
※この論考は10月4日の< Strategic Silence: The Messages and Implications of China’s National Day Speech Avoiding the Theme of “Unification with Taiwan”>の翻訳です。
習近平国家主席による2025年中国国慶節での演説は、単なる祝賀式典や過去の回想ではなく、むしろ新たな政治的ナラティブを示すものだった。習氏はそのトーンや重点テーマの選択を通じて、現体制下での国内統治の論理と外交政策の方針を同時に示した。新たな主要政策が正式に発表されることはなかったが、演説の構成から、今後数年間の主な優先事項が明らかになった。それは、科学、技術、「自主創新」(自主イノベーション)、国防近代化への投資拡大のほか、地方政府や草の根組織に対する監督強化、宣伝と思想工作の推進、そして歴史的ナラティブに裏打ちされた強硬な対外姿勢だ。
歴史的ナラティブ:正当性と国民感情の再構築
習氏の演説における第一の主要テーマは、歴史を振り返ることで政治的正当性を強調することである。1949年以降の中華人民共和国による功績を取り上げ、中国共産党の指導と自立の道を歩んだ成果だとした。このナラティブは、最終的に近代化を実現する上で、党が中核的役割を担っていることを改めて強調するものだ。同時に、「抗日戦争勝利80周年」の記念式典では、民族主義的感情を現在の正当性と結びつけた。「正義の戦争」という位置付けの抗日戦争は、現体制にとって便利なツールへと姿を変え、国内動員の手段と同時に対外的宣伝の道具として機能したのである。
経済と暮らし:体制の正当性を支える基盤
第二のテーマは、経済と人々の暮らしに関するものだ。世界的な不確実性と国内で高まる圧力を背景に、習氏は「質の高い発展」と「人々の生活向上」の重要性を繰り返し強調した。これは、経済減速、サプライチェーンの再編、外部からの制裁強化の中で党が社会からの支持を維持するには、「発展と安定」という二重の論理を推し進める必要があることを明確にしたものだ。中国の指導部にとって、経済と国民の暮らしは単なる政策課題ではなく、政治的正当性の基盤なのである。生活水準が目に見えて低下すれば、政権の政治的負担は著しく増大するだろう。そのため「経済の統治」が再び政治戦略の中心課題へと引き上げられた。
党の自己改革と中華民族復興の追求
第三のテーマは、「党による厳格な統治」と「中華民族の復興」の融合だ。習氏は、党が清廉さや闘争力を維持するには、絶え間ない自己改革と浄化が必要だと強調した。これには腐敗対策や規律強化を継続するだけでなく、党の継続性と国家の発展目標を結びつけるという意図がある。さらに「中華民族の偉大な復興」を前例のない取り組みと位置付け、「中国式近代化」をその道筋と定義した。習氏は党の正当性、国家の発展軌跡、民族の運命を一つのナラティブに融合させることで、歴史、経済、党という三つの枠組みに正当性を持たせたのである。つまりこの演説は、歴史的正当性を改めて主張すると同時に、未来に向けた拡張的なビジョンを示すものであった。
この三つの枠組みの中で、メディア報道では特に2つの要素が取り上げられた。抗日戦争のナラティブを政治的ツールとして展開することと、「中華民族の復興」と近代化を結びつけて長期戦略とすることだ。これに加え、習氏は繰り返し国民に「党中央の周辺でこれまで以上に団結せよ」と呼びかけ、中央集権的権威が依然として中国の政治や発展の基盤であることを強調した。
戦略的宣言と暗黙のシグナル
習氏は新たな政策を発表することは控えたが、その演説は暗に長期的な影響を伴うメッセージとなっている。それは多くの点で、公式の政策声明よりも重要であった。なぜなら、中国の指導部が自らの環境をどう定義し、将来の行動にどう備えているかを明らかにしているからだ。
第一に、中華民族の復興は依然として最大の政治目標である。習氏は引き続き「中華民族の偉大な復興」を政治課題の最上位に位置付けている。2035年の近代化に向けた青写真や2049年の建国100周年目標といった具体的な節目を強調していたこれまでとは異なり、今年の表現は意図的に範囲を広げ曖昧なものになっている。このように期間を限定しないことには2つの目的がある。それは具体的な期限が招く外部の憶測を防ぐことと、復興を短期的な課題から長期的な信念体系に転換することで永続的な動員を維持することだ。その意味では毛沢東の「継続革命」や鄧小平の「長期発展戦略」の概念と重なる部分がある。いずれも正当性を永続的な歴史過程に結びつけているからだ。
第二に、中央集権の強化である。「党中央の周辺でこれまで以上に団結せよ」という呼びかけは、口先だけのスローガンではなく現状を反映したものである。地方政府の債務増加、経済的困難、末端レベルでの政策の不均一化を受けて、中国政府は地方の逸脱行為やレントシーキングのリスクへの懸念を深めている。中央集権を強調することで、政策からの乖離に警告を発するとともに、権力集中を強める下地にもなる。この論理は、1980年代に鄧小平が繰り返し主張した「四個堅持」(四つの基本原則)に似ている。つまり、改革は柔軟であっても、政治権力は譲らないことを意味している。
