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習近平には後継者がいた⁈
三期目の習近平と新チャイナ・セブン(丁薛祥は左下)(写真:ロイター/アフロ)
三期目の習近平と新チャイナ・セブン(丁薛祥は左下)(写真:ロイター/アフロ)

今年3月5日から始まる全人代で三期目の習近平政権が始まる。習近平には後継者がいないとみなされているが、必ずしもそうではない。党人事選出プロセスの解読により、いざという時の後継者がいたことを突き止めた。

◆丁薛祥(党内序列6位)の履歴がおかしい!

昨年10月の第20回党大会閉幕後の一中全会(第一次中央委員会全体会議)で選ばれた新チャイナ・セブン(中共中央政治局常務委員会委員7人)の来歴を調べていたところ、丁薛祥(ていせつしょう)の履歴がどうもおかしいことに気が付いた。

丁薛祥は、習近平が最初に中共中央総書記に選出された2012年11月の第18回党大会・全国代表の「代表」にさえ選出されていないのだ。それなのに第18回党大会で中共中央委員会・候補委員には選ばれている。おまけに半年後の2013年5月には中共中央弁公庁副主任兼中共中央総書記弁公室主任に抜擢され、それ以降は「習近平のいるところ、丁薛祥あり」と言っても過言ではないほど習近平の影のように寄り添っている。

そして第20回党大会一中全会では新チャイナ・セブンの一人(党内序列は第6位)として選ばれた。

党大会にも参加できなかったような者が、なぜこれほどの異例の大出世を遂げたのか。この謎解きができなければ、今般の新チャイナ・セブンに関する正確な分析は絶対にできない。夜を徹しての謎解きが続いた。

結論から申し上げると、習近平はこの丁薛祥をいざという時の後継者と考えている可能性が高い。

なぜそのようなことが言えるのか、それこそが「中国共産党の奥義」であり、これまで誰も解き明かしたことがないので、ここに図表としてご披露しよう。

◆党大会に向けての党幹部選出プロセス

以下に示すのは、第20回党大会に向けて、中国を率いる党指導部を形成する党幹部人事を選出するためのプロセスである。5年に1回開催される党大会では、同様のプロセスを踏むので、2012年の第18回党大会で何が起きたのかを理解するために、最も近くに行われた党幹部推薦リストの決定プロセスを時系列的に示す。

図表:第20回党大会に向けての党幹部の選出プロセス

筆者作成

第20回党大会の代表選挙は2022年7月に終わったが、その代表を選ぶための手順やルールに関しては、2021年3月から「党大会幹部考察指導グループ」を立ち上げて党幹部を選出するための作業に入っている(図表「1」)。

この「党幹部」が、党大会最終日で選ばれる「中共中央委員会委員&候補委員、中央紀律検査委員会委員」レベルまでを指しているのか、それとも一中全会で選ばれる「政治局委員や政治局常務委員」までをも含めるのかがポイントで、図表の「5」から「7」に至るプロセスを見ると、「党幹部」には「政治局委員や政治局常務委員」までを対象としている可能性が極めて高いことが窺(うかが)える。

なぜなら「習近平自身が30人もの人と直接面談をして相談し、人選を検討している」からだ。

これは非常に肝心なので、北京にいる高齢の「老幹部」に確認を取ることにした。すると、以下のような回答が戻ってきた。

――習近平自身が30人に直接会って相談しているというのは、政治局委員だけでなく政治局常務委員など最高指導部の人選に関する相談をしていることを意味する。それ以外の何ものでもない。しかも相談する相手の中には必ず前政権の「元老」を含めている。つまり今回は、胡錦濤や温家宝などが、「会って相談した相手」の中にいるということだ(回答ここまで)。

やはり「習近平自身が直接会って相談している」というところがキーポイントになるようだ。

そして政治局常務委員会会議(図表「8」)と政治局会議(図表「9」)が人選の決定段階となる。

ここに「裁量権」が入るのだという。

この段階は党規約にも制限を設けていないことからも「裁量権」が働くのだと、老幹部は付け加えた。

しかし、図表の「10」以降には裁量権は働かない。

なぜなら、主席団に渡してしまうからだ。それが人事の要となる。第20回党大会における胡錦涛退席分析のカギは、ここにある。なぜなら胡錦涛は主席団常務委員会の一人だからだ。

この決定のプロセスを、2012年の第18回党大会に当てはめると、丁薛祥の重要性が浮かびあがってくる。

◆丁薛祥の場合

丁薛祥は実は2012年5月に上海で部下の不祥事があり、上海市政法委員会書記の任に就かなければならなかった。

一方、中央では、胡錦濤(この時点ではまだ国家主席)が信頼していた令計画(党中央弁公庁主任)の大規模汚職事件が発覚し、失脚する出来事が起きていた。そのため急遽適材を充てがわなければならなくなったとき、胡錦濤政権で国家副主席を務めていた習近平が、「それなら是非とも丁薛祥を呼びたい」と胡錦濤に申し出て同意を得たので、同年7月に丁薛祥に連絡したところ、なんと丁薛祥は、それを断ったのである。

