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中国は建国以来「夫婦別姓」 台湾や香港に残る清王朝時代の痕跡
中華人民共和国を建国させた毛沢東(写真:ロイター/アフロ)
中華人民共和国を建国させた毛沢東(写真:ロイター/アフロ)

日本では働く女性が増えるにつれて「夫婦別姓」制度が注目されるようになった。女性への差別撤廃を目指す国連委員会からの勧告は皇室問題にまで触れ、日本政府では越権と受け止めている。 

ならば、中国ではどのように推移してきたのだろうか。

少なくとも現在の中国は建国以来、婚姻法で「夫婦別姓」を定めているが、清王朝時代の「冠夫姓」(夫の姓を妻の姓の前に持ってくる)慣習が1929年に中華民国の民法により法制化された。その「冠夫姓」が台湾に一部残っていることを「夫婦別姓」問題考察中に発見できたのは新鮮な驚きだったが、中華民国の統治を受けていない香港にも残っていることを考えると、清王朝の痕跡のようで、なんとも興味深い。

 

◆中国は建国以来「夫婦別姓」 毛沢東が強く「男女平等」を主張

中華人民共和国は1949年10月1日に建国したが、その翌年の1950年4月30日に「中央人民政府委員会第七次会議」は「中華人民共和國婚姻法」を制定し、毛沢東の「主席令」として発布した

その第三章「夫妻間の権利と義務」の第十一条には「夫妻有各用自己姓名的權利(夫妻は各自自分の姓名を用いる権利を有する)」と明示してある。つまり「夫婦別姓」を法的に定めている。子供の苗字は基本的に父親の姓を使うが、母親の苗字を使うことも排除していない。

筆者の友人X女はかつてY男と結婚したので、その子供の姓はYなのだが、のちにX女はY男と離婚してZ男と結婚したので、その一家3人は「X、Y、Z」という3種類の姓を持っている。

建国当初、毛沢東は「女性解放」を掲げ、旧社会(中華民国を含めたそれ以前の社会)から抜け出さなければならないと強く主張し、たとえば盛んに「婦女自由歌」という歌などが歌われた(毛沢東自身の私生活を連想なさる読者もおられると思うが、ここでは一応、別問題として自他ともに抑えておきたい)。

さて、歌詞の最初の部分は以下のようなものだ。

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  旧社会 好比是 黑格洞洞的苦井万丈深

  (旧社会は暗くて底知れぬ深さの苦しい井戸のようなもので)

  井底下压着咱们老百姓 妇女在最底层

  (井戸の底に庶民を圧迫し、女性は最低層にいる)

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この歌は今も聞くことができるので、興味のある方は、のちに「中国の美空ひばり」とも呼ばれた若かりし日の郭蘭英(1929年生まれ)が歌う「婦女自由歌」をクリックなさっていただきたい。建国当時の中国の雰囲気を感じ取ることができるかもしれない。

ネット映画などで映像を付けた「婦女自由歌」も視聴できる。

オペラ歌手で女優の郭蘭英は映画「白毛女」(地主に虐げられた貧農の娘が金で買われて地主に嫁ぐことになったので、それを逃れて奥山にこもり白髪になったが、最終的には解放軍によって救われる物語)の主演もやっていて、新中国誕生当初は、「いかに女性が虐げられていたか」そして「毛沢東が現れて、いかに女性が解放されたか」を象徴する歌や映画が流行したものだ。郭蘭英の声は大衆を魅了し、街角や公園の拡声機から毎日のようにこれらの曲が流れていた。

毛沢東は「天の半分は女性が支えている(妇女能顶半边天)」という言葉を発したとされており、中央テレビ局CCTVには「半辺天」という番組も設けられた。

だから改革開放前までは、女性は働くのが当たり前で、働かない主婦(専業主婦)が中国に現れ始めたのは1990年代後半あたりからである。

90年代半ば、筆者が客員研究員(教授)として所属していた中国社会科学院社会学研究所の某女性研究員は、女性問題の研究者でもあったので、非常な驚きを以て「ね、日本には働かない女性がいて、専業主婦というのがあるんだって?」と聞いてきたことがある。

