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習近平の「鄧小平への復讐」――禁断の華国鋒主席生誕百年記念行事挙行
2021年3月15日
裏切りと陰謀をくり返してきた中国共産党政権(写真:新華社/アフロ)
裏切りと陰謀をくり返してきた中国共産党政権(写真:新華社/アフロ)

鄧小平により不当に失脚に追い込まれた華国鋒・元主席は名前さえ出すことが禁止されていたが、習近平はその禁を破った。自分の父・習仲勲を失脚させた犯人が鄧小平だからだ。

◆毛沢東に後事を託された華国鋒

1976年9月9日、建国の父・毛沢東が他界したが、4月30日には「あなたがやれば、私は安心だ」というメモを残して、後事を華国鋒(1921年~2008年)に託している。

このメモの信憑性を疑う論調もあるが、1972年2月21日に訪中したニクソン元大統領の通訳をした章含之氏が『分厚い大紅門を乗り越えて』(2002年)という本の中で証言しているので確かだろう。

しかし毛沢東亡き後、毛沢東夫人の江青(ジャン・チン)を中心とした文化大革命(文革)4人組が政権を奪取しようとしたので、華国鋒は間髪を入れずにクーデターを起こして武力で4人組を逮捕し、文革を終了させた(1976年10月6日)。

その結果、華国鋒は、「中共中央主席・中央軍事委員会主席・国務院総理」と、「党・軍・政」の三大権力を一身に担った。

そして第一次天安門事件(1976年4月)で周恩来の追悼デモを扇動したとして毛沢東の怒りを買い全ての職を剥奪されていた鄧小平を、なんとか政治復帰させてあげようと、華国鋒は奔走するのである。

◆恩を仇で返し、華国鋒を失脚させた鄧小平

華国鋒の必死の努力の結果、1977年7月、鄧小平は政治復帰し「中共中央副主席、中央軍事委員会副主席、国務院副総理」などの高位のポジションを華国鋒からもらい、中国人民解放軍の総参謀長の地位まで手に入れた。

こうなったら強い。

華国鋒が努力しなかったら文革も収束しなかったし、特に鄧小平はこんな高位で政治復帰など出来なかったのに、中国人民解放軍総参謀の地位を利用して、中国全土の軍区に根回しをして、華国鋒の辞任を迫った。

特に1979年2月にベトナムに戦争を仕掛けて中越戦争を起こしたのが決定打となった。

なぜなら華国鋒は中央軍事委員会主席の座にいても、実際に軍を動かす力がなかったからだ。総参謀長の座は鄧小平が握っている。外国に戦争を仕掛けたら指揮力がないことが露呈する。そこに狙いを定めて鄧小平は日本やアメリカを訪問して国際社会における自分の力をアピールしておいてから中越戦争に入った。

ほかにも様々な陰謀を企てて「中共中央主席・中央軍事委員会主席・国務院総理」と、「党・軍・政」の三大権力を一身に担っていた華国鋒に辞任を迫るのである。

その時の理由が「華国鋒が文革に戻ろうとしている」とか「華国鋒が毛沢東を崇拝している」といった、およそ理屈にならない批判だ。

文革は毛沢東が起こしたものだから、それに終止符を打つために毛沢東夫人の江青ら4人組を逮捕したのだから、これ以上の功績はない。しかし文革が10年間も続いて、当時はまだ毛主席万歳を叫ぶ人民が数多くいたので、一定程度の毛沢東に対する敬意を払わないと、こういった類の人民が黙らない。人心を落ち着かせて統治するためには最低限必要な毛沢東に対する敬意だっただろう。

しかし自分がトップに立ちたい鄧小平は強引な手法と論理で華国鋒から全ての職位を剥奪し、自分自身が中央軍事委員会主席の座に就いて、今後二度と華国鋒の名前をどこかに掲載してもならないし礼賛してもならないと指示を出すのだ。

華国鋒など存在しなかったものとして歴史から消し去った。

軍を握った鄧小平は、天安門事件など、やりたい放題の暴政を繰り広げていく。

自分の傀儡として国家のトップに据えた胡耀邦や趙紫陽なども、「気に入らない」という理由だけで失脚させていった。

◆2008年8月の華国鋒逝去が契機

しかし2008年8月20日に華国鋒が逝去すると、時の胡錦涛政権の中共中央政治局常務委員は全員が揃って葬儀に参列し、中国政府の通信社である新華社の電子版「新華網」も華国鋒を礼賛する弔辞を載せた。

それを待っていたかのように中国共産党党史研究室にいた韓鋼(かんこう)が『還原華国鋒(華国鋒の真相を掘り起こせ)』という論文を雑誌『往事』で発表した。

それでもなお、鄧小平を否定することに微妙な躊躇が見られた。

◆習近平の父・習仲勲を失脚させた犯人は鄧小平

なぜなら、1962年に小説『劉志丹』を口実に、習近平の父・習仲勲を失脚させた犯人が鄧小平だからだ。

一般的には(と言うよりも、鄧小平の捏造により)、習仲勲が失脚したのは、当時雲南省の書記をしていた閻紅彦(えん・こうげん)が康生に「この小説は反党小説だ」と訴えて、習仲勲は失脚したことになっている。康生は「中国のベリヤ(旧ソ連のスターリン時代における死刑執行人)」と呼ばれる人物で、延安時代に毛沢東に江青を紹介したことによって毛沢東の覚えめでたくなり重宝がられた。

しかし実際は水面下で動いていたのは鄧小平で、閻紅彦は1940年代における解放戦争(国共内戦)時代の鄧小平の直接の部下だった。閻紅彦は鄧小平の言うことなら何でも従った。

