一、
台湾人は、もう自分の「香港問題」を真剣に考え始めなければならない。これは、人権、自由などの普遍的価値に基づいた香港への関心であるが、台湾の国益のためでもある。また、香港問題が展開するにつれて、「〈台湾独自の〉香港問題」も形成しつつあり、その過程と帰結を注意深く観察する必要があるからである。
二、
台湾人は、今まで香港問題に関心を抱いてきた。特に「香港国家安全維持法」(いわゆる「香港国安法」;正式名は「中華人民共和国香港特別行政区国家安全維持法」)採択後は、なおさらそうである。その主な理由は、この法は香港人のみならず、台湾人にも適用され得るからである。「香港国安法」が台湾とも関係する以上、台湾人も香港の将来を憂慮しなくてはならない。
それは、世論調査の結果に明確に反映されている。例えば、台湾の「中華亜太菁英協会」の調査によると、56%の台湾市民は、「香港国安法」が香港の一国二制度を破壊する、と考える。[1]また、「台湾民意基金会」の世論調査(2020年6月22日発表)では、76%の台湾市民が香港の将来を悲観視しており、「楽観的」と答えた12.2%を大きく上回る。[2]台湾人は、香港の将来に悲観的であるのみならず、北京当局の強権が香港に及んだのを目の当たりにして、自分の運命を真剣に考えさせられ、「台湾は<香港No.2>になることはないか」と憂慮している。
言うまでもないが、香港と台湾は違う。前者の運命は、北京とロンドンが決めたものであり、現在も北京が決める。これとは対照的に、今日の台湾では、指導者は自ら選出し、自分の運命は自分でコントロールするのである。
しかし、北京にとっては、いずれも中華人民共和国の一部かつ不可分の国土であり、「一国二制度」を施行すると宣言した地域である。香港の自由と民主主義が北京によって抹殺されるのを目撃した台湾人は、「今日の香港は明日の台湾になる」ことを危惧する。また、台湾に居留している香港人にしても、台湾にいながら、台湾での言動が「香港国安法」に違反しないか、もし違反するならそれでひどい目に遭うことはないか、と憂慮するようになってしまっている。
三、
台湾人にとって、香港の「一国二制度」を破壊した「香港国安法」は、政治的立場からも人道的立場からも、到底受け入れ難いものである。
いままで北京は、台湾(特にビジネス界)への優遇政策を発表してきた。でも、2020年の台湾国政選挙の結果を見れば、北京の予期した効果がなかった。そして、今後台湾の政府も市民も、中国の台湾優遇政策(いわゆる恵台政策)を拒否するだろう。「今日の香港が明日の台湾にならない」ように、台湾は中国の武力恫喝に対してより強く抵抗する。台湾国内では、蔡英文政府の両岸政策と国防政策に対する支持が、更に強まるように考えられる。
また、国際社会の目には、中国付近に位置し、中国の脅威に抗してきた台湾は、特殊で重要な存在と映っている。安全保障の面において、国際社会は台湾をかつてないほどに注意深く見守っており、とくにアメリカは、先端武器を台湾へ売却して協力を強めようとしている。皮肉にも中国による軍事的脅威が高まるほど、台湾はかえって今までよりも安全なところとなっている、と言えなくもない。
四、
香港人から見て、台湾は安全な避難港であるはずだ。「香港国安法」の議決を受け、台湾移民を考えるか決意する香港市民が増えてきている。フォーリン・ポリシー(Foreign Policy)誌の世論調査(調査期間:2020年6月22~26日)によれば、「香港国安法」制定後、移民を考える香港市民が5割にも達するという。そのなかで台湾を選ぶのが最も多くて3割を占める。[3]
台湾政府(行政院内政部移民署)の統計によると、2019年台湾に居留(長期滞在)する資格を取得した香港人が5858人で、それは2018年の4148と比べて41.4%増となる。そして、定住資格の取得者数は、2019年は1474人となり、2018年の1090人と比較して35%増となる。[4]
ちなみに、台湾に戸籍を置いた香港・マカオ出身者数の統計がある。2019年の時点で台湾全土で11009人であり、2018年と比べて1460人の増加となる。また、六つの直轄市(いわゆる六都)に限ってみても、過去数年は下表の通りで増加傾向にあり、2019年の時点では、9318人となる。香港やマカオ人が台湾に移住する場合、六都に集中する傾向が伺える。
表:台湾に戸籍を置いた香港・マカオ出身者数:都市別
|
2017年 |
2018年 |
2019年 |
台北市 |
1964 |
2148 |
2418 |
新北市 |
2164 |
2442 |
2774 |
桃園市 |
826 |
965 |
1126 |
台中市 |
945 |
1138 |
1392 |
台南市 |
