一、猿も木から落ちる:桃園病院感染事件
周知のように、台湾のコロナ対策は、世界中から注目され、高い評価と称賛を得ている。台湾政府・中央感染症指揮センター(新型コロナウイルス対策本部)の情報によると、今(2021)年2月8日現在、台湾国内の感染者数は累計928人で、そのうち9人が死亡したという。これは、世界において1億580萬人以上の感染者で、死亡者数がすでに231萬人を超えたという統計と比べると、台湾の防疫成果は驚きに値するものだと思われる。
なお、世界的に讃えられるなか、はからずも今年の1月11日、台湾政府系(行政院衛生福利部管轄)の桃園病院に集団感染が発生し蔓延する事件が起きた。この事件の関連で20人もの感染者が出たのは、台湾社会にとってショックであった。幸いなことに、発生源調査、人員隔離、消毒などの、台湾政府による迅速な対応のもとで、感染拡大が抑えられた。早くも2月7日に、桃園病院危機解除が宣言された。[1]
二、台湾経済がコロナの影響を受けずに発展する
コロナ感染が世界的に広がっているなか、防疫工作の成功により、台湾の国内経済は、あまり衝撃を受けずに済んだ。衝撃どころか、2020年の経済成長率が2.98%となり、中国の2.3%を上回った。台湾の経済成長が中国のそれを追い越したのは、30年ぶりである。
株式市場においては、今年に入ってから株価指数がほとんど15000ポイント台の高水準に上っており、一時期16000ポイントさえ超えていた。台湾株式市場の時価総額は、GDPの2.8倍に近いものとなった(ちなみに、日本の時価総額が日本GDPの約1.3倍とされる)。
また、貿易投資の面では、昨(2020)年の輸出額は3452億ドルに達しており、前年比で4.9%増となる。[2]さらに、外資誘致については、昨年11月までの統計(台湾行政院経済部=経産省に相当)によると、計2445億675台湾ドルの外国資金が台湾に流れた。また、海外の台湾企業が台湾政府の投資支援策を受けて本国に投入した金額は、1兆1663億台湾ドルに達したという。[3]
こういった事情は、台湾社会からも外国企業からも台湾政府の防疫対策に信頼を置かれている証左と言えよう。言うまでもなく、台湾の防疫が成功しているため、国内の経済活動が普通に、つまり今までと同じく日常的に行われることが可能なわけである。そして、このような「普通さ」・「日常的さ」が多くの国々にとって実に得難いものだからこそ、台湾の経験は広範に報じられ論じられるのである。国際社会は、台湾の成功へのキーを知りたがっている。
三、遵法精神・協力が防疫の必須条件
17年前のSARS経験が今日の成功の基礎となって、当時SARS対処に当たった専門家たちが今度コロナ禍の第一線に立ったのが重要だ、とよく各界から指摘される。
周志浩・行政院衛生福利部疾病管制署(疾病対策予防センター、CDC)署長や、張上淳・台湾大学副学長などがSARS対処に携わっており、今回彼らもまた政府の感染症対策チームの一員となったため、彼らの経験がそのまま役立っているのは大きい。そして、彼らがSARSの対応経験に基づいて考え出した規定や作業のSOPなども、かなり実行性のあるものであるように思われる。コロナ最前線に立っているこうしたオールドハンズの存在は、確かに他国にはない好条件である。
なお、「徒法不足以自行」(法律だけでは十分ではない)という中国の諺が示すように、法律があっても民が従われなければ、法律がないのと同然だ。すなわち防疫規定が設けられたら、あとは市民の従うことが大事である。この点に関して、一定期間の隔離などの措置が不便ではあるものの、ほとんどの台湾市民が、防疫司令塔にあたる中央感染症指揮センターの指導や規定に従い、協力をしている。
むろん、法律順守の背後には、違法した場合に課される厳しい罰則が担保しているのも、事実である。昨年11月、台湾のホテルで隔離中の外国人が勝手に部屋を8秒出たことで、10万台湾ドルの過料の支払いを命じられたことが、内外のメディアから取り上げられた。[4]なお、実際今までルール違反が少なかったことを見ると、やはりそこに台湾市民による遵法の精神と協力の意志の存在が感じ取れる。
四、信頼と団結が防疫の十分条件
台湾のケースをさらに見れば、遵法・協力の精神と厳罰だけが防疫の成功を保証するわけでないことが分かる。政府に対する信頼も重要な要素である。2020年、米・ピュー・リサーチ・センター(Pew Research Center)の世論調査では、台湾市民は88%が民進党政府の防疫を肯定することが分かった。これに対して「満足しない」と答えたのは6.1%しかない。コンサルティング会社のKPMG台湾の調査(2020年10月)では、56%の台湾CEOは、今後の景気を肯定的に見ているという。[5]今年1月12日、台湾の主流誌『天下雑誌』が世論調査の結果を発表した。それによると、調査を受けた市民の48.9%が「国家の将来を楽観視している」と答え、それは過去20年の最高数値となる。[6]総じて、台湾市民は、民進党政府がコロナ防疫をうまく遂行でき、コロナ津波への乗り越えを率いてくれれると信じているのである。
