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基本操作
貿易戦争と武力による戦争
中国・EU首脳が会談(写真:新華社/アフロ)

中国の勢力圏とは?

ドナルド・トランプ氏は自らの政権がこれまでで最も優れており、発足後100日間あるいは6カ月間でほかのどの政権より多くのことを成し遂げたと主張する。彼の言っていることはある意味正しい。米連邦政府の解体とそれがもたらす影響は今後、何百万人もの米国人に多大な影響を及ぼすことになり、完全に元通りになることはないだろう。外交関係を見ても、伝統的な同盟国や正式な同盟関係に背を向けたことは、第二次世界大戦後の約80年にも及ぶ「パックスアメリカーナ」体制との決別にほかならない。何十年もかけて国内外で構築したものが、ほんの数カ月で損なわれ、もはや回復できなくなった。

トランプ氏の強い指導者好みと「アメリカ・ファースト」政策は、実質的に「力は正義なり」の考えを再び国際関係の中心に据えた。明確に示されたわけではないが(また当然トランプ氏が語ったわけでもないが)、彼は、北・中・南米、欧州、東南アジアをはじめとするアジアという勢力圏をそれぞれ監督する米国、ロシア、中国の3大国間の関係を、より対立的なそれに戻そうとしているように見受けられる。

タイ・カンボジア間で長く続く国境紛争は、タイ軍のF16戦闘機がカンボジア領内を空爆したことを受けて、ここ数日で急激にエスカレートした。数十人が命を落とし、国境両側で10万人を超える住民が避難を余儀なくされている。両国間の緊張関係は数カ月前に再燃し始めていたが、今回の軍事的エスカレーションは多くの人にとって寝耳に水の事態であった。

一般的に見て、この2カ国は中国の勢力圏に入ると言える。両国は長年にわたり中国と関係を構築してきた主要な貿易相手国であり(とはいえ、昨今中国の主要な貿易相手国でない国などないのだが)、いずれも一帯一路構想のパートナー国である。これは、中国が外交的影響力を発揮して紛争終結に導き、危機的状況を平和的に解決する絶好のチャンスではなかろうか。ところが中国メディアはそうしたことに言及せず、概ね沈黙を守ってきた。事実を報道して自制を求めるにとどまり、紛争終結に向けたドナルド・トランプ氏の尽力を報じさえした。トランプ氏は両国に即時停戦の用意があるとツイートしているが、信頼が回復し、長年続くこの問題が正式に解決するには時間がかかる。それは、トランプ氏がこの問題に進んで関与する時間を上回ることは間違いない。

トランプ氏がお得意の武器を持ち出してこの2カ国に停戦に応じるよう迫ったことは、注目に値する。両国ともすでにかなり高い関税率を提示されており、トランプ氏は、停戦に同意しなければそれを大幅に引き上げると圧力をかけたのである。トランプ氏が戦争や軍事行動を嫌悪しているのは誰もが知るところだが、グリーンランドやカナダ、パナマを併合、すなわち侵攻すると脅したのは当の本人である。彼はノーベル平和賞の受賞を狙っているが、ロシアとウクライナの間に恒久的な平和を築くことができなければ、受賞はまずあり得ない。

もちろん、習近平氏が平和賞を受賞できないことも明らかである。先月は、友好国イランが繰り返し空爆を受け、中国と緊密な関係にあるタイ・カンボジア両国軍が交戦し双方に死傷者が出るという2つの事件があったが、中国は傍観する姿勢を崩していない。パックスアメリカーナの世界が勢力圏ごとに分裂するとしても、それはまだ始まってない。少なくとも中国は足踏みしており、現状の「コンフォートゾーン」から抜け出すことに慎重な姿勢を見せている。

これは、「米国が世界のリーダーとしての役割を退けば、自動的に中国がその座に就く」という単純な話ではないことを物語っている。新たな世界秩序で、中国は米国の担った役割をまねることはないだろう。世界各地の問題や紛争に対し、積極的な交渉役や仲裁役となる可能性は極めて低い。きっと中国は、自国に直接影響を及ぼさないかぎり、行動を最小限にとどめるはずである。パックスアメリカーナ後は中国が世界の警察官になるのではなく、警察官のいない社会となるのだ。

これまでとは異なる新たな戦争

貿易戦争も、当然のことながら引き続き注目を集めている。トランプ氏は「解放の日」に発表した相互関税に3カ月の猶予を提示後、期限をさらに8月1日に延長した。ここにきて貿易協定が相次いで締結されているのは驚くことではないだろう。日本が条件に同意し、トランプ氏が自ら所有するスコットランドのゴルフ場でゴルフをしている間にEUと米国が条件で合意したが、合意する国や地域は今後さらに増えるだろう。ディール、ディール、またディール。これはトランプ氏にとって成功以外のなにものでもない。彼は約束したことを今実現しているのだ。条件や全般的な関税率は、「解放の日」に提示された当初の税率を大幅に下回る。そのため、直近のトップ記事は非常にポジティブな内容のように映るが、新たな関税率はいずれも、ドナルド・トランプ氏が大統領に返り咲く前のレベルを大きく上回っていることを忘れてはならない。

