1983年、長春の惨劇「チャーズ」に関して書いた筆者を世に出してくれたのは作家の佐藤愛子さんだ。そのころ来日していた中国人留学生たちも「チャーズ」の本を讃えてくれた。それがなぜ今では書いた人が犯罪者扱いされるのか?
◆女性の書き手を募った女性ヒューマン・ドキュメンタリー大賞
1982年夏、当時助手として勤めていた一橋大学の近くの電柱に「あなたの思いを百枚の原稿用紙に綴りませんか?」という広告が貼ってあった。自分の経験を書いてもいいということだろうか?
経験なら書ききれないほどある。世の中に訴えたいことも尽きない。
そもそも助手と言っても、一橋大学の場合は「研究室助手」と称して「女性に限る」という制限が付いていた。なぜなら「永遠に上に昇進することはない助手」というポストだからだ。「女性なら上に昇進できなくても文句はないだろう」という、とてつもない「女性蔑視の制度」がまかり通っていた時代のことである。
当時、博士学位を取得しても就職先がない「ポスドク」というのが流行っており、研究者の卵たちは行き先のない苦悩から自殺する者もいれば、タクシーの運転手になって生計を立てる者もいた。
そんな中、「上に昇進することはなくても、助手という研究職に就けるのなら」という思いから申請したところ、めでたく「研究室助手」という名の、「一応、研究職」に就くことができたのである。まだ1970年代のころだ。
一橋大学は日本共産党の根城(ねじろ)のようなもので、日教組系の教職員組合というのが幅を利かせていて、「組合員に非ずんば人に非ず」という雰囲気があり、おまけに組合に忠実でない者は「研究室助手集団」から村八分に遭う。その統率をしている教授の親分は、もちろん「日本共産党員」だ。
私は大学を辞めようかと思うほど「日本共産党員の子分たち」に虐められた。
「組合活動に熱心でなく、研究ばかりしようとしている」というのが理由であり、「生意気にも大学院の授業を代講している」というのも理由の一つだった。
その虐め方と糾弾は、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』の「延吉編」に書いた、北朝鮮に隣接する朝鮮族が多い延吉市にいた1950年前後の日本人社会を想起させた。
それを書こうか、それともいっそのこと、これまで黙ってきた「長春の惨劇」である「チャーズ」そのものを吐き出してしまおうか。
私は後者を選び、憑(つ)かれたように、一週間ほどで百枚の原稿用紙を全て埋めていた。
募集していたのは読売「女性ヒューマン・ドキュメンタリー大賞」カネボウスペシャル(日本テレビ放送網)という企画で、大賞をもらうと、日本テレビでドラマ化されることになっていた。
生まれて初めて書く原稿なので、もちろん自信などあるはずもない。しかし、研究室の壁に貼ってある「谷の鶯、歌は思えど、時にあらずと声も立てず」という手書きの紙を睨みながら、「地球に引っ掻き傷でもいいから、チャーズがあったということを残さずに死ねるか」という思いだけは強烈だった。
あまりに「不条理だ」という気持ちがあり、タイトルは「不条理のかなた」にした。
◆審査員だった作家の佐藤愛子さんの「正義感」
1982年の末、読売新聞社から電話があった。「不条理のかなた」が入賞したという。信じられない――!
この私が・・・・・・?