目を中央政府から地方自治体に転じれば、自治体が団結一致することも大切である。例えば、前述した桃園病院感染事件が起きた際、桃園以外の自治体は、桃園市へエールを送って惜しまなかった。首長が国民党籍の金門県や馬祖県は、桃園市に対して励ましの言葉を送り、力限りの協力を約束している。[7]また、市長が同じく国民党籍の侯友宜・新北市長は、あるテレビ会議にて「桃園市長の事は、私の事だ、北台湾の事だ、中華民国の事だ」と言い張り、「新北市の病院は、桃園病院の後ろ盾になる準備ができている」とまで宣言した。[8]その後、陳菊・監察院長も頼清徳・副総統も「桃園の事は、台湾の事だ」と自分のフェースブックに書き込んだ。[9]台南市政府も、消毒車などの防疫関連装備を桃園市に寄贈した。[10]
17年前を振り返れば、SARS感染を恐れたあまり、SARS対応の指定病院から転院される患者の収容を拒否した医療機構が続出していた。これと対照的に、コロナ禍に臨んだ台湾各地は、結束して対応する決意を見せている。実に今昔の感を禁じ得ない。全国が団結一致することも、対コロナ戦略に関する無形だが重要な要素だと思われる。また、これを目の当たりにした一般市民は、政府への信頼が自然と更に篤くなっているだろう。
五、両岸関係が重要な背景
前述した、遵法・協力の精神、そして政府への信頼と全国団結が、コロナ防戦における重要な条件である。なお、台湾と中国の特殊な関係(いわゆる両岸関係)の重要さも、決して見逃してはならないものである。筆者はすでに拙稿(「天国は遠すぎて、中国は近すぎる:新型肺炎蔓延下の中台関係」、2020年3月7日)で触れたように、中台間の地理的な近接性およびそれに伴う人的・物的往来が、台湾への感染波及が生じやすくした。しかし、まさに中台間の政治的対立そのものは、台湾を中国の変化に警戒の目を光らせるのである。すなわち、安全保障の面から、「台湾を神聖なる国土の一部と主張し、実力を背景に統一戦略を進めようとする」中国の動向を、どうしても阻止しなければならず、とくに人的往来を厳しい管理下に置かなければならないが、その阻止と管理の経験が、コロナの防疫効果まで発揮している。
さらに言えば、中国が硬軟両様などのいろいろな統一手段を試みてきたが、民進党政府は、中国の統一企図から台湾の安全保障を無事に守ってきた。台湾市民は、中国に対する警戒の裏返しとして、台湾政府に対する信頼を高めてきた。そして今度は、中国に起源をもつとされるコロナの防戦に対しても、きっと今回も民進党政府が守ってくれると思っているに違いない。それは、ある種の「信頼の波及」―軍事的な防衛から感染症対処へ―とも言えなくもない。
六、以疫謀独 以疫促統
コロナ禍が発生して以来、一方では、中国政府は台湾による国際協力の努力を「以疫謀独」と規定し、「台湾がコロナを利用して国際空間を広げようとする」非難している。しかし他方では、北京当局こそ「コロナを利用して統一を進める」、つまり「以疫促統」ともいうべき工作をやっているのではないか。
去年12月30日、朱鳳蓮・中国国務院台湾弁公室(国台弁)報道官は、台湾籍の同胞をワクチン接種対象から排除しない」と言い、今年1月13日の記者会見で、朱は、広西や厦門などの台湾人同胞はワクチン接種が無料だと発表している。[11]これに対して、台湾政府の大陸委員会は、「政治的な宣伝活動として利用すべきではない」とコメントした。[12]
ちなみに、中国人と香港市民さえ中国産のワクチンの防疫効果を信用しないことが報じられている。[13]これを知った台湾人が、どれだけ中国ワクチンの効果を信じて接種を受けるかは、実に疑わしい。
七、結語
中国による阻止のため、今日でも台湾は世界保健機関(WHO)へ加盟できない。にもかかわらず、台湾は国際社会に対して「Taiwan can help」と言い続け、国際貢献をしようとする。コロナが蔓延するなか、台湾は色々な方法をもって、防疫の「台湾経験」を世界各国の政府や市民と分かち合ってきた。
ただし、台湾経験の中で他国が再現できるのとできないのがある。前者の場合、マスクの着用は、他の国でも自国民にそれを義務付けることができるはずだ。消毒措置を強制的に講じることもできよう。さらに、官民ともにマスク生産に投じることも可能なはずだ。後者の場合、例えば、エレクトロニク・フェンスのような、ハイテクを用いた隔離状況の監視手段は、プライバシー侵犯問題になりかねない国もある。また、地方自治体の間の協力や相互支援も稀に見ない政治風土かもしれない。
台湾経験に関して、もっとも特殊なのは、恐らく中国との敵対関係だろう。敵対関係にあるからこそ、台湾にとって強い防戦(防疫)措置が可能となっている。台湾は、中国製ワクチンを拒むことで、中国の統戦工作まで阻むことになるわけである。防疫工作にあたって、台湾政府が中国とコロナウイルスを同時に阻もうとしているのである。
