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香港がふたたび世界とつながる
香港行政長官が施政方針演説(写真:ロイター/アフロ)
香港行政長官が施政方針演説(写真:ロイター/アフロ)

激動の3年間

香港行政長官としての治世を「酷吏治港 」と評された林鄭月娥(りんてい・げつが、キャリー・ラム)が自ら選んだ後継者、李家超(り・かちょう、ジョン・リー)は先頃、香港入国者を対象とするホテル検疫を終了する旨を発表した。新型コロナウイルス感染症の大流行に対して、香港を除くアジアの多くの地域ではいずれも厳格なロックダウン、検疫制限、国境封鎖という対応を取った。しかし、かつてアジア最高レベルの発着便数を誇った空港を擁し、ビジネスパーソンや旅行客の往来によって栄えていた香港においては、こうした対策によって街の様相が一夜にしてガラリと変わった。多種多様な措置が講じられた結果、香港に入国しようとする者は政府指定の検疫施設に最長3週間の滞在を余儀なくされたほか、感染者を香港に入国させた航空会社は運行禁止の罰を課されたり、座席の需要がないため運休に追い込まれたりしており、航空券を入手するにも法外な金額を支払わねばならない状況となった。

香港の労働者は香港を離れることができず、学生たちも何年も家族と離れて海外に滞在させられ、よほど強い意志とコネクションを持つビジネスパーソンでもない限り、香港は出張先リストから消えることとなった。

こうした衝撃的な状況からの再起というのは、いずこであれ困難を伴うだろう。数か月前に苦境を耐え抜いて「ウィズコロナ」アプローチの必要性を思い知らされたシンガポールは、全人口に占めるmRNAワクチン高接種率達成の後、かなりの成果を収めている。対応件数の突発的増加はなおも発生しているが、病院施設に対する需要はさほど大きくない。ビジネス分野限定で再び開放された香港だったが、3年前とはまるで様子が変わってしまった。2019年6月、林鄭月娥が逃亡犯条例改正案(非公式名称では引渡条例、逃犯条例など)の強行採決を試みたことを機に、これに反対する抗議デモ行進、ストライキ、暴動、騒乱がその後7か月にわたって続くこととなった。2020年初頭の新型コロナウイルス感染症の発生によって、抗議活動はようやく終息をみた。以降、政府は感染症のおかげで出来上がった安全圏の中で、現実であるか想像であるかの別を問わず反対意見を組織的に排除し、政治的枠組みにあえて疑問を呈した何百人もの香港市民を投獄してきたのである。これは主として、反体制的な言動を行った者は誰であれ拘留することを香港政府に認めた、香港国家安全法(NSL)の傘の下で行われてきた。

国家安全法によって報道の自由は大きく閉ざされ、反体制的と見なされることを恐れて多くの団体・組織が廃止に追い込まれた。香港で最も注目を集めるメディア「蘋果日報」(ひんか・にっぽう、アップルデイリー)も、警察の家宅捜索を受けてファイルや資産が押収され、歯に衣着せぬ発言で知られる創業者の黎智英(れい・ちえい、ジミー・ライ)は逮捕収監された。かなりの数の労働組合が廃止され、中国国内で人権擁護のため活動していた市民団体も多くが廃止された。学校の教科書は一掃され、中国共産党と習近平の功績を称える愛国教育が主流になりつつある。国家安全保障という名の下に行われた市民社会への締め付けによって、何十万人もの人々が香港を去ったのは驚くにはあたらない。もちろん新型コロナウイルス感染症も理由の1つではあるが、国家安全法による制限と不必要に過剰なコロナ対策とが相まって、街はもぬけの殻になってしまった。世界に向けて開かれていた香港は、2019年当時とはまるで別の場所となったのである。

世界もまた変化している

李家超は3時間に及ぶ施政方針演説において、人材確保に向けた数々の施策を発表した。ビジネスクラスの航空券を無料で提供するなどの案はどう見ても荒唐無稽であるし、また、高給取りの外国人を対象とした高度人材ビザなどの措置も、シンガポールによる施策の後追いにしか見えない。珠江デルタ地帯の各都市が互いに補完し協力し合って世界をリードするメガエリアを建設するという、粤港澳大湾区(えつこうおう・だいわんく、GBA)構想において、香港が果たしうる重要な役割についても、李家超はひたすら中国政府お墨付きの台詞を読み上げるばかりである。どう見ても希望的観測の域を出ない提案であるが、承認済みの見解を提示するとはすなわち、香港が本土に統合されているのと同義である。つまりは「一国二制度」の「二制度」よりも、「一国」の方がはるかに重要であるということだ。

