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新型コロナ時代に死にゆく香港
香港の抗議デモ(提供:ロイター/アフロ)
香港の抗議デモ(提供:ロイター/アフロ)

先週、中国で年1回の形ばかりの議会である全国人民代表大会(全人代)が開催された。予定より2カ月遅れ、通常の2週間から1週間短縮されて、厳戒下の北京で開催されたが、世界の視線が注がれたのは、むしろ香港であった。全人代が始まると、香港を対象とした国家安全法を可決することが発表された。この法律は、分離独立、政権転覆、テロ、外国勢力との共謀という4つの行為や活動を禁止するものである。

全人代は決議を採択したが、同法の具体的な内容や実際の運用についてはまったく不透明だ。しかし、懸念すべき理由は数多くあり、おそらく全人代で最も憂慮されたのは、第4条の次のような条文である。

「香港特別行政区は、国家安全保障を確保するための制度と執行メカニズムを制定および改善しなければならない。必要な場合には、関係する中央人民政府の国家安全保障機関が、法に従って国家安全保障を確保するための関連任務を遂行するため、香港特別行政区内に機関を設置する。」

この条文は、どのような枠組みとなるかは未確認の部分があるものの、中華人民共和国の安全保障機関が香港で香港警察処と協力して国家安全法を直接施行すると解され、香港政府もすでにそう認めている。ロンドン警視庁公安課をモデルとし現在解散している香港警察政治部が再編成されるかもしれないとの意見もある。もっとも、中国の人権侵害と自国憲法無視の歴史を考えると、ゲシュタポの方が比較対象として適切かもしれない。

この措置により、中国政府は香港に対して堪忍袋の緒が切れ、もはや一国二制度の枠組みを遵守する気すらなく、香港の立法機関を事実上無視して法律を直接制定することが確実となった。基本法第23条は、安全保障上の懸念に対処するために香港は独自の法律を制定する、と規定している。2003年にそれが試みられた際は、50万人以上の住民による初の大規模デモにつながり、法案は棚上げされた。

それから16年経った昨年のこと。中国政府は、昨年行われた大規模な抗議行動と、香港当局が過去最悪の暴力的な抗議行動を抑制できなかったことに激怒した。しかし何よりも、11月の区議会選挙で、抗議行動を行っていた民主派の候補者が区議会数と議席数で圧勝したことが、中国政府の指導者たちを完全に驚かせた。中国政府は、選挙結果を事前に知っている限り、選挙に反対しない。今回は地元の草莽の民が完全に彼らを打ちのめしたのである。

今年に入って中国でウイルスが蔓延するさなか、事実上の在香港中国大使館である中央政府駐香港連絡弁公室(CLO)と国務院香港マカオ事務弁公室のトップが、香港ともその政財界エリートとも無縁の習氏支持者に交代した。習氏はより強硬な路線を示唆していたが、それが現実となった。

つい先月、香港政府は、CLOが香港の問題に介入する権限に関するコメントを大急ぎで発表した。返還以降、中国の政府機関は香港問題に関与しないことが法的に義務付けられていた。CLOは声明で、彼らがそのような制限に拘束されておらず、拘束されたこともないと主張したのである。

同じく4月には、81歳になった民主派のベテラン李柱銘氏を含む15人の主な民主派指導者が、違法な集会を組織し出席したとして逮捕された。昨年の抗議デモは、保守派の民主化活動家の仕業ではなかった。むしろ新世代の香港人が行ったことだったが、このリストは中国政府にとっては始まりにすぎない。

しかし、これらの動きは、先週の全人代の決議へのウォームアップでしかなかった。全人代の動きは、一国二制度の原則の正当性に致命的な打撃を与えると見られている。それが発表されるとすぐに、指導者や親中国派の実業家たちが放送やメディアに登場し、恐れることは何もないと香港市民を安心させようとした。まず中国外相の王毅氏が全人代でショーを始め、林鄭月娥氏をはじめとする多数の香港当局者がこれに続いた。全員が新法案に対する不安を鎮めようと同じメッセージを繰り返したが、彼らを信じる理由はほとんどない。香港の著名な実業家アラン・ジーマン氏はブルームバーグTVに出演し、政府を信頼するよう住民に訴えかけた。同氏は、習近平政権下での中国の人権侵害に関する質問をさりげなく無視し、インタビュアーの明らかな嫌悪感をあおった。

人気の低い前香港行政長官の梁振英氏は、6月4日の毎年恒例の追悼式典が新法のもとで恒久的に中止されることを否定できなかったが、詰め寄られると、国民を不安にさせる恐れがあるため核心に踏み込みたくないと述べた。

