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英国の対中政策、苦境の1週間
Britain Prince Andrew(写真:AP/アフロ)
Britain Prince Andrew(写真:AP/アフロ)

次々と明らかになる事実

ここ1週間ほど、英国各紙が報じる記事には、中華人民共和国が英国内に及ぼす影響力を懸念する人々に不安を抱かせる内容が続いている。最も注目を集めているのは、アンドリュー王子と親しい関係にあった人物が、長年にわたり中央統一戦線工作部(United Front Work Department:UFWD)に所属していることが明らかになった一件である。UFWDは潤沢な資金に恵まれた中国共産党の組織で、中国共産党の立場と政策に対する中国内外の支持の強化を図っている。その役割は、「世界を中国共産党にとって安全な場所にすること」だと言われている。

奔放なことで知られる英国のメディアは、この人物(楊騰波)をスパイと報じているが、正確にはスパイではない。スパイというと映画のジェームズ・ボンドやMI6、CIA、旧ソ連のKGBなどを思い浮かべるが、楊氏が中国国家安全部(MSS)に所属しているとはまず考えられない。UFWDは実際のところ、潜入して機密情報を盗んだり工作員をリクルートしたりする従来のスパイとは趣が異なり、その活動は捉えにくい。UFWDの役割は、中国に関わる発言や国家間関係が常に中国共産党寄りになるよう影響を及ぼすことだ。広範囲にわたるUFWDの方針に進んで賛同する場合は、紹介状や中国内での行事への招待、高官代表団の受け入れなど、さまざまな恩恵を受けることができる。詳しくは後に触れよう。

さらに、この1週間には、税逃れが目的と思われる中国のダミー会社約3万社が英国で登記されていたという報道もあった。その多くが主力事業とは関係のない同一住所で登記され、実際には100%外国企業でありながら英国企業としてeBayなどのウェブサイトで売買を行っていた。そして納税が必要になると営業を停止し、新しい会社として登記される。時に信じられないほどの安値で中国製品を購入できるディスカウントサイトの増加がこうした動きを煽っており、急速に変化する小売環境の実態に課税制度が追いついていないことを浮き彫りにしている。

追い打ちをかけるように、ザ・テレグラフは慈善団体「UK China Transparency」から近日発表される報告書を引用する形で、外務省の高官通訳が、中国共産党のニュースや政策を広める中国語のウェブサイト(これもUFWDの幅広い傘下にある)を運営していると報じた。2015年に撮影された写真を見ると、この通訳者(陈时荣)はディナーの席で習近平の又隣に座っている。

これらは、英国をはじめ世界各国での中国の影響力増大を懸念する中国ウォッチャーにとっては衝撃的な報道であった。英中関係の「黄金期」を築いたデイヴィッド・キャメロン氏とジョージ・オズボーン氏の愚行が次第に明らかになる中、最近の一連の報道で長年にわたる影響が明るみに出たことで、UFWDがいかに深く政財界に浸透していたかが如実に示された。

 

転換点となるか

友人を選ぶアンドリュー王子の人選眼は、以前から疑問視されてきた。王子はもはや王室の公務から退いており、マーケティングパーソンが言うところの彼の「ブランド」も、友人関係にあった故ジェフリー・エプスタイン氏が性的人身取引で有罪判決を受けたことで傷つき、回復は望めそうにない。そのアンドリュー王子が今度は中国の「スパイ」と親しい間柄であったようだとなれば、イメージはさらに悪化する。英国の王族に政治的影響力はないが、その存在は人々を惹きつける力があり、王室イベントへの招待を辞退する人などいない。楊騰波が目をつけたのはアンドリュー王子のイベント「Pitch@Palace」だ。バッキンガム宮殿でのイベントで若いイノベーターや起業家、スタートアップ経営者が投資者候補に出会えるというプログラムだ。氏はこれに関心を持ち、自身も加わった。そしてこのアイデアを拝借して中国でよく似たプログラムを打ち出し、アンドリュー王子のアドバイザーから、中国関連のイベントや交流会で実質的に王子の代理として発言していいという了承を得るまでに至った。

その結果、は特等席で目にした英国内の新しいアイデアや技術を中国に伝え、中国共産党はそれを基に自らに有益とみられる技術の購入、盗用、模倣を戦略的に試みてきた。手段を問わず外国の先端技術を中国に持ち込むことは数十年来の中国共産党の政策である。中国による知的財産の盗用やリバースエンジニアリングに苦い経験をした国は多い。