「ソーシアル・キャピタル」(social capital)という社会科学の概念がある。ソーシアル・キャピタルは、社会における人々の信頼関係と結びつきを表す概念を指す用語である。もし中国は本当に台湾のことを自分の一部と見なすならば、台湾に対して講じる手段は、決して金銭で測れるようなキャピタルであるべきではない。台湾企業への財政支援や、コロナを恐れる台湾人へのワクチンの提供は、お金による台湾買収と変わらない。そのような露骨なキャピタルの代わりに、信頼関係を重視するような「ソーシアル・キャピタル」こそ、正道ではないでしょうか。
[1] 〈クラスター発生の病院、危機脱す 職員全員「陰性」/台湾〉,《中央社》,2021年2月7日,https://japan.cna.com.tw/news/asoc/202102070005.aspx?q=%E3%81%93%E3%82%8D%E3%81%AA。
[2] 〈昨年の対米・対日輸出は過去最高に=財政部統計〉,Taiwan Today,2021年1月12日,https://jp.taiwantoday.tw/news.php?unit=148,149,150,151,152&post=192417。
[3] 〈投資臺灣耶誕再報佳音 增7廠加碼28億〉,中華民國經濟部,2020年12月25日,https://www.moea.gov.tw/MNS/populace/news/News.aspx?kind=1&menu_id=40&news_id=92659。
[4] 〈コロナで隔離中 8秒廊下に出た外国人に過料36万円 台湾〉,NHK,2020年12月7日,https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201207/k10012750221000.html。
[5] 〈防疫得當 疫後56%台灣CEO對景氣有信心〉,《中央社》,2020年10月28日,https://www.cna.com.tw/news/afe/202010280248.aspx。
[6] 〈防疫有成!《天下》民調:國人對台灣前景信心創歷史新高〉,《自由時報》,2021年1月12日,https://news.ltn.com.tw/news/politics/breakingnews/3408715。
[7] 葉臻,〈連江捐防疫酒精 鄭文燦:馬祖是桃園最好的朋友〉,《中央社》,2021年2月4日,https://www.cna.com.tw/news/aloc/202102040030.aspx。
[8] 王鴻國,〈侯友宜:新北醫院準備好了 願作部立桃醫後盾〉,《中央社》,2021年1月19日,https://www.cna.com.tw/news/ahel/202101190164.aspx。
[9] 〈【禁桃效應】賴清德、陳菊力挺鄭文燦 「桃園的事就是台灣的事」〉,《蘋果日報》,2021年1月21日,https://tw.appledaily.com/politics/20210121/5ZIBJYQU7ZA73BYSW4QU3PO4VM/。
[10] 王姝琇,〈撐醫護挺桃園 南市府派人車支援消毒設備與防疫物資〉,《自由時報》,2021年1月28日,https://news.ltn.com.tw/news/life/breakingnews/3425401。
[11] 〈【新冠肺炎】國台辦:在陸台人可自願申請接種疫苗〉,《香港01》,2021年1月13日,https://www.hk01.com/%E5%8D%B3%E6%99%82%E4%B8%AD%E5%9C%8B/573956/%E6%96%B0%E5%86%A0%E8%82%BA%E7%82%8E-%E5%9C%8B%E5%8F%B0%E8%BE%A6-%E5%9C%A8%E9%99%B8%E5%8F%B0%E4%BA%BA%E5%8F%AF%E8%87%AA%E9%A1%98%E7%94%B3%E8%AB%8B%E6%8E%A5%E7%A8%AE%E7%96%AB%E8%8B%97。
[12] 〈中国が台湾人に優先的にコロナワクチン接種、台湾政府は警戒〉,《ロイター》,2021年1月21日,https://jp.reuters.com/article/taiwan-china-vaccine-idJPKBN29Q0HS。
[13] 〈【武漢肺炎】港人對中國疫苗沒信心 林鄭月娥怪罪有人「政治操作」〉,《蘋果日報》,2021年2月4日,https://tw.appledaily.com/international/20210204/PNJXBST3AFFRXBI2NZDOESRLWE/;〈中國民眾不願接種國產疫苗 彭博:經濟前景面臨挑戰〉,《自由時報》,2021年2月6日,https://ec.ltn.com.tw/article/breakingnews/3434767。
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