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習近平三期目は異例ではない――鄧小平神話から脱却せよ
習近平中共中央総書記(写真:新華社/アフロ)
習近平中共中央総書記(写真:新華社/アフロ)

今年秋に開催される第20回党大会で習近平の三期目が決まるが、建国以来の中国の動きから見れば異例ではなく、むしろ鄧小平個人の指名による江沢民政権と胡錦涛政権だけが異例だった。鄧小平神話が中国の真相を見抜く目を曇らせている。

◆歴代指導者の君臨期間に関して

1949年に中国(中華人民共和国)を誕生させた毛沢東は、事実上、1976年9月に逝去するまで実権を握っていた。途中で国家主席の座から降ろされてしまった時期があったが、それでも中共中央委員会主席(現在の中共中央総書記)と中央軍事委員会主席のポジションだけは維持し続けたので、27年間にわたって実権は毛沢東の手の中にあった。

鄧小平は最終的には1977年7月に開催された第10回党大会三中全会から復権し、職位としては中共中央副主席、国務院常務委員会副総理、中央軍事委員会副主席と、「副」でしかなかったが、1981年中共中央軍事員会主席、83年からは国家中央軍事員会主席になるなどして「軍」だけはトップの職位を要求している。

職位が何であろうと、実権を握っていたのは鄧小平で、鄧小平の一言は「神の声」として恐れられていた。

1994年に健康を害して政治の舞台から退いたが、それまでの17年間は、実際上の実権を握った最高指導者として君臨していた。

恐るべきは、鄧小平の一存で天安門事件後の中国を統率する指導者を江沢民とすると決めてしまい、その期限を10年と定めて、江沢民の次の代の指導者を胡錦涛として決めてしまったことだ。

こうして江沢民政権を基本10年間、胡錦涛政権を基本10年間と、鄧小平の「神の声」が決めてしまったのである。

もっとも、江沢民の場合は、1989年6月4日の天安門事件があったために指名しているので、1992年10月に開催された党大会まで3年間余分に中共中央総書記をしており、国家主席になったのは1993年である。

したがって江沢民は中共中央総書記のポストに「13年間」就いており、国家主席だけ1993年から2003年まで「10年間」就いている。

その意味で、中共中央総書記および国家主席の就任期間「10年間」を正確に守ったのは、中国建国以来、「胡錦涛一人だけ」だったということが言える。

中央軍事委員会に関しても1982年末の憲法改正により国家中央軍事委員会が設立され83年からは「中共中央軍事員会と国家軍事委員会」が一つになり「中央軍事委員会」となったが、江沢民はこの中央軍事委員会主席を1989年(全人代では1990年)から2004年(全人代では2005年)まで「15年間」も務めている。

というのも、中共中央総書記にも中央軍事委員会主席にも任期期間に関する制限がないことを利用して、2002年に胡錦涛が中共中央総書記になったというのに、江沢民は中央軍事委員会主席の座を胡錦涛に譲らず、「駄々をこねて」降りようとしなかったからだ。

しかし反対者が多く、中共中央委員会では2004年に、全人代では2005年にようやく中央軍事委員会主席の座を胡錦涛に明け渡したのである。

その意味で、中央軍事委員会主席に関しては、誰一人「10年間」という期限を守っていない。胡錦涛は江沢民が任期内に食い込んできたために、二期で合計「8年間」しか主席でいることができなかった。

習近平は、鄧小平によって指名された最高指導者ではない。

その意味では、鄧小平によって指名されるという異様な事態を、「元に戻した」だけであるとも言えよう。

◆中国建国以来、鄧小平以上に独裁的だった者はいない

では歴代の指導者の中で、独裁度に関しては、どうだったのか?