また鄧小平と康生は非常に仲が良かったと、のちに康生の秘書が語っており、このとき鄧小平の方が康生よりも職位がずっと上だったので、康生は鄧小平の言うことなら何でも聞いた。

事実、当時、国務院副総理だった習仲勲から全ての職位を剥奪することが決議された会議の夜、閻紅彦は鄧小平の家に行って祝杯を挙げている。だから犯人が鄧小平であったことはまちがいない。

華国鋒や習仲勲の失脚を含め、鄧小平が行ってきたあらゆる陰謀に関しては拙著『習近平  父を破滅させた鄧小平への復讐』で詳述した。

◆華国鋒生誕百周年記念座談会

今年2月20日、北京の人民大会堂で華国鋒生誕百周年記念座談会が開催された。中共中央政治局常務委員会の内の中央書記処書記・王滬寧や国務院副総理・韓正などが出席した。座談会における華国鋒を礼賛するスピーチの内容も大胆に踏み込んだものだ。

この模様は中国で大きく報道され、たとえば中国共産党新聞網中央テレビ局CCTVの文字版あるいは中国共産党機関紙「人民日報」の動画サイトなど数多くのサイトで、今も確認することができる。これ等の報道から、鄧小平の禁を破って、遂に堂々と華国鋒を肯定する段階に入ったことが見て取れる。   

◆習近平は、父・習仲勲を破滅させた鄧小平に復讐している

1962年に失脚させられて以来、習仲勲は16年間も牢獄生活や軟禁状態を耐えてきた。写真にあるように罪人として市中引き回しの目に遭い、批判大会で罵倒や暴力も受けてきた。

罪人として市中引き回しされる習近平の父・習仲勲

罪人として市中引き回しされる習近平の父・習仲勲

1978年2月にようやく政治復帰して広東省で深センなどの「経済特区」を建設し、華国鋒とともに「対外開放」に命を注いだ。鄧小平は華国鋒が実施した「対外開放」を「改革開放」と言い換えただけで、改革開放の先駆けは華国鋒が実行し、広東省の経済特区は習仲勲が汗と泥にまみれながら創っていったものだ。

だから習近平は2012年に中共中央総書記になると、まず最初に深センの視察に行った。それくらい習仲勲の功績にはこだわっている。

しかし、ストレートに習仲勲を讃えるわけにはいかないし、鄧小平が自ら「鄧小平神話」を創り上げて、それが通念となってしまっている以上、鄧小平を正面から否定することもできないにちがいない。それがこのような華国鋒礼賛へとつながっていることは間違いないと見ていい。華国鋒は習仲勲の非常に良い仕事仲間で二人は仲も良かったのだから、なおさらだろう。

2月20日に挙行された華国鋒生誕百周年記念座談会を、なぜ今ごろになって取り上げるかというと、実は3月14日付けの【中国ウォッチ】故華国鋒主席を利用、習氏への忠誠要求 生誕100年座談会の党指導者演説という記事を発見したからだ。

実は私自身は2月21日に座談会が挙行されたことを知ったのだが、そのときは、まさに『習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』のゲラ修正に没頭している最中で、字数を削るのに必死だった。そんなわけで拙著に盛り込むことができなかったのを悔やんでいたところに、この記事を発見したのである。

記事をお書きになった時事通信社解説委員の西村哲也氏はよく勉強しておられて中国問題に造詣も深く、筆も抑制的で尊敬に値する。ただ惜しいことに、習近平の父・習仲勲を失脚に追いやったのが鄧小平であったことはご存知ないのではないかと推測される。

この事実を踏まえた上で、論理を展開して下さることを楽しみにしている。

(本論はYahooニュース個人からの転載である)

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。「中国問題グローバル研究所」所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授、北京大学アジア・アフリカ研究所特約研究員、上海交通大学客員教授などを歴任。著書に『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤 誉 (著), 白井 一成 (著), 中国問題グローバル研究所 (編集)、実業之日本社)、『激突!遠藤vs田原 日中と習近平国賓』(遠藤誉・田原総一朗 1月末出版、実業之日本社)、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』(毎日新聞出版)、『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』(中文版・韓国語版もあり)、『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』、『卡子(チャーズ) 中国建国の残火』(中文版・英文版もあり)、『チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男』、『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。 // Born in 1941 in China. After surviving the Chinese Revolutionary War, she moved to Japan in 1953. Director of Chinese Issue Global Research Institute, Professor Emeritus, Doctor of Science at the University of Tsukuba. Member of the Japan Writers Association. She successively fulfilled the posts of guest researcher and professor at the Chinese Academy of Social Sciences. Her publications include “Inside US-China Trade War” (Mainichi Shimbun Publishing), “’Chugoku Seizo 2025’ no Shogeki, Shukinpei ha Ima Nani o Mokurondeirunoka (Impact of “Made in China 2025” What is Xi Jinping aiming at Now?), “Motakuto Nihongun to Kyoboshita Otoko (Mao Zedong: The Man Who Conspired with the Japanese Army),” “Chazu Chugoku Kenkoku no Zanka (Japanese Girl at the Siege of Changchun) (including Chinese and English versions),” “Net Taikoku Chugogu, Genron o Meguru Koubou (Net Superpower China: Battle over Speech),” “Chaina jajji — Motakuto ni narenakatta otoko (China Judge: The Man Who Couldn’t Become Mao Zedong),” “Chugoku Doman Shinjinrui: Nihon no Anime to Manga ga Chugoku o Ugokasu (The New Breed of Chinese “Dongman”: Japanese Cartoons and Comics Animate China),” “Chugogu ga Shirikonbare to Tsunagarutoki (When China Gets Connected with Silicon Valley),” and many other books.