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基本操作
貿易協定の段階的進展
中国副総理劉鶴が米通商代表ライトハイザーと握手
中国副総理劉鶴が米通商代表ライトハイザーと握手(提供:AP/アフロ)

貿易戦争は、貿易、経済、そして評論家(!)にまで損害を与えている。状況はローラーコースターのようにめまぐるしく変化してきた。関税の設定、発動の延期、関税の引き上げ、行き詰まり状態の打開、それから沈黙が続いた後、大きな取り決めが交わされた。それ以降、動きは見られない。

先週の発表は、おそらくこれまでで最も前向きに合意の可能性について言及したものであったと言えるだろう。しかし、今週月曜日の朝にWall Street JournalやFinancial Timesのホームページを見ても、打開についてはほとんど触れられていない。昨今ニュースの寿命が短くなったとはいえ、このことは、先週の大胆な発言が何か有意義なものに結実するかどうかについて深い疑念が残っていることを示している。

中国側の通商交渉団代表で、さらに重要なことには、習近平主席の右腕でもある劉鶴副首相が、過日ワシントンを訪問した後、トランプ大統領は第1段階の合意について「具体的な進展」があったとして、2,500億ドル相当の中国製品に対する関税引き上げの発動延期を発表した。数日間中国側からの動きはなかったが、その後、劉副首相は「実質的な進展を得て、段階的合意のための重要な基礎を固めた」との見方を示した。その劉副首相が、米国訪問後、中国東部で開催された仮想現実(VR)関連会議へ出席したことは、奇妙で皮肉な巡り合わせだ。トランプ大統領の仮想に満ちた発言から現実的な内容を汲み取るのは時に困難であるといえるからだ。

第1段階の合意に漕ぎ着けたことから、観測筋は第2段階の合意のみならず、おそらく第3段階の合意も期待しているだろう。トランプ大統領は、まず部分的合意を実現することに前向きな姿勢を何度かほのめかしてきたが、その後、方針を転換している。今回の最新発表は、少なくとも交渉が正しい軌道に戻った証拠であると受け止められてはいるが、その詳細は完全に抜け落ちている。いつものように、中国側は農産物の購入を訴えているが、より広範囲にわたる両国関係のリバランスにおいて、それはほぼ枝葉の問題にすぎない。また、中国は今後深刻な食糧問題に直面するとみられている。国民と家畜を養うために大豆の輸入に依存している上、国内の養豚業に壊滅的な打撃を与えているアフリカ豚コレラへの対応にも追われている。頭数を確定するのは難しいが、豚の国内飼育数は40%以上減少しており、今後も打撃が続くとみられている。中国が食料の購入に積極的なのは、米国への譲歩ではなく、自国側の大きなニーズを反映したものであるといえる。

今回改めて掲げた信頼と友好の精神の下、現在両国の実務者は、11月中旬にチリで開催されるAPEC首脳会議で両首脳が署名できるよう、第1段階の合意文書の策定に取り組んでいる。合意文書に盛り込まれる内容として、勿論、いつもの農産物に加えて、人民元の大幅切り下げがなされないよう確保するための為替協定と、おそらく何らかの執行メカニズムも協議されているだろう。しかし、それらをここで1行にまとめて書き出したところで、それは憶測と希望にすぎない。実際の文言と詳細が固まって初めて、どのような点が合意されたのかが判明するだろう。評論家は、有意義な合意といっても玉虫色の合意であることに変わりはない、と述べている。部分的合意すなわち第1段階の合意が、米国製品の買増しや市場開放に関する中国の遠大な約束で一杯になるのは、ほぼ間違いないだろうが、中国が米国当局による監督・法的措置による束縛に進んで身を委ねる可能性は低いだろう。それは、中国共産党が建国100周年を見据えて、今後数十年にわたって進むべき道として明示してきた事柄に、あまりにも反しているからだ。

合意をより必要としているのはどちらか。トランプ大統領か、あるいは中国側か。勿論トランプ大統領は選挙活動において中国への強硬姿勢を示し、柔らかな物腰でスタートした後は、歴代大統領とは違って、強硬姿勢を求める声に十二分に応えてきた。トランプ政権がますます支離滅裂で混沌とした様子になるにつれて、中国との戦いに「勝利する」必要性が明白になってきている。大統領選が一段と近付けば、中国に対する強硬姿勢が成果をあげていることを示すのは確かに良策となるだろう。大幅減税以外、トランプ大統領の1期目の成果としてアピールできる点がほとんどないためである。シリア情勢やウクライナ疑惑を巡る最近の大統領の言動によってトランプ政権の能力全般に対する懸念が広がっている。大統領弾劾は現実的なリスクであるため、中国との合意が、少なくとも短期的には、トランプ大統領に対する共和党内の支持を補強することは間違いない。トランプ大統領と共和党は来年の大統領選について心配しているが、中国の問題はそれよりもはるかに長期にわたる構造的問題である。