ただし、大賞ではなく「優秀賞」だが、それでもいいかという、奇妙な質問を受けた。
何賞だろうと、喜んで受けると答えると、相手も喜んでくれて、翌1983年の3月10日に発表し、授賞式があると告げられた。
その日、読売新聞は一面全てを使って新聞で発表し、ホテルニューオータニで授賞式に参加して、優秀賞を頂いた。授賞式には常陸宮妃華子様もご臨席なさり、華やかな受賞パーティでは親しくお話もさせていただいた。
その帰りのことだ。
審査員の一人だった作家の佐藤愛子さんが、私を呼び止めて「ちょっと時間があったら、お茶でも・・・」と誘ってくださった。
ホテルニューオータニの入り口右手にある喫茶店に入ると、「ちょっと、あなたねぇ、私は腸(はらわた)煮えくり返るような思いなんですよ―!」といきなり言われた。
「実はね!あなたの作品はずば抜けて優れているので、本当は大賞だったんです。ところがね、スポンサーのカネボウがね、お茶の間に流すドラマにするには残酷な場面が多すぎるので、2位の病人ものの作品を上に繰り上げて、あなたと二人に優秀賞をあげることにして、彼女の作品をドラマ化することになったのよ!」と、舞台裏を明かしてしまったのだ。
なるほど、だから82年の年末に読売新聞社から電話があった時に、「優秀賞でもいいですか?」と奇妙なことを聞かれたのかと、納得がいった。
何賞であれ、私としては生まれて初めて書いた作品が受賞したというだけでも嬉しくてならない。それほど怒ってない私に、佐藤愛子氏は言ってのけた。
――あのね、いい?この作品は普通ではないんです!こんな事実、戦後、引き揚げ者が大勢いて、たくさんの手記が出ましたが、この「チャーズ」ばかりは、今まで誰一人書いたことがない出来事なんですよ。わかってますか?しかも、あまりに衝撃的な内容なのに、あなたは冷静に分析していて、文章がうまい!私ね、保証します!この企画で受賞した人の中で、作家として生き残るのはあなた一人ですから!今にわかりますよ、見ててごらんなさいな!
それからほどなくして、読売新聞社から「チャーズを別途、一冊の単行本として出したいので、緊急に原稿を書いてくれ」という依頼が来た。読売新聞出版局の編集担当者からも舞台裏に関する同様の話を聞かされ、文字を扱う側としては、やはり「はらわた煮えくり返る」とのことだった。
◆その頃の中国人留学生は「チャーズ」の本を絶賛してくれた
こうして1984年8月に出版されたのが、『卡子(チャーズ) 出口なき大地』である。
同じ時期に中国人留学生が日本をめがけて突進するように来るようになり、日本は中国人留学生や就学生で溢れた。その内の日本語が読める人たちの中で、『卡子 出口なき大地』は高い評価を得られるようになり、「あれは実に感動的です。先生は非常に中立的に、事実をそのまま書いているので、感銘を受けました」と言ってくれる中国人留学生が多かった。日本語の分かる老教授も訪問研究者として来日しており、中には「中国語に翻訳したい」と申し出てくれる人さえもいた。
彼らの多くは文化大革命(1966~76年)を経験しており、中には毛沢東の大躍進政策(1958~61年)によって大飢饉を経験した年長者もいる。大飢饉によって餓死した人の数は正確な統計が取られておらず、3000万人ほど(1500~5500万人)が餓死したと言われており、そのときにどれだけ残虐なことが日常茶飯事のように行われたかを経験している人もいた。文化大革命の時も、内部抗争によって殴り殺した相手の一派の人を包丁で切り刻んで食べたという「事件」を身近で経験した人もいて、私が書いた本の中で出てくる「この世ならぬ場面」を、「実際にあったことと信じる」と多くの中国人留学生や中国人の訪問学者が言ってくれた。
1947年から48年にかけて、長春でどのようなことが起きたかに関しては、6月27日のコラム<許せない習近平の歴史改ざん_もう一つのジェノサイド「チャーズ」>に概略を書いた。
◆なぜ「チャーズ」を書いた人間は逮捕されるようになったのか
6月28日のコラム<もう一つのジェノサイド「チャーズ」の真相を書いた中国人は次々と逮捕される>に書いたように、1989年の天安門事件以降に「チャーズ」に関する本を書いた者は逮捕されるようになった。
習近平政権に入ってからは、私がこれまで何十年も連絡し合ってきた数知れぬ多くの民主活動家との連絡も全て検閲にかかって連絡先が削除されるようになり、もう誰がどこでどのように生きているのかさえ分からなくなっている。
天安門事件で犠牲になった「天安門の母たちの会」もあったが、自分の息子や娘が天安門事件で、中国人民解放軍の砲弾で命を落としたとか、戦車に轢かれて身障者になってしまったなどということに関して訴えるのは「罪」なのである。
中国人民解放軍が非人道的なことをして、その実体験を持っている人は、黙っていれば何とか生きていけるが、その事実を書いたり訴えかけたりすると、それは「犯罪者」になっていく。
なぜか――?
