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ウクライナ戦争停戦はウクライナのNATO加盟暫時放棄しかない
ウクライナのゼレンスキー大統領(写真:ロイター/アフロ)
ウクライナのゼレンスキー大統領(写真:ロイター/アフロ)

獰猛(どうもう)な前世紀の暴君プーチンの刃からウクライナの国民を救い、戦局をこれ以上拡大させないためには、たとえ暫時でも、命の尊厳を重んじてウクライナがNATO加盟を放棄するしかない。もともと中立だったウクライナに自己利益のためにNATO加盟を強要したのはバイデンだ。

◆ゼレンスキー大統領が「NATOのせい」と悟った

ウクライナのゼレンスキー大統領はロシアによる空爆を阻止するため、ウクライナ上空に飛行禁止空域を設定するようNATOに求めていた。

ところが3月4日、NATOのイエンス・ストルテンベルグ事務総長は緊急会合後、「飛行禁止空域を設定するには、ウクライナ上空にNATO機を展開し、ロシア機を撃墜するしかない」として、「そうなれば欧州で多くの国を巻き込んだ本格的な戦争に発展し、人的被害もはるかに大きくなりかねない」と説明した。

すなわち、ゼレンスキー大統領の要求を断ったということだ。

そこでゼレンスキー大統領は「NATOは、ロシア軍が今後も空爆を実施し、死傷者の増加が避けられないことを知りながら、あえてウクライナ上空に飛行禁止空域を設定しない決定を下した。これはすなわち、きょう以降の死者はNATOのせいでもあるということになる。あなた方が弱腰で、(われわれを)切り捨てたせいだ」と述べ、「NATO指導部は、ウクライナの都市や村へのさらなる空爆にゴーサインを出した」と強く非難した。

NATOに加盟せよと強くアメリカやNATOの一部から勧められ、特にアメリカのバイデン(元副大統領)からは「アメリカはウクライナがNATOに加盟すれば、ウクライナを強く支持していく」と心強い言葉を投げられ続けてきたが、いざロシアがウクライナに軍事攻撃を始めたら、バイデンは、今度は、「ウクライナはNATOのメンバーではないので、軍事的に応援する義務はアメリカにはない」としてウクライナの民を見捨てた。

これではまるで、ヤクザのような論理ではないか。

今回のゼレンスキー大統領の「NATOのせい」発言は、こういったNATOやアメリカの狡猾さに、ゼレンスキー大統領自身が、ようやく気付き始めた何よりの証しだということができよう。

◆ウクライナはもともと「中立」を望んでいた

1991年末に旧ソ連が崩壊してからのウクライナの運命を全て考察するのは困難なので、せめて、バイデンが副大統領としてウクライナを訪れた2009年7月あたりからの変化を考察するために、不完全ながら年表を作成してみた。

2008年1月のウクライナ国民に対する世論調査によれば、50%のウクライナ人がNATO加盟に反対し、全体としては「中立」を望んでいる傾向にあった。

世論調査はいろいろあるので、このデータだけが全てではないが、ロシアにもNATOにも偏ることなく、両方と友好的にして、ともかくウクライナ国民の経済を豊かにし、ウクライナ国民が幸せになればいいという人たちがほとんどだったということは言える。

それが突然変わったのは、2009年7月の当時のバイデン副大統領によるウクライナにおける演説だった。

2月25日のコラム<バイデンに利用され捨てられたウクライナの悲痛>に書いた拓殖大学海外事情研究所の名越健郎教授がまとめた<「次男は月収500万円」バイデン父子がウクライナから破格報酬を引き出せたワケ安倍政権の対ロシア外交を妨害も>に、以下のように書いてある。

――オバマ政権の副大統領に就任後、2009年7月にウクライナを訪れ、「ウクライナがNATO加盟を選択するなら、米国は強く支持する」と伝えた。当時のウクライナでNATO加盟論は少数派で、この発言は突出していた。(引用ここまで)

そのため、2008年1月の世論調査を見てみたのだが、ウクライナの「中立志向」は、いったいどのような経過で潰されていったのかが、一覧表を作成すると明確に浮かび上がってくる。

年表ウクライナの中立は如何にして潰されたのか

筆者作成

できるだけ省略したつもりだが、年表が長くなってしまい、申し訳ない。

年表を見ると、バイデン以前にもアメリカのブッシュ大統領やオバマ大統領候補もウクライナのNATO加盟を支援していた。

しかし親ロシア派のヤヌコーヴィチ大統領が当選すると、欧米にもロシアにも平等に接して、特に2010年6月には「中立を保ちNATOに加盟しない法律」を措定し、ウクライナは平和な日々を送っていた。

ところが「EUとの連合協定」調印に当たり、さまざまな問題が沸き起こってきた。

EUは職権濫用罪で収監中のティモシェンコ前首相について国外療養を認めることを「EUとの連合協定」署名の前提条件としていたのだが、2013年11月21日、ウクライナ議会はそれを否決した。