377 |
429 |
496 |
高雄市 |
813 |
945 |
1112 |
全国 |
8428 |
9549 |
11009 |
六都のなかで最も多いのが新北市で、とくに新北市の淡水区と林口区が一番多い。生活費が安く交通の便(とくに電車=MRT)があり、そして台北に近いなどが主な理由である。
また、香港人移民者の数を職業別に見れば、同様に増加傾向が見て取れる。[5]
表:台湾の香港人移民者の数:産業別
|
2018年 |
2019年 |
卸売業・小売業 |
410人 |
886人 |
専門家、科学・技術専門 |
117人 |
204人 |
情報・通信・マスコミ |
93人 |
131人 |
宿泊業・飲食サービス |
59人 |
74人 |
金融・保険業 |
43人 |
65人 |
五、
なお、眼を台湾側に転じると、台湾社会はまだ香港人移民者を迎える心理的な準備ができていないようだ。「台湾民意基金会」(前出)の調査から、台湾人は50.5%が「賛成しない」で、「賛成する」と答える41.5%を上回ることが分かった。
筆者が知っている限りでは、香港人の台湾移住(もしくは在台香港人の数の持続的増加)にたいする台湾人側の反応・意見については、台湾政府は世論調査を行っていないようだ。なお、香港移民が増えるにつれて、台湾社会の反応を探知するための調査が、今後必要となろう。移民が増えると、台湾の経済も社会も政治もその影響を免れないのである。
(一)経済面
日本と同じく、台湾も少子高齢化社会に転じている。そこで、もし香港の技術者が多数台湾へ移民するなら、台湾の経済発展に利すると考えられよう。台湾政府は、すでに香港エリート誘致に動き出している。特に金融産業に関して、投資業務、高レベルのウェルス・マネジメント、フィンテック、および新しい金融商品の開発・設計という四つの分野における高度な人材の誘致策を打ち出した。
香港からの人的流入を期待するのは、教育産業についても同じである。もし香港の若者が台湾で留学すれば、少子化に襲われて財政的に苦しんでいる台湾の大学(特に私大)は、財政苦が多少軽減される。ここ数年、少子化に喘いで学生募集難で閉校を余儀なくされた大学は、すでに数校あった。
運営停止を避けるため、学生欲しさに中国側といわゆる「一つの中国承諾書」を調印した大学もあった。「一つの中国承諾書」とは、中国の大学から学生を招聘するにあたり、授業で政治的に敏感なイシューを扱わないなどと保証する書類である。もちろん私大にすれば、「承諾書」の調印はやむを得ない。しかし、それは台湾では不可避的に政治的問題となったため、批判を招いてしまった。なお、大学側が学生をどれだけ喉から手が出るほど欲すかが、このことからもうかがい知れる。
こうしたなかで、香港人移住によって台湾の大学は少しでも学生を増やすことができれば、これ以上ありがたいことはないだろう。また、アメリカの例からもわかるように、優秀な香港人学生は、台湾地元の学生にとって刺激となり得て、学問の水準向上につながるように思われる。卒業後台湾に残って就職する優秀な留学生は、優れた労働力にもなるなずだ。
(二)政治面
なお、政治面での影響となると、経済面ほど楽観的でなくなる。香港人の台湾移住は、中・長期的には政治面で衝撃が生じうるからだ。すなわち、在台香港人がある程度増え、しかも市民権を取得するようになれば、香港人集団は、一つの票田となり、選挙を通して台湾政治に影響を与えることができる。
前述した新北市・林口区を例に挙げてみよう。林口区の人口は、約12万人で、その中で有権者が約7万人である。そのなかの2万票さえ掌握できれば、区長選挙の結果を左右できよう。台湾移住希望の香港人が全員林口を移住先として選ぶわけでなくとも、いまの移住スピード、そして林口の地理的な条件(首都近辺)などを考えると、それは杞憂でないかもしれない。
実際、台湾の政界では香港人の影響力を考える現象は、すでに起きているようだ。この面において、先日台北のある講演会が注意に値する。馮淬帆という台湾に32年間も定住している元香港映画男優が、国民党から招かれて談話を行った。談話の内容はともかく、馮の知名度によって講演会がマスコミから大々的に報道されたこと自体は、国民党にとって十分な宣伝効果があろう。
香港人が台湾政治に影響力を及ぼすかのような例は、ほかにもあった。杜汶澤という男優の、香港政府による高圧政治への反対・抗議を隠さない姿勢は、台湾でもよく知られる。2017年に台湾のあるコンサートで吐いた「香港はもう負けたから、台湾も負けてはいかん」という言葉が、いまでも時々マスコミから取り上げられる。