中国関連の貿易については、米中が来月スウェーデンで再び会談することになっているが、非現実的な高関税の一時停止を続けると見てまず間違いない。中国に課せられる関税率は相変わらず50%前後であり、中国側にとっては、トランプ氏の怒りの最大の矛先が自分たちであることに変わりはない。トランプ氏に外交政策というものがあるとすれば、それは米国のこれまでのコミットメントから逸脱し、中国の脅威に焦点を合わせることである。

貿易協定がトップ記事を飾るなか、忘れてはならないことが1つある。トランプ氏による世界貿易の「改革」で世界貿易のコストが上昇している。新たに合意された関税率は、「解放の日」に提示された貿易が停止するレベルの税率より低いとはいえ、史上最高水準であることに変わりはない。トランプ氏の目には、この新たな高関税時代が米国の黄金期の幕開けに映るだろうが、著名なエコノミストでそれに同意する者はほとんどいないであろう。エコノミストに限らず未来を予測することは誰にもできないが、今後数十年間の世界貿易の状況が、過去数十年間とはまったく異なるものになることは間違いない。このように長期的な動向をモデル化し理解することは難しいが、世界経済、特に米国に著しく大きな影響を及ぼすことになるのは確かだ。投資商品は「過去のリターンを将来の指針にはできない」と一般的に言われるが、これは今の世界貿易、経済関係、経済成長にも当てはまる。そのため、貿易協定をトランプ氏と結ぶだけで安心してはならない。各国は今後、米国との物事の進め方や関わり方を変える必要がある。だからといって、中国との関わりを深めることが必ずしも最善策というわけではない。

これからも続く脅威

トランプ氏は関税を、自らの意見を通し他国を脅す最も効果的な手段と位置づけている。そのため、最近発表された2国間貿易協定は、2国間の幅広い取り決め(エンゲージメント)のほんの一部にすぎない。タイ・カンボジア間の紛争で明らかになったように、トランプ氏の切り札は両国が紛争を継続する場合、関税引き上げである。このように単純で率直な手段で世界の紛争を解決できるとしたら素晴らしいが、残念ながらそんなことはあるまい。

貿易協定の関税率のほかに、トランプ氏は医薬品と鉄鋼製品を対象に分野別関税をかけることも計画している。したがって、貿易協定が相次いで締結されているからといって、これで貿易摩擦が解消され、貿易コストの上昇が抑えられると考えるべきではない。貿易戦争はこれから別のフェーズに入っていくにすぎない。トランプ氏は関税を脅しの材料にし、自らの偏見のままに他国に無理やり国内政策を変えさせようとするのではないか。果たしてそれはまったく考えられないことであろうか。スコットランド滞在中に、トランプ氏は風力タービンが自ら所有するゴルフ場の景観を損ねていると不満を漏らした。英国政府が風力発電所を増やし続けた場合、関税率引き上げで英国を脅すのではないだろうか。ばかげた考えのように聞こえるが、特に2期目のトランプ氏は、実質的に個人的なビジネス目標を実現するために大統領職に就いていると言える。その地位に敬意を払い、株式などの資産を売却して利益相反を避けた歴代の大統領とは異なり、トランプ氏はそうした対応を取らず、恥ずかしげもなく大統領権限を利用して、自らと家族のビジネス上の利益を増進している。それを考えると、トランプ氏とのディールで落ち着いていられる外国政府などないだろう。

しかし、今後は中国が米国に代わってより安定したパートナーとなるのだろうか? EUはよく考える必要がある。EUは長年、中国とのバランスの取れた関係の構築に苦慮してきた。経済的な投資と関与に注力したメルケル政権下のドイツでは、実質的に企業の幹部が外交政策のかじ取りを担っていた。このモデルは文字通り壁にぶつかり、ドイツの自動車メーカーは国内のEV競争で中国勢の後塵を拝してきた。メルケル氏はドイツの産業の動力源をロシアの炭化水素に頼る事態も招き、ウクライナ戦争で独裁国家に依存することの愚かさを嫌というほど思い知らされた。