毛沢東の「鶴の一声」が法律となるというほど人治国家であったことは、今さら言うまでもないだろう。

しかし、毛沢東はたった一人の国家主席(劉少奇)を、その座から引きずり下ろすために、わざわざ文化大革命(1966年~1976年)を引き起こすということまでして、引きずり下ろす正当性を求めようとした点は注目すべきだ。

それに比べて鄧小平はどうだろうか?

いったい何名の国家主席あるいは総書記(当時は中共中央委員会主席)を、鄧小平の一存で引きずり降ろしたか、それをしっかり認識している人は少ない。

拙著『習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』に書いたように、建国後、鄧小平が、毛沢東生存中は陰謀により、毛沢東死後は一存により、失脚に追い込んだ国家指導層あるいはその予定者は数知れない。その名前と時期を以下に列挙してみよう。

  • 1954年:毛沢東が後継者に考えていた高崗を、事実捏造により自殺に追い込んだ。 
  • 1962年:毛沢東が周恩来の後継者として大事にしていた習仲勲を、冤罪により失脚させた(16年間、軟禁・投獄・監視)。
  • 1980年:華国鋒を国務院総理辞任へと追い込んだ。
  • 1981年:華国鋒(中共中央主席、軍事委員会主席辞任)を失脚へ追い込んだ。
  • 1981年:華国鋒の代わりに自分の思い通りに動く胡耀邦を中共中央主席に就任させる(但し、1982年9月で中央主席制度を廃止し中共中央総書記制度に)。
  • 1986年:胡耀邦(中共中央総書記)を「気に入らない」として失脚させ、趙紫陽を後任に就ける。
  • 1989年:天安門事件のときの言動が気に入らないとして、趙紫陽(中共中央総書記)を失脚に追い込んだ。
  • 1989年:趙紫陽の代わりに、江沢民を鄧小平の一存で中共中央総書記・中央軍事委員会主席に指名した。
  • 1992年:胡錦涛を隔代指導者に、鄧小平の一存で決定した。

これだけの独裁ぶりを発揮した指導者がいただろうか。

いずれも中共中央委員会常務委員会多数決議決制度がある中での出来事だ。この制度は毛沢東時代からあった。そのような中での鄧小平の独裁ぶりは群を抜いている。

だというのに、鄧小平の老獪(ろうかい)な言動に騙されて鄧小平を神格化した日本政府は、「中国を孤立させてはならない」として天安門事件後の対中経済封鎖を積極的に解除させ、鄧小平を応援して今日の中国経済の繁栄と大国化を招いている。

◆鄧小平の神格化が招いた中国の経済繁栄

何度も同じ図を持ち出して申し訳ないが、中国の中央行政省庁の一つである商務部が『中国外資統計公報 2021』というのを出していて、その中に「対中投資企業数と外資実行額の変遷(1982-2020)」という図がある。

それを日本語に訳して文字調整などをしたのが以下の図表1である。

図表1:対中投資企業数と外資実行額の変遷(1982年-2020年)

中国商務部データを作者が日本語訳し編成

中国商務部データを作者が日本語訳し編成

日本が1989年の天安門事件発生後の対中経済封鎖解除に動き、1992年には天皇訪中迄実現させた成果が、赤線で示した中国投資に参入した新規企業者数で如実に表れている(2018年の赤線ピークは香港関連)。

恐るべきは、2017年にはトランプ政権が中国に制裁を加え始め、バイデン政権になってからも、あれだけ対中制裁を叫びながら、何のことはない、投資額は年々増えているではないか。コロナにもめげず増えている。

いや、アメリカや日本はそんなことはしてないはずだと言う人のために、念のために2020年における国・地域別の対中投資企業数と金額を見てみよう。

上記公報にある当該図表を新規企業数の多い順に並び変え、日本語に訳したのが以下の図表2だ。

図表2:対中投資新規企業数と実行額の国・地域別トップ15(2020年)