ここで重要なのは、これらの俳優や芸能人の台湾政治への支持傾向である。馮氏が野党・国民党に近いのに対して、杜氏と黄氏は与党・民進党のほうに近いとされる。2019年、杜氏が民進党のFacebookでの「票を国民党に入れたら、台湾は香港になるぞ!」との書き込みは、ニュースで報道された。[6]もう一人の香港俳優・黄秋生(アンソニー・ウォン)も香港デモへの支持を表明しており、関連発言は台湾でもよく報道される。それで、彼が台湾移住を計画していることは、台湾で大きなニュースとなってる。
杜氏は、先日台湾の立法委員・林昶佐(フレディ・リム)が司会するネット・ライブ活動にも参加した。[7]
こうして見てくると、香港人の政治的影響力はすでに台湾の政治家が無視できないものとなっている。今後、選挙シーズンが巡るごとに、香港人の存在は、スポットライトを当てられるかもしれない。
でも、そこにはいくつかの問題が潜んでいる。
台湾でのプレゼンス、そしてマスコミの宣伝効果などは、香港人とくに活動家にとってチャンスである。ただし、そもそも台湾の社会には台湾主体派や親中派などの政治的対立(よく「独立VS統一」の対立と解される)が存在している。香港人の中にも、香港支持派と北京支持派の対立がある。もし台湾地方の区長選挙のような台湾地方政治にたいする在台香港人の影響力が増え、そして、それと同時に在台香港人の中の政治的対立が起こるようになれば、両者が連動して台湾政界の不確定要素が増える可能性がある。
さらに言えば、もしそれを機に中国が台湾に影響を及ぼそうとすれば、在台香港人の内部対立も、利用しうる一つの切り口となろう。実際、去年、香港民主化運動は、台湾の大学の中で、香港人留学生グループと中国人留学生グループの間に対立抗争を起こしていたのだ。
そこで台湾政府としては、やや複雑な立場に置かれた。一方では、それを無視して介入しないわけにはいかない。しかし他方では、もし台湾政府がそれを裁けば、形勢不利と判断する側は、自身の立場に近い台湾政治家の力を借りて、加担してもらうかもしれない。こうなると、移民陣営内部においても台湾社会内部においても対立がエスカレートしてしまう。台湾政府は「香港人集団内部の<香港支持派VS北京支持派>」、「台湾社会内部の<香港支持派支持VS北京支持派支持>」、「台湾政界内部の<反中派VS親中派>」、という「それぞれ独立するはずだが、お互いに連動しがちな」三種類の対立を前に、更に手を焼くだろう。在台香港人の急増を背景に、少なくとも「いかに北京当局による在台香港人の政治的利用を避けるか」は、今後台湾政府の重要な課題となろう。
(三)社会(社会秩序)面
また、前出の世論調査からも分かるように、香港人移入にたいして慎重な台湾人がいる。台湾市民を香港人受け入れ躊躇に追いやる理由の一つは、社会秩序問題への考慮にあるように考えられる。
まず、中台対立との関連で考えれば、「もし亡命を理由に台湾へ来た香港人は、本当は台湾社会の撹乱を行う中国共産党の『第5列』(スパイ)だったら、どうする?」、という台湾社会の心配が存在する。近年「第5列」については、その存在こそ確認・公表されてはいないけれども、すでにそのリスクが有識者から真剣に議論され、関連シナリオは防衛系の図上演習でも考えられる。そこで、「第5列」による、台湾の病院や発電所やダムなど「重要インフラ」(critical infrastructure)の破壊が想定される。
たとえ基盤的なインフラ破壊でなくても、「第5列」が台湾の暴力団と手を繋いで治安問題を起こすことも可能である。それは、一般市民の間の不安感を煽りたて、ひいては政府への反感を醸し出そう。社会秩序をかく乱するだけでなく、市民の政府に対する信頼を揺さぶる効果が出てしまうのである。また、選挙シーズンになると、台湾に帰化して投票権を持つ香港人集団に、「XX党の候補者に投票しなければ報復する」と暗に脅迫するような事態も考えられよう。
今年12月、香港俳優の向華強が台湾居留を申請中というニュースがあった。[8]俳優とはいえ、政治に関しては向氏は北京支持派である。さらに、向氏の父親が「新義安」という香港の暴力団の創設者であって、向氏自身は「新義安」のリーダーである、と長年噂されている。その息子(向佐)は、共青団傘下の「中華全国青年連合会」委員を務めるという。このような人物の居留申請を、やはり総合的な考慮に基づいて審査すべきであろう。向氏は香港「国家安全維持法」の制定に支持を表明しているから、なおさらである。