在英中国大使館は当然のことながらがスパイであることを否定し、「問題を起こすことをやめるよう」英国側に伝えた。実際にはスパイとは言えず、その点がUFWDの見事なやり口だ。事業団体、国際交流振興を目的に掲げる友好団体、学生団体など、数多くの社会団体の背後にUFWDがいる。そして常に中国共産党の主張に沿ったメッセージが発信され、その主張に異を唱える者は何らかの形で排除されていくが、それ以外にスパイ工作を示唆するものはなにもない。

気の滅入る発覚が相次いだ一週間だったが、希望の兆しがないわけではない。対中政策を一から見直すチャンスといえるからだ。アンドリュー王子の一件をきっかけに、中国の影響力を巡る議論が首相の最優先議題になり得るかもしれない。

 

英国が今できることとは

英国ではあまりに長い間、目に余る対中政策が取られてきた。キャメロン政権時代の「無邪気さ」は脱したものの、それに代わる政策がない。基本方針や中国観と呼べるものがないのが現状である。英国は通信機器大手「ファーウェイ(華為)を最終的に完全排除することに決めたが、さまざまな監視技術や電気通信技術を提供する中国系IT企業は依然として多い。中国は果たして競合相手か、脅威か、それともパートナーか。首相の話に耳を傾けても判然としない。中国について聞かれると、首相は3C政策(challenge(挑戦)、compete(競争)、cooperate(協力))をスローガンのように繰り返し唱えるが、実際にどのように実践するのかは不明なままだ。しかし、2025年にはこの中国問題に取り組み、企業や政治家の今後の指針となり得る有意義な政策を策定するための重要な機会が2つある。とりわけ習近平氏が権力の座にとどまり現在の路線を継続する場合には有効である。

労働党は今年の選挙戦の最中に中国についてほとんど触れていなかった。それは単に、本来重要なはずの中国問題が選挙の大きな争点ではなかったからにすぎない。国内問題やEUとの関係、移民問題、ウクライナ戦争が優先された。そうしたなかで、労働党が中国について唯一言及したのが、英中関係の全面的な見直しと監査の公約である。労働党が政権に就いて以降、この見直しに関する公式の議論や具体的な進展はほとんど公表されていない。見直しは確かに始まっており、さまざまな関係者が意見を求められているものの、見直しの範囲や対象が曖昧で、今のところ3C政策のスローガンからほとんど先に進んでいない。ロイターは今週、この見直しは中国をあまり批判しない方向で縮小され、スターマー首相が中国との経済関係を強化しようとしていると報じた。ところがアンドリュー王子の一件が加わったことで、中国問題は一気に注目を集めるようになった。これを受けてスターマー首相がこの見直しに真剣に取り組み、中国ではなく英国の利益を最優先にすることが望まれる。英国では中国寄りのロビー活動が潤沢な資金を背景に依然として活発で、経済協力強化の必要性を唱える大手企業が相変わらず多い。だが、英国の銀行や企業が中国との関係推進姿勢を崩さないのに対して、はるかに多くの資金を中国に投じてきたドイツ企業は今、途方もない経済的苦境に立たされ、自らの愚かさに気づきつつある。

スターマー首相にとってのもう1つの重要な機会は、保守党政権時代に提案された、外国政府のために働く者全員に利害関係の申告を義務づける外国影響力登録制度の導入である。この制度では国をレベル分けし、最高レベルの国に属する個人や組織と関係を持つ際には極めて厳格な審査を行う必要がある。北朝鮮やロシア、イランなどの国は当然その最高レベルに分類されることになるが、労働党の手腕が試されるのは、中国も同様に扱うか否かという点である。中国は、習近平氏がトップに君臨しているとしても金正恩氏の北朝鮮とは異なるが、その干渉と影響は驚くべき規模と範囲に及び、他国の比ではない。英国の安全保障を担うMI5とMI6も、厳格な審査を要する最高レベルに中国を分類しなければ、こうした制度に価値はないと明言している。

外国勢力の登録制度化で楊騰波のような工作員を捕えることができれば理想的だが、直接的なスパイ活動がなくなることはなく、制度を意に介さない者もいるかもしれない。だが、中国と関わるなかで、英国の政治家や企業、大学が、もはや買収されたり自ら進んで秘密情報を漏らしたりすることはないというメッセージを明確に発信することはできる。スターマー首相のスローガンである3C政策はすでに色あせており、支えにも守りにもなっていない。この2つの対応を取るべきであることは明らかであり、首相には思い切った決断が求められる。

 