中国共産党による一党支配体制を維持していくためには「中国共産党の汚点」を指摘する者がいてはならないからだ。
中国共産党は「人民の味方」で、「人民の経済生活を向上させることができる唯一のすばらしい党である」ことを礼賛しなければならない。それを否定するような要素があってはならないのである。
本来ならば、間違いは間違いと認めて謝罪し改善していけば、もっと人民の信頼を得て「より強い党」になっていけるはずだが、それができないところに中国共産党の限界があり、中国という国家の限界がある。
今はネット時代なので、情報の拡散速度が速く、拡散する量も範囲も尋常ではない。だから、いっそう言論統制を厳しくしている。
1989年の天安門事件の後、日本が対中経済封鎖を解除したため、中国は本来ならあの瞬間に崩壊するはずだったのに、日本は中国の崩壊を食い止めただけでなく、爆発的な経済繁栄を可能ならしめた。2010年以降、日本を超えて世界第二の経済大国となった中国は、次に待っている米中覇権競争を自覚し、世界制覇できるために中国共産党の非人道性を指摘されないように必死だ。だから「チャーズ」の事実も薄めて抹殺しようとしているのである。そのため「天安門の母」たちも、「チャーズ」を実体験した生き証人も、その事実を取材して書いた人も、みな「犯罪者扱い」となる。それが中国共産党だ。
◆「あれは、もうひとつのウクライナよ」
これまで何度か「チャーズ」の復刻版を出版させていただいたが、すべて絶版になってしまい、読みたいと仰ってくださる方のご要望にお応えすることができなくなっていた。
一方で、ウクライナ戦争の凄惨な場面を見るにつけ、長春の実体験が思い出されて、PTSD(Post Traumatic Stress Disorder、心的外傷後ストレス障害)が蘇り、さまざまな症状と闘う日々が始まった。
書くことはPTSDを客体視させてくれる、何よりの治療法だ。
そのために、もう一度「チャーズ」と向き合うため、再度復刊させていただくことになった。
本のタイトルを『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』とすることを佐藤愛子さんに報告すると、「あ、それ、いいですね!そうよ、あれは、もうひとつのウクライナよ!」と仰ってくださったので、帯に「これは、もうひとつのウクライナだ」という言葉を入れさせていただいた。
「もっともねぇ、中国のあのやり方はねぇ、何と言いますか、文化が違うって言いますかね・・・、もっと凄惨ではありますけどね・・・。ま、いずれにしても、何と言ってもあなたはそれを体験したんだから、その人がまだ生きていて書き続けているんだから、そりゃ、あなた、凄い話ですよ。頑張ってくださいな!」と、98歳になられた、私の尊敬する、知性的で気品のある佐藤愛子さんは、相変わらず「威勢のいい声で」付け加えてくださった。
今になって思うに、1983年の読売女性ヒューマン・ドキュメンタリー大賞の時に、私の書いた「チャーズ」(「不条理のかなた」)がそのままドラマ化されていたら、その後の私の執筆活動はなかったかもしれない。
人生は何が幸いするかわからないものだ。年月を重ねれば重ねるほど、辛くて死にたいと思ったほど苦しんだことが、ずーっと後になって幸いしてくることもあると、つくづく思う。
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