さらにウクライナは財政危機にあり、ポーランドがEU加盟に当たって、ポーランドが加盟した時に供給された金額に近い1,600億ユーロ(2,170億ドル)をEUに求めていたが、EUからは6億ユーロしか支払われないことがわかった。一方、ロシアは150億ドルの金融支援を行うだけでなく、天然ガス価格を33%も割引きしてくれるという優遇条件を予め示してくれていたので(正式公表は12月17日)、2013年の11月21日に調印の中止を発表したのである。

すると、野党(親欧米派)が反旗を翻して、その日の夜に「マイダン革命」が勃発した。

マイダン革命の背後に何があったかは、ここでは語らないとして、明確なのは、翌月の12月15日にはアメリカの共和党議員や民主党議員がこぞってウクライナを訪問しマイダン革命を起こした野党党首らを激励したことだ。このことから背後にいたのが誰で、誰がウクライナ内政をコントロールしていたかが窺えるだろう。

内政をコントロールするというより、ウクライナにアメリカに都合のいい傀儡政権を作ろうとしていた意図が明らかになっていく。

2014年に入ると続けざま、バイデンは自ら「ウクライナ問題を担当したい」とオバマ大統領に申し出て、ウクライナにNATO加盟を奨励するとともに、軍事援助を申し出ようとするのである。

これに関しては2月25日のコラム<バイデンに利用され捨てられたウクライナの悲痛>に書いたので省略する。

注目すべきは、アメリカのビクトリア・ヌーランド国務次官補等がこのときウクライナ政変を画策し、野党指導者らと話し合い、しかも誰をどの閣僚にするという具体的なことまで話し合っていたことだ。

問題なのはその時の通話が録音されていて2月4日にリークされ、結局アメリカの民主党の議員も、これは間違いなくヌーランドの声だと認めている。

ヌーランドはなんと今、バイデン政権の国務次官(政治担当)である

ウクライナをアメリカ民主党の思うままに動かす役者は揃っていて、結局のところ、ウクライナは徹底してバイデン政権の餌食になったとしか言いようがない。

◆ゼレンスキー大統領の決意

ゼレンスキーは8日、米ABCテレビのインタビューで、「NATOにはウクライナを受け入れる覚悟がないとかなり前に理解した」と述べ、NATO加盟をあきらめる考えを示唆していたとのこと。日本では読売新聞などが伝えている。

偉いぞ、ゼレンスキー!

その通りだ!

ウクライナ国民の命と平和を守り、国民の経済繁栄と幸せをもたらすには、NAATOに加盟しようなどと思わないことだ。

ゼレンスキーはきっと、「バイデンにも利用されただけで、騙されていたんだ」ということに気づくだろう。いや、もう既に気づいているのかもしれない。

今まで何度も書いてきたように、NATOもバイデンも、ウクライナをNATOに加盟させる気など最初からなく、利用しただけなのである。

なぜ利用したかは、2月20日のコラム<なぜアメリカは「ロシアがウクライナを侵攻してくれないと困る」のか>に書いた通りだ。

プーチンのような野獣を野に放ってしまったバイデンの罪は必ずいつかは裁かれる。あの1000万人の無辜の命を奪ったベトナム戦争の発端であるトンキン湾事件さえ、アメリカが戦争を仕掛けるための捏造であったことは既に証明されている。40年以上経ち、機密文書も解禁されて、誰でも読むことができる。

今回の事件の真相もいずれわかる時が来ると信じている。

二度と再び、獰猛な過去の亡霊のようなプーチンを自由にさせないことだ。

「あなたがウクライナに攻め込んでも米軍を派遣することはありません」と、野獣を檻から解き放ち、獰猛に暴れる許可を出したバイデンの罪を、人類が白日の下に晒す日は、必ずやってくる。

アフガンで米軍基地をアフガン政府に手渡し、刑務所のISテロ犯たちを野に放ったのもバイデンだ。バイデンは戦争がないと困るのである。武器商人の不満を招いて票を稼げなくなるからだ。

バイデンが人類にもたらした災禍は裁かれるべきだ。

バイデンはウクライナ人に、ひざまずいて謝罪しなければならない。

まずは、ウクライナ人の命を救うことが先決だ。

NATOにもバイデンにも期待してはならない。

バイデンはウクライナを利用しただけだ。ロシアの軍事侵略を止めるような大芝居をうって、「さあ、アメリカは参戦しませんから、どうぞ思う存分暴れてください」とプーチンという危険極まりない野獣を野に放ち、「アメリカがナンバー1である」ことを世界に見せたかっただけなのである。