わずか2ヵ月で政法委員会書記のポストを放り投げることはできないというのが理由だったが、習近平としては「中央への出世欲よりも地元における責任を重んじた丁薛祥の責任感」に感動したのだ(当然、丁薛祥は党大会の代表になることも断っている)。

このとき習近平は国家副主席として胡錦濤政権のチャイナ・ナイン(政治局常務委員会委員9人)の一人(党内序列6位)だったから、政治局常務委員会会議(図表「8」に相当)の段階において「丁薛祥を中共中央委員会候補委員に推薦したい」と発言する権利を持っていた。

誰もが次期政権の総書記は習近平であると認識していたので、習近平の提案は承諾・賛同を得て、政治局会議(図表「9」に相当)の段階で決まったものと判断される。

中共中央委員会委員もその候補委員も、「選出される側」は党大会の「代表」である必要はなく、この段階で候補者をノミネートすることができる。

但し、「選挙権」は党大会の「代表」しか持っていない。

その大原則と図表で示した党幹部選出プロセスの基本ルールにより、党大会の代表でもなかった丁薛祥が、中央委員会候補委員に選出されることができたのである。

では、なぜそんなにしてまで習近平は丁薛祥を欲しがったのだろうか?

◆習近平は丁薛祥を後継者に考えている?

丁薛祥と習近平が上海市で接していた期間は、2007年3月~10月と、わずか7ヵ月間でしかない。

しかし丁薛祥は根っからの科学技術エリアのテクノクラートだ。ひたすら科学技術の重要性を説き、科学技術方面の業務に従事してきた。

習近平がハイテク国家戦略「中国製造2025」に手を付け始めたのは2012年12月で、11月15日に中共中央総書記になった直後のことである。

拙著『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』に書いたように、2012年9月の反日暴動が直接のきっかけにはなっているものの、しかし「ハイテク国家戦略」という大きな国家枠組を総書記になった瞬間に思いつくはずもなく、おそらく上海にいた期間に丁薛祥に啓蒙され、国家副主席期間に練っていたものと考えられる。

いま中国がアメリカと勝負するにはハイテク分野を強化するしかない。

となると、丁薛祥はこれまでの習近平10年間の執政にも、これからの執政にとっても欠かすことのできない人物ということになろうか。

その結果、丁薛祥は第18回党大会で中共中央委員会候補委員になり、今回の党大会でチャイナ・セブンまで上り詰めていったのだろうと判断される。

このように「破格の飛び級」的なことをさせる人物は、習近平自身がそうであったように、「特別の目的」があって飛び級をさせるという傾向にある。

そうでなくとも丁薛祥の場合、飛び級のさせ方が尋常ではないので、まだ60歳という新チャイナ・セブンでの最年少者であることも考えると、やがて習近平の後継者、あるいはいざというときの「代理人」になっていくのではないかと推測されるのである。

なお、この詳細に関しては拙著『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』の第一章で述べた。第一章では、胡錦涛退席の詳細についても、この図表を基に解説している。

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。「中国問題グローバル研究所」所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』(ビジネス社)、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』(PHP新書)、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』(実業之日本社)、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略 世界はどう変わるのか』(PHP)、『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』(ビジネス社)、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(遠藤 誉 (著), 白井 一成 (著), 中国問題グローバル研究所 (編集)、実業之日本社)、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』(毎日新聞出版)、『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』(中文版・韓国語版もあり)、『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』、『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。2024年6月初旬に『嗤(わら)う習近平の白い牙』(ビジネス社)を出版予定。 // Born in 1941 in China. After surviving the Chinese Revolutionary War, she moved to Japan in 1953. Director of Global Research Institute on Chinese Issues, Professor Emeritus at the University of Tsukuba, Doctor of Science. Member of the Japan Writers Association. She successively fulfilled the posts of guest researcher and professor at the Institute of Sociology, Chinese Academy of Social Sciences. Her publications include “Inside US-China Trade War” (Mainichi Shimbun Publishing), “’Chugoku Seizo 2025’ no Shogeki, Shukinpei ha Ima Nani o Mokurondeirunoka (Impact of “Made in China 2025” What is Xi Jinping aiming at Now?), “Motakuto Nihongun to Kyoboshita Otoko (Mao Zedong: The Man Who Conspired with the Japanese Army),” “Japanese Girl at the Siege of Changchun (including Chinese versions),” “Net Taikoku Chugogu, Genron o Meguru Koubou (Net Superpower China: Battle over Speech),” “Chugoku Doman Shinjinrui: Nihon no Anime to Manga ga Chugoku o Ugokasu (The New Breed of Chinese “Dongman”: Japanese Cartoons and Comics Animate China),” “Chugogu ga Shirikonbare to Tsunagarutoki (When China Gets Connected with Silicon Valley),” and many other books.

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