はじめに
中国共産党第十八回全国代表大会(十八大)以来、毎年春節を迎えるこの時期になると、三農(農業・農村・農民)の取り組みを指導する「中央1号文書」が発表される。2024年2月3日には、「農村の全面的振興を精力的かつ効果的に推進する『千村モデル、万村整備』プロジェクト(千万プロジェクト)の経験に学び、応用することに関する中国共産党中央委員会と国務院の意見」と題する文書が新華社通信により報道された。
この文書は6つの主要項目と28の具体的政策からなり、国の食糧安全保障の確保、大規模な再貧困化発生の防止、農村産業の開発促進、農村建設基準の向上、農村ガバナンスの拡充、そして中国共産党の「三農」活動に対する全面的リーダーシップの強化といった側面を取り上げている。
全体としては、「二つの保証」「三つの向上」「二つの強化」という枠組みに集約される。「二つの保証」とは食糧安全保障を確保し、大規模な再貧困化の発生を防止することである。「三つの向上」とは、農村産業の発展レベルの向上、農村建設レベルの向上、農村ガバナンスレベルの向上である。「二つの強化」では、科学技術と改革という二本柱を強化して、農民の所得向上への取り組みを強化することに重点が置かれている。
具体的な目標は、農村の全面的振興を確実に成し遂げ、暮らしやすく働きやすい美しい農村を創造し、農業と農村の現代化を加速することによる、中国式近代化路線の推進である。
本論では、2024年発表の中央1号文書で強調された「千万プロジェクト」の戦略、課題、影響を考察し、農村の全面的振興の方法としての有効性と、多様な地域への適用の可能性について評価する。
「二つの保証」に対する批判
「二つの保証」については、中国ウォッチャーから疑問の声が上がっている。まず「食料安全保障の確保」に関する疑問である。中国共産党は食糧備蓄データを国家機密扱いとしており、一度たりとも公表していない。習近平は「中国人の飯椀には中国産の食材が入っている状態を確保しなければならない」と、2023年の中央1号文書においても中国を食糧の生産大国にすることを目指していた。だが、多様な食糧供給網に対する基本方針を見ると、中国が近代的な農業・穀物大国を目指すとした2024年にあっても変化が見られない。
それから、「大規模な再貧困化の発生防止」に対する疑問である。中国共産党の主張によれば、2020年には計画通り「貧困撲滅任務」が完了し、農村の貧困はすべて解消され、貧困に苦しむ全ての県(地方)から「貧困」のラベルが消えたという。2021年2月には改めて、貧困との闘いにおける「完全勝利」を宣言し、1億人近い農村の低所得層が貧困から脱却した、としている。
しかし2023年の経済データを見ると、沿岸部へ出稼ぎに出る労働者の勤労機会や収入は減少している。家畜類や農作物の価格は急落し、低所得の農民は極度の貧困に喘いでいる。外部からの批判にもかかわらず、政府関係者は大規模な再貧困化の発生防止こそが農業・農村の取り組みにおける譲れない課題であると主張してやまない。そのため、政府の発信が本当に公約であるのか、それとも貧困撲滅の成功という建前を維持し、国民感情を安定させようとする意図なのかという懸念が生じている。
浙江省プロジェクト-農村の全面的振興モデル
2024年の中央1号文書の表題からは、「千万プロジェクト」から学ぶことに重点が置かれているのが見て取れる。千万プロジェクトは、習近平が浙江省党委書記在任中に自ら企画・推進したものであり、農村部の環境改善を皮切りとして、個々の事例からより大規模なものへと範囲を拡げ、農村の全面的振興を目指すものへと発展した。
20年以上にわたる絶え間ない努力の末、千万プロジェクトは浙江省の農村部全体の景観を大きく様変わりさせただけでなく、農村の全面的振興を進める上での先駆的な探求となり、他への模範ともなった。浙江省のプロジェクトは農村の全面的振興の方法とみなし得るものであり、全国の諸地域にとって貴重な参考事例となる。
「ロードマップ」という用語は、国連が掲げる17の「持続可能な開発目標」(SDGs)など、国家や地方の開発に関する研究において広く使われている。SDGのアプローチは各国に対し、今後5~10年間に国家開発のさまざまな段階で生じる問題について、緊急性に基づき優先的に取り組み、戦略的に設計された開発戦略に即して問題に対処するよう奨励している。
農村の全面的振興を推進するためのロードマップは3段階に分かれており、それぞれの段階で地域の指導者や役人が問題に取り組み、具体的な目標を達成することが求められる。例えば、「農村産業の発展」段階では4つの達成目標が、「農村建設」段階では6つの達成目標が、「農村ガバナンス」段階では4つの達成目標が設定されている。