中国商務部データから作者が日本語訳して編成

中国商務部データから作者が日本語訳して編成

ご覧の通り、アメリカも日本も、キチンと対中新規投資をし続けているのである。ここでは引用しないが、2019年も同じだ。

これは鄧小平を神格化し、その姿勢で習慣づいてしまった対中投資が、どんなにアメリカが制裁を叫び、日本が「アメリカと一体である」かのごときポーズを取ってみたところで、減少することはないのを如実に示したデータである。

ちなみに、香港マカオは「中華人民共和国特別行政区」なので新規企業数が多いのは仕方ないとしても、あれだけ日米に寄り添おうとしている台湾が、香港に次いで多いことも注目される(台湾に関しては別の機会に論じる)。

◆「習近平三期目は異例」より注目すべきは「鄧小平神話」の罪悪

習近平は三期目以降を目指すため憲法改正まで行っているので、中国流ではあるものの、一応、憲法を重視しているということは言える。逆に憲法を改正するところまで持って行っているので、三期目以降は既定路線と考えていいだろう。

若者をはじめ中国の庶民は、「中華民族の偉大なる復興」を政権スローガンとして経済的にアメリカに追いつこうとしている中国共産党政権を、悪くは思っていない。むしろ「強い中国経済」に自尊心を刺激され愛国主義が行き過ぎて、ネット・ナショナリズムに向けて燃えている若者に習近平は手を焼いているくらいだ。

しかし日本は「習近平、異例の三期目」、「習近平の独裁強化」、「習近平の権力闘争と路線対立」あるいは「中国経済は今度こそ崩壊する」といった類のセンセーショナルな報道に飛びついて「安堵する」傾向にある。

気持ちは分からないではないが、現実とかけ離れた情報に喜び虚実空間に酔いしれている間に、世界の投資先は間断なく中国に向けて注がれており、中国共産党の一党支配体制を強靭にすることに貢献しているのである。

現実をマクロな視点で見るように、注意を喚起したい。

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。「中国問題グローバル研究所」所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授、北京大学アジア・アフリカ研究所特約研究員、上海交通大学客員教授などを歴任。著書に『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』(ビジネス社)、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤 誉 (著), 白井 一成 (著), 中国問題グローバル研究所 (編集)、実業之日本社)、『激突!遠藤vs田原 日中と習近平国賓』(遠藤誉・田原総一朗、実業之日本社)、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』(毎日新聞出版)、『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』(中文版・韓国語版もあり)、『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』、『卡子(チャーズ) 中国建国の残火』(中文版・英文版もあり)、『チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男』、『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。 // Born in 1941 in China. After surviving the Chinese Revolutionary War, she moved to Japan in 1953. Director of Chinese Issue Global Research Institute, Professor Emeritus, Doctor of Science at the University of Tsukuba. Member of the Japan Writers Association. She successively fulfilled the posts of guest researcher and professor at the Chinese Academy of Social Sciences. Her publications include “Inside US-China Trade War” (Mainichi Shimbun Publishing), “’Chugoku Seizo 2025’ no Shogeki, Shukinpei ha Ima Nani o Mokurondeirunoka (Impact of “Made in China 2025” What is Xi Jinping aiming at Now?), “Motakuto Nihongun to Kyoboshita Otoko (Mao Zedong: The Man Who Conspired with the Japanese Army),” “Chazu Chugoku Kenkoku no Zanka (Japanese Girl at the Siege of Changchun) (including Chinese and English versions),” “Net Taikoku Chugogu, Genron o Meguru Koubou (Net Superpower China: Battle over Speech),” “Chaina jajji — Motakuto ni narenakatta otoko (China Judge: The Man Who Couldn’t Become Mao Zedong),” “Chugoku Doman Shinjinrui: Nihon no Anime to Manga ga Chugoku o Ugokasu (The New Breed of Chinese “Dongman”: Japanese Cartoons and Comics Animate China),” “Chugogu ga Shirikonbare to Tsunagarutoki (When China Gets Connected with Silicon Valley),” and many other books.

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