第三は、歴史的ナラティブの道具化である。「抗日戦争勝利80周年」を高らかに強調し、歴史を戦略的に利用する意図が見られる。党は「戦争の正義」と「現在の正当性」を並べるというナラティブを通じて国家のたどるべき道を語っている。それにより国内的には結束を強め、対外的には外交問題で有利なレトリックを披露できる。尖閣諸島(中国名:釣魚島)から南シナ海に至るまで、中国政府は歴史的正当性を繰り返し主張して自らの立場を押し出してきた。先日の国慶節演説はこの主張をさらに強化するものであり、統治と外交の構成要素として歴史を利用している。
第四は、正当性の基盤としての経済と暮らしである。若者の失業、産業構造改革の課題、資本流出に直面し、イデオロギーで結束させるだけでは安定を維持できないことを中国政府は認識している。「人々の生活向上」と「質の高い発展」を重視する習氏の姿勢は、統治の正当性が実績に左右されるようになっていることを示している。江沢民や胡錦涛の時代とは異なり、現在「実績による正当性」を確保するには、技術的自立、サプライチェーンの安全性、社会的セーフティネットの拡大という複合的要素によって体制の脆弱性を補う必要がある。
第五は、危機意識と動員のレトリックの復活である。「希望と課題の共存」や「いついかなるときも決して手を緩めない」といった表現で締めくくられた習氏の演説は、戦時の動員を彷彿とさせる。これは、困難に満ちた前途に向け国民に心構えを促す言葉であると同時に、中国はそう簡単に引き下がらないと示す対外的な警告でもある。米中対立が激化し、南シナ海で緊張が高まる状況下で、これは強硬な対外姿勢を維持するためのさらなる動員に向けた基礎固めとなる。
「台湾統一」への言及を避けたことの意味
2025年の国慶節演説で最も特筆すべきは、語られた内容ではなく、意図的に省略された内容、つまり「台湾統一」に言及しなかったことである。このテーマがほぼ完全に抜けていたことは、2019年の「台湾同胞に告げる書」記念談話、2021年の中国共産党創立100周年記念談話、さらには2023年と2024年の国慶節演説といった過去の演説と際立って対照的だ。こうした過去の演説では、習氏は「完全な中国統一」を「中華民族の復興」と並べて位置付けることが多く、「台湾問題の解決」を歴史的使命と明言していた。しかし2023年以降、このように言及する頻度と強調度合いは着実に低下しており、近代化と復興に関する広範なナラティブの中に次第に組み込まれるようになっている。
ただし、2025年の演説で抜けていたからといって、この方針を放棄または軽視したと解釈するべきではなく、「戦略的沈黙」の一形態と考えるべきだ。景気後退、大国間の競争激化、南シナ海における緊張の高まりを背景に、中国政府はリスクの拡大や多方面に手を広げすぎることを避け、台湾問題を重視しない選択をしたように見受けられる。そうすることで、国内的には国民の関心を経済実績や統治の安定に向けることができ、対外的には政治的コミットメントに縛られることなく外交上の駆け引きの余地が広がる。
その意味で、沈黙そのものが一種の宣言と言える。台湾関連のレトリックがなかったことは、露骨な動員から、曖昧さと時間的猶予の確保へと戦略を見直したことを示している。台湾問題は依然として中華民族の復興という包括的ナラティブの中に組み込まれているが、今は差し迫った緊急課題ではなく、長期的な戦略目標として位置付けされている。実際、より長期にわたる柔軟な歴史的時間軸に置くことで、中国政府は戦略的影響力を保ちながら政策を調整できるようになった。
結論
2025年の国慶節演説は、沈黙を意図的に選択することで、それ自体が国家運営の戦略的手段になり得ることを示している。習氏が台湾統一に言及しなかったことは後退ではなく、慎重に計算された選択であり、内外の圧力が高まる中でリスクを抑え、時間的猶予を持たせ、外交上の柔軟性を維持しようとする中国政府の試みを反映している。露骨な動員からレトリックの抑制に転換することで、台湾を「中華民族の復興」という広範な枠組みの中で、長期的ながら決して諦めない目標へと効果的に設定し直した。このような形の戦略的沈黙には複数の効果がある。差し迫った対立を緩和し、経済・制度的優先事項を中心に国内統治を固め、台湾問題を長期的な時間軸に組み込みつつ中国の影響力を維持できるようになる。中国の政治談話において、語られないことは語られることと同等か、それ以上の重みを持つ場合がある。2025年の演説は、言及しないからといって問題が存在しないわけではなく、戦略の調整に過ぎないということを改めて認識するものとなった。

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