2019年1月、香港独立を支持する団体「学生動源」の幹部・鍾翰林が訪台中、別の在台香港人が台湾の探偵事務所に依頼し、鍾を尾行して撮影して写真を中国のメディアに提供した。[9]同年9月、台北で行われた香港市民支持を旨とするデモ行進が行われた。香港歌手の何韻詩は行進に参加したのち、赤いペンキをかけられた。犯人が台湾の親中派政党「中華統一促進党」の幹部の指示で犯行に及んだ、という。今年(2020年)4月、2015年に中国政府に拘束された香港の銅鑼湾書店元店長・林栄基も滞在先の台北でペンキをかけられる暴行を受けた。10月、台湾に避難している香港民主化デモ参加者を支援する台北市内のレストラン「保護傘」は、何者かに押し入られ、汚物をばら撒かれた。調査の結果、犯行の背後に中国(大陸)人が存在することが分かった。[10]
六、
言うまでもなく、こうした一連の事件は、香港人にとっても台湾社会にとってもショックである。もし台湾政府が強く対処せず、似たような事件が再発すれば、リベラル的志向の在台香港人に恐怖を感じさせ、台湾移住を希望する香港人を別の避難の町に向かわせるだろう。
そもそも香港人の台湾移住は、複雑な問題である。もし台湾政府が有効に対処すれば、やがて台湾のどこかに「香港街」(Hongkong Town)ができるだろう。そして、台湾は、もう香港人の避難港としての異郷でなく、故郷となろう。その日が来れば、台湾人も在台香港人も、一緒に台湾(うち)を大切に守ることができるように、祈ります。
[1] 林朝億、「港版國安法 民調:56%台灣人認為將摧毀香港「一國兩制」」,『新頭殼新聞』,2020年5月25日,https://newtalk.tw/news/view/2020-05-25/411588。
[2] 「2020年6月「香港變局、兩岸關係與台灣民主」」、台湾民意基金会、2020年6月22日、https://www.tpof.org/%e7%b2%be%e9%81%b8%e6%96%87%e7%ab%a0/2020%e5%b9%b46%e6%9c%88%e3%80%8c%e9%a6%99%e6%b8%af%e8%ae%8a%e5%b1%80%e3%80%81%e5%85%a9%e5%b2%b8%e9%97%9c%e4%bf%82%e8%88%87%e5%8f%b0%e7%81%a3%e6%b0%91%e4%b8%bb%e3%80%8d/。
[3] 「台灣成為港人移民首選台港服務交流辦9日接700多查詢求助」、法國國際廣播電台,2020年7月10日,https://www.rfi.fr/tw/%E4%B8%AD%E5%9C%8B/20200710-%E5%8F%B0%E7%81%A3%E6%88%90%E7%82%BA%E6%B8%AF%E4%BA%BA%E7%A7%BB%E6%B0%91%E9%A6%96%E9%81%B8%E5%8F%B0%E6%B8%AF%E6%9C%8D%E5%8B%99%E4%BA%A4%E6%B5%81%E8%BE%A69%E6%97%A5%E6%8E%A5700%E5%A4%9A%E6%9F%A5%E8%A9%A2%E6%B1%82%E5%8A%A9。
[4] 「反送中後港人來台居留數增加 2019年突破5000人」、中央社通信社、2020年5月24日,https://www.cna.com.tw/news/firstnews/202005230207.aspx。
[5] 「從移民公司、投審會到淡水──離港抵台,他們的選擇與關卡」、『報導者』、2020年10月15日,https://www.twreporter.org/a/hongkonger-immigrate-to-taiwan-process。
[6] 「港星杜汶澤:票投國民黨 台灣變香港!」、『自由時報』、2019年7月23日、https://news.ltn.com.tw/news/politics/breakingnews/2860960。
[7] 「杜汶澤來台拍港人移居生活 合體林昶佐吸30萬觀眾[影]」、中央通信社、2020年12月24日、https://www.cna.com.tw/news/amov/202012240139.aspx。
[8] 「「龍五」向華強已提依親來台居留申請 陸委會證實」、中央通信社、2020年12月24日、https://www.cna.com.tw/news/firstnews/202012240307.aspx。
[9] 「香港の活動家尾行・撮影を探偵に依頼 在台香港人が退去強制/台湾」、『フォーカス台湾』、2020年10月25日、https://japan.cna.com.tw/news/achi/202010250002.aspx。
[10] 「香港支援の飲食店に汚物まいた男ら起訴 中国人関与の疑い/台湾」、『フォーカス台湾』、2020年11月9日、https://japan.cna.com.tw/news/asoc/202011090005.aspx。
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