トランプ大統領が再選を果たすか否かは、もはや中国とは無関係になっている。これまでトランプ大統領は、中国の貿易政策、市場へのアクセス、知的財産権の侵害、地政学的弱者への威圧に関する長期的な問題を指摘してきたが、それらはまだ解消されていない。こうした問題は野党民主党の有力な大統領候補にとっても大きな課題になっており、米国以外の中国の貿易相手国もそれらの問題をよく理解し悲嘆している。貿易戦争によって不公正な慣行について公に中国を非難することが可能になり、中国との相互関係についてはより強硬な路線が提唱されるようになった。企業が中国を無視することはないだろうが、どの企業も対中戦略と目標の見直しを進めている。サムスンも、上位機種のスマートフォンの生産をすべて中国から移管したと発表したところである。中国市場での同社のシェアが急落しているため、もはや現地事業が成り立たなくなっている点を忘れてはならないとはいえ、経済制裁の対象になるおそれがある中で、中国で生産を続ける理由はないだろう。米プロバスケットボール協会(NBA)への圧力や香港のデモを巡る論争は、製造業以外の企業であっても中国と付き合っていくのは容易ではないことを如実に示している。中国が受け入れ、部分的に支配するようになった、安全で友好的で予測可能な世界は、消え失せた。貿易戦争に発展した結果、中国と付き合っていく代償はかなり高く一層複雑なものになっている。中国との付き合いのあらゆる側面で摩擦が徐々に拡大しており、中国に関するそうした厄介な傾向は、中国と折り合うことを再び容認できるような合意が結ばれて初めて、歯止めがかかり軽減されるだろう。長年にわたって債務を原資に経済成長を続けてきたものの、今や長期的な成長減速に悩まされている中国にとっても、こうした外部からの支援は害にならないだろう。トランプ大統領は、中国の経済成長が減速したのはもっぱら貿易戦争が原因だと考えたいのかもしれない。たしかに貿易戦争の勃発は中国にとって全くの災難だったとはいえるが、中国の成長減速は当時既に始まっていた。

ただし、ほぼ当然のことながら、第1段階の合意では容易な事柄しか規定できない。農産物とエネルギー関連が盛り込まれるのは明白だが、それらに付随して他の細々した事柄と一緒に関税の引き下げや段階的廃止が規定される可能性も十分にあるだろう。だが、第2段階や第3段階の合意ではどうなるのか。貿易は、米中関係を構成する要素の中で最も単純な問題だ。他方、知的財産権の侵害と保護および資本の流れに関する問題については、貿易問題よりもはるかに多くの見解がみられる。中国は、特にほぼすべてのハイテク分野で壮大な野心を抱いている。人工知能(AI)、兵器、量子通信、CRISPR、ゲノム編集のいずれからにせよ、中国は、あらゆる分野で世界のリーダーに躍り出て支配的なプレーヤーになることを目指している。中国はこれらすべての分野に多額の投資を行ってきたが、これまでの研究の多くは米国のもつ半導体に関する知見に基づいたものだった。中国はそうした依存度の引き下げを急ピッチで進めており、もはや「中国制造2025」計画にはほとんど言及していないとはいえ、こうした野心をあきらめたわけではない。中国がそれらの野心を抑えることはないだろう。最新ハイテク分野のリーダーになりたがらない国など、あるだろうか。中国をそのような野心から引き離すために、米国はどのような誘いを提供できるのだろうか。

中国が今後自らの野心を進んで制限すると期待できる理由は乏しい反面、中国が野心を実現できないと考えられる理由は複数存在する。しかし、それは貿易戦争やそれよりも広範囲にわたる中国との紛争に関する議論とは別物である。米国にとっても、他の中国の貿易相手国にとっても、まず中国が自国のために何を望んでいるのかを理解することが重要だ。中国自身も、望みを明らかにしている。中国指導部は自国の計画や目標の中身を繰り返し詳述しているが、多くの場合、仰々しく難解な読み物になりがちな党の文書においてである。次に、中国がどのように目標を達成しようとしているかを理解することも重要だ。その達成過程が、オープンで自由市場型の経済圏と同じように進むことは全くない。中国では、助成金や政府支援を受けている国営企業と民間企業、あからさまな技術の盗用と真に革新的なアイデアが、幅広く混在している。中国が貧しく発展途上国だった時には、そうした混在が容認されていたが、世界第2位の経済大国となった今では、もはや認められない。他国は、こうした前提のもとで中国と付き合っていく必要があるだろう。

習近平主席は従来の型から脱却しようとしないばかりか、国と民間企業に対する党の監督を一層強化している。「国有企業(State Owned Enterprises)」としてのSOEを懸念している外国勢もいるが、名目上の民間含めて、すべての企業が「国に監視されている企業(State Overseen Companies)」になっているのが今日の中国の実態だ。第2段階や第3段階の米中合意は、こうした状況にどのように対処するのか。率直に言って、対処することは不可能だろう。古い貿易モデルは破綻しているようだ。中国がWTOに加盟しても、中国以外で期待されていたように中国を変えることはなく、多くの中国国民も失望している模様だ。中国が変わらず、将来変わる兆候も乏しいのであれば、中国への対応を変える必要がある。それは、中国を敵視することではない。目を閉じて、中国を無視できると何とかして思い込むことでもない。地球温暖化問題についてであれ、軍縮問題についてであれ、協力が必要な共通の懸念分野は複数存在するが、中国は他国とは異なるルールに従って行動したがるという、基本認識を持つ必要がある。