ゼレンスキー大統領がそのことを悟り、次から次へと真相を明らかにしてくれるだろう。ゼレンスキーは真に国民の側に立った英雄だ。

◆ウクライナと欧州は停戦協議に関して中国に期待し、アメリカ期待していない

(なお、本コラムは「中国・台湾・周辺問題」をテーマとして書くことが規則になっている。筆者としては中国を真に理解するには中国と関係する全ての国の実情をも分析しない限り、真に中国の真相に迫ることは出来ないと思い、関係国の分析も行っているが、Yahho!の投稿規定により、中国分析もストレートに加筆しなければならないということになった。そのため以下は、やや唐突感があり不自然感が付きまとうと思うが敢えて加筆する。)

3月1日にウクライナのクレバ外相と中国の王毅外相が対談し、クレバ外相は王毅外相に「中国が停戦協定の仲介をしてくれ」と依頼した。

また3月8日には習近平がフランスのマクロン外相とドイツの中国の習近平国家主席は8日、フランスのマクロン大統領およびドイツのショルツ首相とオンライン形式で、ウクライナ情勢について会談した。

この席で習近平は「中国は、ウクライナ情勢を仲介するフランスとドイツの努力を高く評価し、フランス、ドイツ、ヨーロッパとの意思疎通と調整を維持し、すべての当事者のニーズに応じて国際社会と積極的な役割を果たす用意がある」と述べた。

これに対してマクロンやからは「人道状況イニシアティブに対する中国のイニシアティブに感謝し、中国との意思疎通と調整を強化し、更なるエスカレーションを回避し、より深刻な人道危機を生じさせないよう、協議を促す用意がある」という回答があった。

一方、ドイツのメディアは「ロシアとウクライナの危機を解決するには、中国政府の協力が必要だ」と述べている。

3月5日に王毅外相はアメリカのブリンケン国務長官と電話会談しているが、その中でブリンケンは王毅に「世界はどの国が自由、民族自決、主権の基本原則を支持しているかを見守っている」ので、「そのつもりでいろ」というトーンの警告をし、また欧州に対してはブリンケンは「ロシアに対する制裁を強化しろ」としか言わないので、欧州はそろそろアメリカとの話し合いを敬遠するようになり出した。

そもそも、2月25日に習近平とプーチンが電話会談をして「話し合いでの解決をした方が良いのではないか」と互いに口にすることによって、停戦協議が始まったのだが、アメリカは「ウクライナとのロシアの協議の申し出」を「真の外交ではない」として却下したとニューデリーTVが報道している

つまりアメリカはウクライナとロシアが停戦して欲しくないのだ。

そのためネットには以下のようなツイッターが貼られて世界を賑わしている。

AFPのツイッターより
AFPのツイッターより

アメリカの、「ロシアとウクライナを戦い続けさせて、ロシアにより厳しい制裁を加え続けなければ気が済まない」ということに対する真の狙いがだんだん世界に知れるようになり、欧州は嫌気がさしていると言えよう。

石油や天然ガスの価格は高騰し、生活が苦しくなるばかりだが、アメリカは石油も天然ガスも食料も輸出国なので、価格が高騰すればするほどアメリカは「戦争特需」に沸き、バイデンは選挙戦を戦うのに有利になるということを、ヨーロッパは見透かし始めている。

バイデンは、「まずロシアをやっつけてから、次に対中包囲網に集中する」と言っていたが、その目的は果たして達成される方向に動いているか疑問だ。

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。「中国問題グローバル研究所」所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』(ビジネス社)、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』(PHP新書)、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(実業之日本社)、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略 世界はどう変わるのか』(PHP)、『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』(ビジネス社)、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤 誉 (著), 白井 一成 (著), 中国問題グローバル研究所 (編集)、実業之日本社)、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』(毎日新聞出版)、『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』(中文版・韓国語版もあり)、『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』、『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。2024年6月初旬に『嗤(わら)う習近平の白い牙』(ビジネス社)を出版予定。 // Born in 1941 in China. After surviving the Chinese Revolutionary War, she moved to Japan in 1953. Director of Global Research Institute on Chinese Issues, Professor Emeritus at the University of Tsukuba, Doctor of Science. Member of the Japan Writers Association. She successively fulfilled the posts of guest researcher and professor at the Institute of Sociology, Chinese Academy of Social Sciences. Her publications include “Inside US-China Trade War” (Mainichi Shimbun Publishing), “’Chugoku Seizo 2025’ no Shogeki, Shukinpei ha Ima Nani o Mokurondeirunoka (Impact of “Made in China 2025” What is Xi Jinping aiming at Now?), “Motakuto Nihongun to Kyoboshita Otoko (Mao Zedong: The Man Who Conspired with the Japanese Army),” “Japanese Girl at the Siege of Changchun (including Chinese versions),” “Net Taikoku Chugogu, Genron o Meguru Koubou (Net Superpower China: Battle over Speech),” “Chugoku Doman Shinjinrui: Nihon no Anime to Manga ga Chugoku o Ugokasu (The New Breed of Chinese “Dongman”: Japanese Cartoons and Comics Animate China),” “Chugogu ga Shirikonbare to Tsunagarutoki (When China Gets Connected with Silicon Valley),” and many other books.

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