だがその提案は、国家安全法がもたらした局所的な変化のみならず、コロナ後の世界における変化をも意図的に無視したものだ。世界で生じた変化を3つ、取り上げてみよう。第一に、中国は依然として世界に対して門戸を閉ざしている。パンデミックの発生当初、林鄭月娥は香港をまず中国に開放したいと述べ、世界に向けて開放するのはその後になるだろうとしていた。コロナ対応の失敗により市内の感染数が大々的に増加したことで、中国に向けた開放の望みは絶たれた。では、中国が極めて厳格なゼロコロナ政策を維持している状況で、ウィズコロナ路線へと舵を切り始めた香港は、いかに中国への門戸として機能し得るというのだろう。国境が閉鎖されている以上、香港の大湾区統合は土台無理な話であるし、ゼロコロナ主義を貫く中国国内においても、コロナ以前の生活を取り戻すことは到底不可能だろう。すべての国民は、健康コードアプリの色によって行動を制限されている。自由に活動するためには数日おきの検査と緑色の健康コード(健康碼)が必要となり、中国経済は深刻なダメージを受けた。つまり、中国はビジネスに開かれてはおらず、わずか数年前と同じレベルの成長を遂げてもいない。香港は世界で最も成長著しい経済圏に開かれた門戸である、という基本命題は、もはや過去のものとなったのである。

第二に、極めて厳格な取り締まりがビジネス界全体に衝撃を与えていることに疑問の余地はない。台北、シンガポール、ソウル、あるいはドバイのような中東の中心地は、程度の差こそあれ、香港脱出から確実に恩恵を受けている。香港はまずもって、中国に焦点を当てたビジネス中心地としての役割を担い続けてきた。中国が経済大国であるということは、すなわち香港が国際的な地位を得ることでもあったのだが、香港は他のアジア諸国との関係構築に失敗した。現状の香港を東南アジアのビジネス拠点、ましてやインド、南アジア亜大陸における活動の拠点にしようとする企業はないだろう。香港は以前に増して中国の物語ばかりを語るようになり、その物語もここ数年間で劇的に損なわれている。バイデン政権が最近、最先端のマイクロチップ設計における米国の技術や技術者の使用に適用した規制は、対中措置としてはトランプ政権時代よりもはるかに厳しいものとなっている。超大国間の競争と呼ぶにせよ、中国封じ込めと呼ぶにせよ、世界最大の2つの経済圏の分断・分岐がすぐにでも終わりそうな気配はなく、それは香港にとっても決して良い状況とは言えないだろう。

最後に、第20回党大会において明確になったように、習近平はひたすらに己の支配力を強めており、ワンマン独裁体制こそが中国の現実の姿である。改革開放の時代は幕を閉じた。習近平は己のやり方によって改革開放に伴う欠点に対処できると信じているかもしれないが、そのやり方は統制と不透明性の時代をもたらすものであった。香港は鄧小平の改革開放時代がもたらした多大な恩恵を享受してきたが、習近平の世界はこれとは全く異なり、開放や市場へのアクセス拡大に期待できるような方向性は、もはや潰えてしまった。

制裁と戦争がもたらすもの

ごく現実的なレベルで、香港は戦争がもたらした制裁環境にさらされることとなった。李家超のような香港の指導者たちは、抗議デモの弾圧に関与したことですでに米国政府から制裁を受けており、前任者の林鄭月娥と同様、銀行口座を利用できなくなったため、給与はすべて現金で受け取ることになる。香港政府要人の大部分が依然としてこれら特別制裁の適用対象となっており、李家超およびその関係者と面会するだけでも制裁違反になりかねない、という懸念が米国企業にはあるはずだ。

さらに、ロシアのウクライナ侵攻により、ロシアの企業、個人およびその支援者に対して米国およびEUから膨大な制裁措置が課されることとなった。香港の金融機関が米ドル決済システムとの接続を維持しようとするなら、制裁措置に従うことが大前提となる。香港の中央銀行である香港金融管理局は銀行に対して、こうした制裁に必ずしも従う必要はないが、制裁を無視することは企業にとって自殺行為になると伝えている。米国財務省外国資産管理局(OFAC)の逆鱗に敢えて触れようとするグローバル銀行は存在しない。地元メディアによれば、ロシアのパスポート保有者は香港で銀行口座を開くことが事実上不可能であり、金融取引はすべて監視下に置かれているという。このような環境下において香港は、制裁を受けたロシアの新興富裕層「オリガルヒ」の一人アレクセイ・モルダショフ所有とされるスーパーヨット、ノルド(Nord)号の入港を許可している。インターネットで検索したところ、問題のヨットは現在、南シナ海上を南アフリカに向けて航行中であることが分かる。しかし、多くのヨーロッパ諸国が同様のケースでそうしてきたように、香港政府が同船を拿捕するつもりはないと公式発表したことは、香港が世界規模の制裁へどのように対応するか懸念を抱かせるメッセージとなった。