トランプ大統領と民主党の大統領候補が直面している問題は、貿易協定の条件ではなく、はるかに広い範囲にわたる米国の対中政策である。それには、世界の同盟国との協調が必要になるだろう。時には企業の利益を支援するための政府の口添えも必要となるため、政府と企業双方で多くの人々が不安を感じている。しかし、中国に叩頭せざるを得なかったNBAや他の企業の例において、何故政府は、言論の自由や人権といった基本的な分野で、こうした企業を支援しなかったのだろうか。中国は企業を狙い撃ちにして、原則よりも利益を優先するよう強いることに長けている。そのような状況に追い込まれるのは恐ろしいことだが、それでも利益が優先されるのは、中国の検閲は当該企業がわずかでも関与する物は好ましくないと決めつけるため、暮らしが危機に瀕しかねない個人が勤勉に励んだ結果といえる。

米国の対中政策は、貿易や市場へのアクセス、執行メカニズムを定める一連の規則の合意にとどまらない。対中政策で必要とされるのはバランスと判断であり、各分野で中国の協力や中国国民との関わりについて包括的に拒否権を発動することではない。中国政府は中国人留学生や研究者を使って技術を盗んできたが、すべての留学生や研究者が中国のスパイだと考えるのは国家の恥だ。優秀な中国人の多くは、共産党の影響力が及ばない自由と環境を見出したが故に、中国外での生活を選んだのだ。彼らがその自由を十分に謳歌できるよう確保することは極めて重要である。

的確な対中政策の設定は困難だ。それは、多くの国が今後数年にわたって取り組む必要があるテーマである。中国は無視できると何とかして期待するのは愚かであり、中国共産党は自国発展のための独自の計画を立てている。だが、その多くは他国においてこれまで育まれてきたものに反する。中国との関わりは両国に利益をもたらすが、関わりといっても通常のビジネスを意味するものではない。中国が世界基準と完全に対立している分野は多々あるが、そのような場合には中国に反論すること、そしてオープンで誠実な対話をもち、問題点を無視したり、いつも利益の二の次にしたりしないことが重要である。

第1段階の合意は、皆が満足するような形に仕上げるだけでも難儀だろうが、より広い範囲にわたる対中政策はまだ決着から程遠いところにある。中国の次の出方と世界の動向は幾つかの大きな課題を提示しているものの、これまでのアプローチでは、今後のバランスを見直すための指針として不十分だろう。

フレイザー・ハウイー(Howie, Fraser)|アナリスト。ケンブリッジ大学で物理を専攻し、北京語言文化大学で中国語を学んだのち、20年以上にわたりアジア株を中心に取引と分析、執筆活動を行う。この間、香港、北京、シンガポールでベアリングス銀行、バンカース・トラスト、モルガン・スタンレー、中国国際金融(CICC)に勤務。2003年から2012年まではフランス系証券会社のCLSAアジア・パシフィック・マーケッツ(シンガポール)で上場派生商品と疑似ストックオプション担当の代表取締役を務めた。「エコノミスト」誌2011年ブック・オブ・ザ・イヤーを受賞し、ブルームバーグのビジネス書トップ10に選ばれた“Red Capitalism : The Fragile Financial Foundations of China's Extraordinary Rise”(赤い資本主義:中国の並外れた成長と脆弱な金融基盤)をはじめ、3冊の共著書がある。「ウォール・ストリート・ジャーナル」、「フォーリン・ポリシー」、「チャイナ・エコノミック・クォータリー」、「日経アジアレビュー」に定期的に寄稿するほか、CNBC、ブルームバーグ、BBCにコメンテーターとして頻繫に登場している。 // Fraser Howie is co-author of three books on the Chinese financial system, Red Capitalism: The Fragile Financial Foundations of China’s Extraordinary Rise (named a Book of the Year 2011 by The Economist magazine and one of the top ten business books of the year by Bloomberg), Privatizing China: Inside China’s Stock Markets and “To Get Rich is Glorious” China’s Stock Market in the ‘80s and ‘90s. He studied Natural Sciences (Physics) at Cambridge University and Chinese at Beijing Language and Culture University and for over twenty years has been trading, analyzing and writing about Asian stock markets. During that time he has worked in Hong Kong Beijing and Singapore. He has worked for Baring Securities, Bankers Trust, Morgan Stanley, CICC and from 2003 to 2012 he worked at CLSA as a Managing Director in the Listed Derivatives and Synthetic Equity department. His work has been published in the Wall Street Journal, Foreign Policy, China Economic Quarterly and the Nikkei Asian Review, and is a regular commentator on CNBC, Bloomberg and the BBC.