他国への教訓

これが英国だけの問題だとか、中国のために工作活動をしている人間はほんの一握りしかいないなどと考える他国のリーダーがいれば、とんだ考えなしだ。ニューズウィークの2023年のレポートでは、英国全土におよそ400のUFWD関連の機関があると推計している。一見すると、これらの機関はビジネス・教育・社会・文化的な交流を促進する団体のように見えるが、背後には中国共産党がおり、こうした交流を通して議論や考え方を中国共産党の主張に沿ったものへと導く任務を担う。しかもUFWDは世界各地で活動している。中国共産党の投資先や交流相手が所在する国で工作活動をしていないところはない。周囲に溶け込んでいる場合も多い。中国人がいれば必ずUFWDがなんらかの形で彼らの行動を管理し、影響を与えようとする。ただし、海外にいる中国人全員がスパイだというわけではない。本コラムで以前に指摘したように、専門知識や専門技術を持つ中国人が、習近平氏率いる中国で暮らすより良い生活を求めて、東京などの都市を避難先としている。一方、中国共産党は在外中国人が人権や民主主義といった普遍的価値観を受け入れ、そうした考え方を中国に持ち帰ることを非常に恐れている。UFWDの役割は、中国共産党の見解と目標に沿うよう、さりげなく、また時にやや露骨に働きかけることである。例えば大学においては、中国語の授業や書道講座の支援はするが、チベット自治区や新疆ウイグル自治区の少数民族の文化的同化に関する授業や講義には一切手を貸さない。また、香港の未来を懸念する幹部がいる銀行は、新たな営業許可を得るのに苦労する一方で、習近平の経済政策を称賛する競合他社は北京で歓迎されることになる。

英国は、政治および経済の領域における中国の影響力の深さを把握する上で多くの課題を抱えている。一方、他国も最近のトップニュースを受けて、中国との関わり方や実際に誰が関わっているのかを把握するよう迫られているはずである。外国工作員の登録は第一歩にすぎず、これだけでは決して十分ではない。何十年にもわたる中国との関わりから明らかになったのは、経済的な交流を政治的な決定から切り離すことは不可能だということである。中国との交流はすべて政治的性質を帯びており、貿易とビジネスの公平な競争の場を確保するには線引きが必要だ。しかし、ビジネスリーダーたちは中国との取引における政治的リスクを管理する能力がないことを示してきた。そのため、この責任はスターマー首相など選挙で選ばれた公職者の手に委ねられる。今後数カ月間で、首相がどれほど大胆な行動を取ったのか、そして今回明らかになった脅威を理解したのかが明らかになるだろう。

フレイザー・ハウイー(Howie, Fraser)|アナリスト。ケンブリッジ大学で物理を専攻し、北京語言文化大学で中国語を学んだのち、20年以上にわたりアジア株を中心に取引と分析、執筆活動を行う。この間、香港、北京、シンガポールでベアリングス銀行、バンカース・トラスト、モルガン・スタンレー、中国国際金融(CICC)に勤務。2003年から2012年まではフランス系証券会社のCLSAアジア・パシフィック・マーケッツ(シンガポール)で上場派生商品と疑似ストックオプション担当の代表取締役を務めた。「エコノミスト」誌2011年ブック・オブ・ザ・イヤーを受賞し、ブルームバーグのビジネス書トップ10に選ばれた“Red Capitalism : The Fragile Financial Foundations of China's Extraordinary Rise”(赤い資本主義:中国の並外れた成長と脆弱な金融基盤)をはじめ、3冊の共著書がある。「ウォール・ストリート・ジャーナル」、「フォーリン・ポリシー」、「チャイナ・エコノミック・クォータリー」、「日経アジアレビュー」に定期的に寄稿するほか、CNBC、ブルームバーグ、BBCにコメンテーターとして頻繫に登場している。 // Fraser Howie is co-author of three books on the Chinese financial system, Red Capitalism: The Fragile Financial Foundations of China’s Extraordinary Rise (named a Book of the Year 2011 by The Economist magazine and one of the top ten business books of the year by Bloomberg), Privatizing China: Inside China’s Stock Markets and “To Get Rich is Glorious” China’s Stock Market in the ‘80s and ‘90s. He studied Natural Sciences (Physics) at Cambridge University and Chinese at Beijing Language and Culture University and for over twenty years has been trading, analyzing and writing about Asian stock markets. During that time he has worked in Hong Kong Beijing and Singapore. He has worked for Baring Securities, Bankers Trust, Morgan Stanley, CICC and from 2003 to 2012 he worked at CLSA as a Managing Director in the Listed Derivatives and Synthetic Equity department. His work has been published in the Wall Street Journal, Foreign Policy, China Economic Quarterly and the Nikkei Asian Review, and is a regular commentator on CNBC, Bloomberg and the BBC.