紅のことを「慶紅兄さん」と呼んで慕っていた。だから、習近平は曽慶紅の言うことは聞く。

このたび王滬寧は新チャイナ・セブンの一人として残ったが、おそらくその中で習近平に対して「上から目線で、遠慮せずに、ピシャリとものが言える」のは王滬寧一人ではないだろうか。全中国14億人の中で、習近平を抑制することのできる唯一の人物が王滬寧だと言っても過言ではない。

それでも習近平は、江沢民や胡錦涛と同様に彼の英知を欲しがった。

結果、王滬寧は三代の「紅い皇帝」に仕える知恵袋となっているわけだ。

◆知られざる王滬寧の「4人の妻たちの物語」

しかし、人間の性格はわからないものである。

女性が王滬寧を好きになるのか、それとも王滬寧が「女好き」なのか分からないが、王滬寧は4回も結婚・離婚をくり返している。

生い立ちを見ると、王滬寧は1955年10月に上海で生まれたが、中学に上がるころに文革が始まり、授業はなかったから家に閉じこもって本ばかり読んでいた。体が弱く勉強好き。1974年、上海師範大学幹部外語培訓班(養成班)法語(フランス語)に入学。19歳のときだった。

78年に大学入学統一試験が再開されたので、すぐさま正式に復旦大学の大学院を受験し、国際政治を専攻した。文革終息後の第一期の大学院生である。卒業後、復旦大学に残って助教授、教授、博士指導教官となり、その間に多くの論文を発表した。

最初の妻は、この上海師範大学と関係がある。

それでは「4人の妻たちの物語」をご紹介しよう。

最初の妻の物語

実は上海師範大学の幹部外語培訓(養成)班には、かつて国家安全部のスパイ活動をするために世界各国の言葉を学ばせていたという歴史がある。王滬寧はフランス語だけでなく英語も話せる。最初に結婚した女性は国家安全部の幹部の娘だった。スパイ活動という謎めいたこともあったためか、結婚も離婚も秘密のうちに行われている。

二番目の妻の物語

二番目の妻の名前は周琪(しゅう・き)で、1952年11月、北京で生まれた。国際関係の専門家で、1980年2月に上海復旦大学国際政治学科を卒業し、1980年9月から1983年7月まで復旦大学国際政治学の修士課程で学び修士号を取得。1986年11月~1988年1月はアメリカのジョンズ・ホプキンス大学高等研究所に留学し、1990年1月~1991年1月はアメリカのハーバード大学客員研究員を務めた。現在は研究室の副主任を務めると同時に英国研究協会理事、上海欧州学会理事などを担う。

周琪と王滬寧は復旦の同窓生で、卒業後も学校に残って教え、結婚した。1994年5月、周琪は上海を離れ、北京にある中国社会科学院アメリカ研究所に異動したため、王滬寧とは1年間離れ離れで暮らした。1995年、王滬寧も江沢民に呼ばれて北京転勤となり、中国共産党中央委員会政策調査室の政治グループの責任者を務めたが、夫婦は1996年に離婚した。

三番目の妻の物語

三番目の妻、肖佳霊(しょう・かれい)は1966年4月に湖南省で生まれた。復旦大学法学博士で、現在は復旦大学国際関係広報学院准教授、上海国際関係学会会員、および復旦大学日本研究センターの研究員。復旦大学国際政治学科の国際関係学科で学部、修士、博士課程を修了し、1997年5月に法学博士の学位を取得したのだが、実は指導教官は王滬寧だった。よくある話だが、王滬寧は教え子の肖佳霊が好きになり、1998年に結婚した。

三番目の妻が博士学位を取得するまでには少なくとも3年はかかったはずだ。つまり博士学位を取得する1997年5月よりも3年前である1994年4月辺りから、三番目の妻となる教え子とは接触していたことになる。いわゆる「不倫」をしていたことになろうか。この「教え子」の存在が原因で夫婦仲が悪くなったと考えるのが普通だろう。

肖佳霊はしかし、1999年から2001年まで、日本の東京大学法学部のポスドク研究員として勤務し、その後アメリカにわたってイェール大学の客員研究員を務めたり、パリ政治学院の客員研究員を務めたりしている。そんなことからなのか理由はわからないが、結局離婚してしまった。

四番目の妻の物語

四番目の妻は1985年に山東省青島市生まれということだけはわかっているが、さすがに公表もしにくくなったのだろう、名前はわからない。2014年5月に結婚した。専業主婦をして、ひっそりと家で暮らしているらしい。

以上が「4人の妻の物語」だが、拙著『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』のp.63-66には「王滬寧の妻たちの物語」を特集して、エッセイ風にまとめた。

政治界における王滬寧は、その目の奥に、「怪しげな」と言ってもいいほどの「情報」を潜ませている。この目つきはゾッとするほどに冷たく、だから中南海でも王滬寧をよく言う人はあまりいない。

中国には「二奶(妻以外の愛人)村」というのが江沢民政権や胡錦涛政権にはあったほど、「好色な官僚」は掃いて捨てるほどいる。

しかし王滬寧は、その手の、文字にしたくもないほどの嫌悪すべき連中とは無縁のような存在でいながら、妻をつぎつぎに取り換えているという現実に、何とも複雑な気持ちになるのを禁じ得ない。

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。「中国問題グローバル研究所」所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』(2022年12月中旬発売。PHP新書)、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(実業之日本社)、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略 世界はどう変わるのか』(PHP)、『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』(ビジネス社)、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤 誉 (著), 白井 一成 (著), 中国問題グローバル研究所 (編集)、実業之日本社)、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』(毎日新聞出版)、『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』(中文版・韓国語版もあり)、『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』、『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。 // Born in 1941 in China. After surviving the Chinese Revolutionary War, she moved to Japan in 1953. Director of Global Research Institute on Chinese Issues, Professor Emeritus at the University of Tsukuba, Doctor of Science. Member of the Japan Writers Association. She successively fulfilled the posts of guest researcher and professor at the Institute of Sociology, Chinese Academy of Social Sciences. Her publications include “Inside US-China Trade War” (Mainichi Shimbun Publishing), “’Chugoku Seizo 2025’ no Shogeki, Shukinpei ha Ima Nani o Mokurondeirunoka (Impact of “Made in China 2025” What is Xi Jinping aiming at Now?), “Motakuto Nihongun to Kyoboshita Otoko (Mao Zedong: The Man Who Conspired with the Japanese Army),” “Japanese Girl at the Siege of Changchun (including Chinese versions),” “Net Taikoku Chugogu, Genron o Meguru Koubou (Net Superpower China: Battle over Speech),” “Chugoku Doman Shinjinrui: Nihon no Anime to Manga ga Chugoku o Ugokasu (The New Breed of Chinese “Dongman”: Japanese Cartoons and Comics Animate China),” “Chugogu ga Shirikonbare to Tsunagarutoki (When China Gets Connected with Silicon Valley),” and many other books.

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