欧州委員会のウルズラ・フォンデアライエン委員長と欧州理事会のアントニオ・コスタ議長は先週、外交関係樹立50周年を記念したEU・中国首脳会談の一環として、北京で習近平氏と会談した。フォンデアライエン氏は中国が欧州とEUにもたらす課題と直接的な脅威を非常によく理解しており、今回の首脳会談は当初の計画より規模が縮小された。だが、EUはどの程度まで中国と手を結ぶべきなのか。

習近平氏はEUと中国を「2つの大経済圏」と称した。トランプ氏をめぐるEUの不安感と欧州の根底に流れる反米感情を刺激して、中国との距離を近づけたいと考えている。フォンデアライエン氏やカヤ・カラス氏など多数派は中国の危険性を理解している。だが欧州には、米国が欧州の同盟国を事実上切り捨てたことに大きな衝撃を受け、米国との絶縁による影響を和らげようと中国に目を向ける動きもある。

今回の会談では、具体的な成果はほとんど得られなかった。レアアースや磁石の供給を確保する新たな仕組みで合意したものの、このコラムで以前に述べたように、中国から供給の確約を得たとしても、中国は経済制裁を利用し自国の政治的な意志を強要することも辞さないため、長期的な解決策とはならない。代替のサプライチェーンの構築と中国への依存の軽減以外に長期的な解決策はないのである。

一方、習氏はEUを懐柔しようとしたのかもしれないが、EUがトランプ氏との貿易協定に同意したことで、その試みは失敗に終わった。関税率の確定に加え、EUは米国産のエネルギーと兵器の購入を増やすことに同意しており、防衛面で米国に依存する状況は変わらない。トランプ氏は当然のように、NATO同盟国の防衛費増額に加え、欧州の防衛とウクライナ戦争に欧州が責任を負うことを求め、一方で米国との絆と米国への依存を維持するよう要求した。EUの取引(ディール)の詳細を見れば、将来的にEUが同意できることを米国が制限することによって、中国に制約が課されたことが分かるだろう。

約言すると、中国は、まったく安定感のないトランプ氏とは対照的に、信頼できる安定したパートナーであると自らを売り込みたいのかもしれないが、それに向けた行動をしていない。トランプ発の世界経済の大混乱は、今後長期間にわたるコスト上昇と予期せぬ事態をもたらすことになるだろうが、今のところ各国は、米国の思いどおりに関係を修正することを余儀なくされている。そしてこれは、中国にとって良い前兆ではない。

このようにあまりにも複雑かつ混沌とした地政学的環境において、勝ち組と負け組を語ることはあまりに短絡的である。だが、トランプ氏が成功を収めているとまでは言えないにしても、中国が成功していないことは誰の目にも明らかである。

フレイザー・ハウイー(Howie, Fraser)|アナリスト。ケンブリッジ大学で物理を専攻し、北京語言文化大学で中国語を学んだのち、20年以上にわたりアジア株を中心に取引と分析、執筆活動を行う。この間、香港、北京、シンガポールでベアリングス銀行、バンカース・トラスト、モルガン・スタンレー、中国国際金融(CICC)に勤務。2003年から2012年まではフランス系証券会社のCLSAアジア・パシフィック・マーケッツ(シンガポール)で上場派生商品と疑似ストックオプション担当の代表取締役を務めた。「エコノミスト」誌2011年ブック・オブ・ザ・イヤーを受賞し、ブルームバーグのビジネス書トップ10に選ばれた“Red Capitalism : The Fragile Financial Foundations of China's Extraordinary Rise”(赤い資本主義:中国の並外れた成長と脆弱な金融基盤)をはじめ、3冊の共著書がある。「ウォール・ストリート・ジャーナル」、「フォーリン・ポリシー」、「チャイナ・エコノミック・クォータリー」、「日経アジアレビュー」に定期的に寄稿するほか、CNBC、ブルームバーグ、BBCにコメンテーターとして頻繫に登場している。 // Fraser Howie is co-author of three books on the Chinese financial system, Red Capitalism: The Fragile Financial Foundations of China’s Extraordinary Rise (named a Book of the Year 2011 by The Economist magazine and one of the top ten business books of the year by Bloomberg), Privatizing China: Inside China’s Stock Markets and “To Get Rich is Glorious” China’s Stock Market in the ‘80s and ‘90s. He studied Natural Sciences (Physics) at Cambridge University and Chinese at Beijing Language and Culture University and for over twenty years has been trading, analyzing and writing about Asian stock markets. During that time he has worked in Hong Kong Beijing and Singapore. He has worked for Baring Securities, Bankers Trust, Morgan Stanley, CICC and from 2003 to 2012 he worked at CLSA as a Managing Director in the Listed Derivatives and Synthetic Equity department. His work has been published in the Wall Street Journal, Foreign Policy, China Economic Quarterly and the Nikkei Asian Review, and is a regular commentator on CNBC, Bloomberg and the BBC.