中国農業農村部のある指導者は、「農村の状況は地域によって千差万別であり、自然条件、地域の習慣、発展レベル、労働基盤もまた大きく異なっていることを、(地方の指導者や役人は)認識しなくてはならない。プロジェクトの経験に学び応用する場合、現地の状況に合わせて行うことが必要であり、画一的なアプローチや柔軟性に欠けた導入は避けるべきだ」と力説する。
そのため中央1号文書でも、「現地の状況に合わせた対策、的を絞った対策の実施、段階的な実行、長期的な成功の実現」が強調されており、社会が実感でき、かつ目に見える具体的な取り組みに注力し、継続的に実質的進展を遂げ、段階的に成果を出すことに重点が置かれている。
農村の全面的振興は県レベルで実施される。2022年の時点で、中国国内には2,843の県級行政単位(1,301県、117自治県、394県級市、977市直轄区)が存在する。県内の行政センターである県政府であれば、比較的豊富な資源と人材を有しているのが一般的であり、プロジェクトの実行能力が高い。
農村の全面的振興、その3段階における課題
「農村産業の発展」の段階においても、農村の生態学的環境改善を始めとして同プロジェクトの手法を適用できる。ここでの目標は、農村における第一次産業、第二次産業、第三次産業の生産能力を強化し、農産物の流通加工メカニズムを最適化して、農産物販売による農民の所得を向上させることにある。生態保護レッドライン内に位置する県については、中央政府が当該地域をレッドラインから外すよう望むだけでは十分とは言えず、むしろ、諸々の制限を乗り越えて農村が特色ある産業を発展させる努力をするべきだろう。
農村産業の発展が一定レベルに達した県は、「農村建設」の段階に移行し、道路、水道、エネルギー、物流、情報技術などのインフラを含め、ハードおよびソフトの両面で農村の改善を行うことになる。2024年の中央1号文書でも、電気自動車のトレンドにならって「農村部における新たな分散型エネルギーの開発推進、そして主要な自治体における新エネルギー車向け充電・バッテリー交換施設の計画や建設の強化」が盛り込まれている。加えて教育、医療、保険、高齢者介護のサービスについても拡充が必要だ。ハード面にあたるインフラや公共施設の改善は比較的実現しやすいが、ソフト面のサービスや文化的発展、生態系に配慮した形での文明化を推進するためには、より多くの人材や機関による協力のもと、県政レベルで都市と農村の一体的な発展を促進することが不可欠だ。
東部の沿岸地方や大都市近郊にある県など、すでにインフラやサービス機関の整備が済んでいる地域は、「農村ガバナンス」の段階に進むことになる。農村の発展推進、農村の文化的発展、安全な農村の建設、風俗改善などに関する中国共産党の指令を遵守することに加え、農村の全面的振興プロジェクトには、より多くのガバナンス専門家の投入が必要だ。2024年中央1号文書では「農村活性化人材支援計画」の実施を指示しており、地方の人材育成を強化し、様々な専門技術を持つ都市部の人材を農村で活躍できるよう指導し、農民全体の質を総合的に向上させ、都市と農村の調和と共同繁栄を促進する必要性を強調している。
その他の注目ポイント
2024年の中央1号文書では、農業生産にみられる地域開発の不平等という問題も取り上げ、主要穀倉地帯に対する補償メカニズムの提案を行っている。内モンゴル自治区、吉林省、黒龍江省、安徽省、河南省という5つの主要穀物生産地域で、試験的プログラムの実施が予定されている。主要産地と主要消費地の双方における穀物生産、流通、消費などの要素を考慮して、後者から前者へ財政支援が行われ、主要穀物産地の損失防止を実現するため水平補償を促進すると共に、産業、人材、技術サービス面での協力範囲を拡大する。
農業労働、農村労働を推進するにあたっては、農家の収益向上が重要となる。そのため、生産資材に関する補助金の連携、調整が行われるほか、農村労働者への賃金未払い防止努力の強化、高齢の農業従事者の雇用支援、農家の財産権強化策などが行われる。また同文書では、農村部で包括的な高齢者介護サービスシステムを構築し、地域の実情に合わせた地域高齢者介護サービスセンターの建設を奨励し、高齢者の食事支援や共済サービスなどの取り組みを推進することの必要性も強調されている。
まとめ
2024年の「中央1号文書」では、農村の全面的振興のための明確なロードマップの概要に加えて、「好ましい」「効果的な」KPI指標も示された。期待通りの成果が実現するか否かについては、いましばらくの観察と検証が必要になる。だが都市部における現在の厳しい雇用環境を見るにつけ、中国共産党が農村の全面的振興のためのロードマップを県レベルで推進することで、都市部に出ていた出稼ぎ労働者の帰還が促されるほか、外資の撤退、民間企業の不況、都市部の若者の失業をめぐる問題への対処にもつながるはずだ。様々な専門技術を持つ都市部の人材を、農村部へとうまく誘導できるかどうか、引き続き注目していきたい。
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