香港としては、ロシアやイラン、その他の国々からの個人、企業、資産の制裁逃れに利用されるわけにはいかない。プーチンのウクライナ侵攻にあたって、中国はロシアを緊密かつ愚直に支援している。これは悲劇的なことではあるが、何ら驚くことではない。香港は今や北京の実質的管理下にあるので、その無策ぶりについては今さら驚くまでもないが、ではマカオなど別の港に寄港するよう伝えてもよかったのではないか。なぜ制裁違反の可能性という、香港のイメージダウンにつながるような真似をするのか。こうした行動に出たことで、グローバルバンクのコンプライアンス部門は資金や投資がロシアの支援を受けた事業の隠れ蓑になっていないか、より一層厳しい監視の目を香港に向けるようになるだろう。そうなれば香港内での事業運営コストばかりか、香港企業との取引コスト増にもつながる。国際的な金融センターとしての地位回復を目指す香港にとってこれは、賢いやり方とは言えない。

香港は立ち直れるのか

何であれ、落下開始時の高さまで跳ね返りはしない。激動、変化、つまづき、市民の騒動にさらされた3年間を経て、香港がかつての役割を完全に取り戻すことは不可能だろう。とはいえ、習近平の新時代の中国において、香港が果たすべき役割がないわけでもない。人民元の通貨管理が解除される可能性はゼロである以上、今後も香港の交換可能通貨は中国経済にとって独特の資産であり続けるだろう。中国との間で資金のやり取りを可能にした「滬港通」(ふーがんとん、上海・香港ストックコネクト)制度で大きな成功を収めており、多くの注意点はあるものの、今後も継続的に拡大させていくことだろう。中国企業の米国上場へのハードルがさらに上がることで、香港も上場先としての役割を果たせるし、他にも二国間フローや資金調達の手段は色々と考えらるだろう。しかし、今後はこれまで香港経済の至宝とされてきた金融部門でさえ、前述したような数々の逆風にさらされることになる。

香港はこれからも、アジアに打って出ようとする人や企業を惹きつけるだろう。そして、上海や北京をはるかに超えて自由を享受している香港を高く評価する本土の多くの人々を引き寄せるだろう。香港の摩天楼を見上げては観光客も地域住民もひとしく驚嘆するだろうし、人々の行き交う往来もまた、かつてとまったく同じとは言えないにせよ、活気あふれるものであり続けるはずだ。

この3年間、北京はその支配力を発揮し、この街を徹底的に打ちのめした。北京はここに自らの意志を押し付け、屈服させた。最も声高で、情熱的で、創造的才能を有する人々を投獄し、あるいは外へ追いやった。香港を待ち受けるのは苦難の道だ。この3年間で街が進む道は劇的に変わったが、街はこれからも生き残ってゆくだろう。しかし2014年香港反政府デモの際、ある香港人は中国本土人の問いかけに答えてこう言った ―「人生には生き残ることより大事なものがあるのです」。

フレイザー・ハウイー(Howie, Fraser)|アナリスト。ケンブリッジ大学で物理を専攻し、北京語言文化大学で中国語を学んだのち、20年以上にわたりアジア株を中心に取引と分析、執筆活動を行う。この間、香港、北京、シンガポールでベアリングス銀行、バンカース・トラスト、モルガン・スタンレー、中国国際金融(CICC)に勤務。2003年から2012年まではフランス系証券会社のCLSAアジア・パシフィック・マーケッツ(シンガポール)で上場派生商品と疑似ストックオプション担当の代表取締役を務めた。「エコノミスト」誌2011年ブック・オブ・ザ・イヤーを受賞し、ブルームバーグのビジネス書トップ10に選ばれた“Red Capitalism : The Fragile Financial Foundations of China's Extraordinary Rise”(赤い資本主義:中国の並外れた成長と脆弱な金融基盤)をはじめ、3冊の共著書がある。「ウォール・ストリート・ジャーナル」、「フォーリン・ポリシー」、「チャイナ・エコノミック・クォータリー」、「日経アジアレビュー」に定期的に寄稿するほか、CNBC、ブルームバーグ、BBCにコメンテーターとして頻繫に登場している。 // Fraser Howie is co-author of three books on the Chinese financial system, Red Capitalism: The Fragile Financial Foundations of China’s Extraordinary Rise (named a Book of the Year 2011 by The Economist magazine and one of the top ten business books of the year by Bloomberg), Privatizing China: Inside China’s Stock Markets and “To Get Rich is Glorious” China’s Stock Market in the ‘80s and ‘90s. He studied Natural Sciences (Physics) at Cambridge University and Chinese at Beijing Language and Culture University and for over twenty years has been trading, analyzing and writing about Asian stock markets. During that time he has worked in Hong Kong Beijing and Singapore. He has worked for Baring Securities, Bankers Trust, Morgan Stanley, CICC and from 2003 to 2012 he worked at CLSA as a Managing Director in the Listed Derivatives and Synthetic Equity department. His work has been published in the Wall Street Journal, Foreign Policy, China Economic Quarterly and the Nikkei Asian Review, and is a regular commentator on CNBC, Bloomberg and the BBC.