それが今や、「日本では働く女性が増えてきて、中国では専業主婦が増えている」という奇妙な逆転現象が起きている。

 

◆「冠夫姓」は清王朝からか

中国はどうやら古代から「夫婦別姓」がそれとなくあったようで、妻が夫の姓を自分の本来の苗字の前に付けるようになったのは、清王朝(1636年に満州に清国を建国し、漢民族を制圧して1644年から1912年まで台湾を含む中国本土とモンゴル高原を支配した王朝)からだという論説が多い。

たとえば<宋の時代には「冠夫姓」制度はなかった>という論考や<古代冠夫姓はどの時代から始まったのか>など多数の考察がある。

一方では台湾の学者が日本語で書いた論文<漢民族の「同姓不婚」、「冠夫姓」についての一考察>では、「冠夫姓」は清王朝から広く慣習となり中華民国時代に法律化されたが、少ない例ながらも東漢時代(西暦25-220年)にも存在したと主張している。しかし、清王朝時代から「冠夫姓」が慣習として広くいきわたったというのは間違いがないようだ。

1911年から1912年にかけて起きた辛亥革命により清王朝が崩壊し1912年に中華民国が誕生すると、南京国民政府は1929年5月に《民法》を発布し、その第四編第三節第1000条に初めて「夫妻の姓」に関して規定した。

それによれば、「妻は夫の姓を自分の本来の姓名の前に冠(かんむり)として付けて結婚後の姓名とし、婿養子に入った夫は自分の本来の姓名の前に妻の姓を冠として付けて結婚後の姓名とする」ということになっている。

これを「冠姓」制度と称する。「冠姓」には「冠夫姓」と「冠妻姓」があるが、基本的に「冠夫姓」と考えていい。同じ戸籍簿に二つの姓を記載することを許さないことによって、人口統計や戸籍簿作成に役立てたのだろう。

中華民国の国土の範囲内では、この「冠夫姓」制度が実施された。

そうは言っても、蒋介石とその妻・宋美齢は、それぞれ元の名前で広く知られているので、中国(中華人民共和国)の「夫婦別姓」と同じではないかと思ってしまうが、正式な場面では、宋美齢は自分の姓である「宋」の前に「蒋」を冠として付け、「蒋宋美齢」という名称を使った。

図表に示すのは1937年(民国26年)に蒋介石政治院総統が「蒋宋美齢」に第一級翡翠勲章を授与する特別命令の証書の事例である。

 

図表:蒋宋美齢に勲章が授与された書面

出典:台湾の国史館档案史料文物検索システム

出典:台湾の国史館档案史料文物検索システム


 

◆台湾に今現在も残る「冠夫姓」

一方で台湾は、清王朝時代に起きた日清戦争(1894年~1895年)で清王朝が敗北した際に交わした下関条約(1895年。中国では馬関条約)により、日本に割譲されて1945年8月15日(実効は9月3日)まで日本の統治下に置かれた。

カイロ宣言によって日本は敗戦により満州国をはじめ台湾や澎湖島など日本が占領したすべての地域を中華民国に返還することが定められ、実行された。したがって「中華民国」は中国大陸だけでなく台湾をも「中国という国家」の一部として領有していたことは今さら言うまでもない。

そのため革命により中国大陸に「中華民国」の代わりに「中華人民共和国」という国家が誕生し、かつ国連で「中国を代表する国として中華人民共和国一国があるのみである」ということが承認されて、「中華民国」が国連を脱退し、その代わりに「中華人民共和国」が「中国」という国家の代表として国連に加盟した以上、「一つの中国」=「中華人民共和国」しかない、というのが共産中国の主張だ。

しかし朝鮮戦争により毛沢東の解放戦争が中断されたために台湾解放までに至らなかった。その状況がアメリカの干渉により長く続き、今や台湾は中国大陸とは関係のない独立した国家であるという西側および台湾の民進党政権の認識が、一方では進んでいる。