正確な詳細はまだ定かではないが、分かっているのは、中国本土内のこれらの「犯罪」に対する中国政府の姿勢である。中国共産党が広く使用している「政権転覆」という用語は、市民と駐在者とを問わず香港のすべての人にとって懸念材料となるはずだ。中国本土では、弁護士、芸術家、学者、作家が、党に反対し、自国の憲法に従うよう党指導部に求めただけで弾圧されている。

中国政府の支持者は、この法案の対象となるのはごく少数にすぎないと述べている。彼らは明らかに個人を念頭に置いており、おそらく逮捕された15人の民主派はその第1弾だろう。そしてもちろん、黄之鋒氏や香港民族党の創設者である陳浩天氏のような若い世代の活動家がそれに続くだろう。他に何人が同じ目に遭うだろうか。

反政府デモでは、旧植民地旗や米国の国旗が振られたり、香港の独立を求める横断幕が掲げられたりする光景がよく見られた。今年からは、このような行為は刑務所行きなのだろうか。中国共産党を批判する記事を書くのはどうだろうか。香港が中国に返還されるのではなく英国から独立を許可されたというフィクション作品を書いたとしたら。インターネットにあふれる反共産党や親香港の画像は違法になるのだろうか。

このような画像は、新法が成立すると香港の政権転覆とみなされるのだろうか。あなたの携帯電話やパソコンに保存されていたら、あなたは分離主義者とみなされるのだろうか。

中国政府と香港政府は、昨年の抗議行動後の香港を落ち着かせるためにこの新しい国家安全法が必要だと主張している。6カ月間にわたりほぼ毎週、時には毎日行われた抗議行動が香港に打撃を与えたのは疑いないが、昨年見られた暴力、放火、破壊行為、違法集会のいずれも、香港の現行法の下ではすでに対処できなくなっている。香港の抗議運動は多くの過ちを犯したが、昨年の混乱は大まかに4つの原因で説明できる。第1に、香港政府が(広い意味での)抗議運動の現実の懸念と不安に対応できなかったこと。第2に、暴力的になることもあった強引な警察活動。第3に、警察の戦術・戦略の失敗で小さな事件が重大事件に発展するのを阻止できなかったこと。第4に、警察の残忍さが抗議を呼び、抗議が警察の残忍さを呼ぶというサイクルを引き起こしたこと、である。新法はこれらの問題のいずれにも対処しない。その代わり、香港市民が考えること、読むもの、書くもの、信じることを厳しく取り締まろうとしている。

今回の立法の重要性は9月の立法会選挙と関係がありそうだ。民主派陣営は、この選挙への有権者登録を促すべく連携して取り組んでおり、昨年11月の区議会選挙の成功を再現したいと考えている。これが中国政府を憂慮させ、その前にこの法律を成立させることで、中国政府が認めたくない候補者を失格させやすくしようとしている可能性が非常に高い。現在、立法会は、中国国歌への侮辱を犯罪とする中国の国法である国歌条例草案を審議している。これまで民主派の議員たちによって阻止されてきたが、政府寄りの陣営は文字通り、議事進行の主導権を強引に奪い返しており、自分たちの前に提示された国家安全法はどのようなものでも通過させるだろう。

中国がこの道を突き進むことを阻止する力を自由世界がほとんど失っているというのが、現状の厳しい現実である。中国は基本的に、全人代を通じて、また香港政府の支援を得て、この法律を導入することができる。基本法に完全に沿っているかは疑問だが、それを止める仕組みがそもそも無いのである。

しかし、この決定はさまざまな結果を招いている。昨年の抗議行動の際、米国議会は、香港が中国から明確な自立性を保っていることを年1回認定するよう国務省に義務付ける香港人権・民主主義法を可決した。全人代が国家安全法を可決したことを受けて、ポンペオ国務長官は香港の自立性の認定を拒否したが、これは恐らく大統領からの具体的な制裁につながるだろう。米国と中国の関係はすでに険悪になっているが、この1週間の出来事は両国間の距離をさらに広げることになった。

カナダ、英国、オーストラリアは、全人代の決定に対する深い懸念を表す共同声明を米国と共に発表した。事態の変化に対して、より協調的で建設的な対応が始まることを期待してのものである。香港の最後の植民地総督であるパッテン卿は、600人以上の議員団を率いて中国政府の行動を非難した。中国政府はこのような措置をとることで、国連に登録されている中英連合声明で暗示されている一国二制度の枠組みを大きく弱体化させたという点で、全員の意見が一致している。返還前、中国政府は連合声明を受け入れるよう加盟国に働きかけ、香港の自立性を最低50年間維持するという重要な公約を掲げたのである。

英国は、旧宗主国として、また連合声明の当事国として、特別な役割を担っている。返還時、英国は香港の一部住民に対し、英国海外市民(BNO)パスポートを発行している。これは完全な英国民の地位には及ばず、英国に居住する権利はない。驚くべきことに、英国政府はこれらのパスポートの訪問権を拡大し、市民権を取得しやすくしようとしている。

台湾は、香港からの出国を希望する香港居住者を支援すると発表した。他の国々が台湾に続けば重要な一歩となるが、香港からの移民を促進しても、香港の独特の地位を維持することはできない。

おそらく、中国本土とは異なる条件で貿易できるという香港の特別地位を標的にして中国を激しく攻撃したい誘惑に駆られる指導者がいるだろう。中国は香港がもたらす優位性を失うだろうが、香港住民は中国政府が下す罰よりも大きな不利益を被ることになる。簡単な方法や苦痛のない方法はない。中国政府は、この特別な貿易上の地位を危険にさらすことを厭わない態度を示しており、中国政府の言う「秩序」を香港にもたらすために、さらなる暴力や流血を受け入れる用意があることを示唆している。抗議運動が長い間主張してきたように、中国政府にとって「一国」は「二制度」よりもはるかに重要なのである。

世界が新型コロナウイルスのパンデミックで動揺する中、習近平氏は香港だけでなく、南シナ海でのさらなる攻勢、インドへの軍事侵攻、貿易相手国への圧迫などをさらに推し進めることを決定した。ウイルスによって世界があまりにも大きな混乱と恐怖に陥り、自分の野望に逆らえなくなることを、同氏は願っているに違いない。彼が間違っているということを示すことが世界のためになるのである。

2003年、香港ではSARSが猛威を振るい、1,755人が感染し299人が死亡したが、50万人の抗議行動が国家安全法の可決を阻止することができた。それから17年後、シナリオは逆転した。香港は新型コロナウイルス対応のモデルケースとみなされ、これまでの感染者は1,100人に満たず、死者もわずか4人だが、昨年100万人以上が中国政府の侵略に対して平和的に抗議したにもかかわらず、新しい国家安全法を退けることはできていない。

香港住民はウイルスの最悪の事態を免れたかもしれないが、新型コロナウイルス時代の犠牲者となった。習近平氏は、このウイルスがあろうと無かろうと行動したに違いなく、立法会選挙での敗北があまりにも心配だったのかもしれないが、同氏が連合声明の公約を拒否したことに対しては、自由世界の協調的な対応が求められる。香港の人々には約束どおり自治を享受する資格があるのだ。

フレイザー・ハウイー(Howie, Fraser)|アナリスト。ケンブリッジ大学で物理を専攻し、北京語言文化大学で中国語を学んだのち、20年以上にわたりアジア株を中心に取引と分析、執筆活動を行う。この間、香港、北京、シンガポールでベアリングス銀行、バンカース・トラスト、モルガン・スタンレー、中国国際金融(CICC)に勤務。2003年から2012年まではフランス系証券会社のCLSAアジア・パシフィック・マーケッツ(シンガポール)で上場派生商品と疑似ストックオプション担当の代表取締役を務めた。「エコノミスト」誌2011年ブック・オブ・ザ・イヤーを受賞し、ブルームバーグのビジネス書トップ10に選ばれた“Red Capitalism : The Fragile Financial Foundations of China's Extraordinary Rise”(赤い資本主義:中国の並外れた成長と脆弱な金融基盤)をはじめ、3冊の共著書がある。「ウォール・ストリート・ジャーナル」、「フォーリン・ポリシー」、「チャイナ・エコノミック・クォータリー」、「日経アジアレビュー」に定期的に寄稿するほか、CNBC、ブルームバーグ、BBCにコメンテーターとして頻繫に登場している。 // Fraser Howie is co-author of three books on the Chinese financial system, Red Capitalism: The Fragile Financial Foundations of China’s Extraordinary Rise (named a Book of the Year 2011 by The Economist magazine and one of the top ten business books of the year by Bloomberg), Privatizing China: Inside China’s Stock Markets and “To Get Rich is Glorious” China’s Stock Market in the ‘80s and ‘90s. He studied Natural Sciences (Physics) at Cambridge University and Chinese at Beijing Language and Culture University and for over twenty years has been trading, analyzing and writing about Asian stock markets. During that time he has worked in Hong Kong Beijing and Singapore. He has worked for Baring Securities, Bankers Trust, Morgan Stanley, CICC and from 2003 to 2012 he worked at CLSA as a Managing Director in the Listed Derivatives and Synthetic Equity department. His work has been published in the Wall Street Journal, Foreign Policy, China Economic Quarterly and the Nikkei Asian Review, and is a regular commentator on CNBC, Bloomberg and the BBC.