そのような中、「夫婦別姓」問題を考察しているうちに、<台湾は約5%が「冠夫姓」に従っている>という事実を説明する情報に出くわした。

それによれば、2017年時点で、118万の人が「冠夫姓」を用いており、「冠妻姓」を用いている人も約2000人いたとのこと。

台湾が「中華民国」の領土として戻されたのは1945年で、それ以前は日本統治が1895年から続いていた。この「5%」という事実は、下関条約までは清王朝が支配していた痕跡を示唆するようで興味深い。

もちろん1945年からは「中華民国」の統治下に置かれていたので、中華民国が中国大陸だけでなく台湾をも統治していたことを考えれば、中華民国の法律が台湾にも適用されただけのことだという歴然たる事実はある。

しかし、香港の場合を考えてみよう。

香港は清王朝時代の1840年のアヘン戦争によりイギリスに割譲され、1997年に中国に返還されているので、中華民国の支配下にあったことがない。その香港でいま現在も、たとえば林鄭月娥(元行政長官)のように、「林」という苗字の夫と結婚した「鄭月娥」が、結婚後は自分の名前の前に夫の姓「林」を冠する「冠夫姓」に従っているのは、清王朝の痕跡を留めていることがうかがえるわけだ。

香港には「冠夫姓」がかなり多い。その意味から、かつて香港も台湾も清王朝の支配下にあったことを示唆し、共通項として「清王朝の痕跡」を見るようで、興味深いのである。

このような事実が、まさか「夫婦別姓」問題を考察している過程で出てくるとは思わなかったので、非常に新鮮な驚きを覚えた次第だ。

なお、台湾島は1624年にオランダ東インド会社によって統治され、1661-1662年に明王朝を再建しようとした鄭成功(母親は日本人)がオランダを倒して台湾を統治することに成功した。鄭成功政権は鄭成功の病死によって短命に終わったが、鄭成功政権時代の台湾では、「冠夫姓」は存在していない。たとえば、鄭成功の妻である董友は、「董氏、董友、董友姑、董酉姑、董王妃」などと呼ばれていて、結婚した相手の姓である「鄭」を冠に付けた「鄭董友」という名前は歴史的に残っていない。ということは、明王朝時代には「冠夫姓」はなかったことになる。その後台湾では1985年に民法で「原則冠姓、夫婦別姓も可能」と改正され、1998年には民法で「原則夫婦別姓、冠姓も可能」と改正されている。

この論考はYahoo!ニュース エキスパートより転載しました。

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。「中国問題グローバル研究所」所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』(ビジネス社)、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』(PHP新書)、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(実業之日本社)、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略 世界はどう変わるのか』(PHP)、『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』(ビジネス社)、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤 誉 (著), 白井 一成 (著), 中国問題グローバル研究所 (編集)、実業之日本社)、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』(毎日新聞出版)、『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』(中文版・韓国語版もあり)、『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』、『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。2024年6月初旬に『嗤(わら)う習近平の白い牙』(ビジネス社)を出版予定。 // Born in 1941 in China. After surviving the Chinese Revolutionary War, she moved to Japan in 1953. Director of Global Research Institute on Chinese Issues, Professor Emeritus at the University of Tsukuba, Doctor of Science. Member of the Japan Writers Association. She successively fulfilled the posts of guest researcher and professor at the Institute of Sociology, Chinese Academy of Social Sciences. Her publications include “Inside US-China Trade War” (Mainichi Shimbun Publishing), “’Chugoku Seizo 2025’ no Shogeki, Shukinpei ha Ima Nani o Mokurondeirunoka (Impact of “Made in China 2025” What is Xi Jinping aiming at Now?), “Motakuto Nihongun to Kyoboshita Otoko (Mao Zedong: The Man Who Conspired with the Japanese Army),” “Japanese Girl at the Siege of Changchun (including Chinese versions),” “Net Taikoku Chugogu, Genron o Meguru Koubou (Net Superpower China: Battle over Speech),” “Chugoku Doman Shinjinrui: Nihon no Anime to Manga ga Chugoku o Ugokasu (The New Breed of Chinese “Dongman”: Japanese Cartoons and Comics Animate China),” “Chugogu ga Shirikonbare to Tsunagarutoki (When China Gets Connected with Silicon Valley),” and many other books.

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